銀座を歩く
江戸とモダンの歴史体験

はじめに

街の光を観る
 「観光」とは、易経の「国の光を観る」からきている。例えば、都市を街歩きする観光は、場に潜む人々の営みから生みだされる魅力を感じ取り、都市空間の本当の意味を探りだすことである。そうは言っても、一般に観光が物見遊山的であるという思いは誰しもが感じている。美味しいものを食べ、好きな物を買い、行った印となるスポットで写真を撮れば、観光は完了する。それは永々と続けられてきた日本人の伝統かもしれないと思う時がある。
 伊勢参り、大山詣などなど、信仰心からというより、大方の人たちは記念のお札をもらいに行くに過ぎず、むしろ道中の楽しみが中心であった。江戸中期からは、江戸近郊の名所を訪ねる行楽が流行りはじめる。宗教と無縁の場所も多くなる。船を仕立て、宴を催しながら行楽地に着く。花見も、「花より団子」とは言い得て妙であるが、飲み食いがその主役だ。現代でいえば、外国ブランドを買い求めるブランド・ツアーもまだ根強いと聞く。
 このように、日本では本来と異なる意味での観光が今日まで続いて来た。だが、近頃少し異変があると感じている。平成16(2004)年の秋、20代後半から30代の女性をターゲットにするタブロイド紙の、街歩きの面白さを紹介する記事で、2人の女性を連れて銀座を案内した。ファッションや食事に敏感な彼女たちは、雑誌に出てこない銀座の魅力を望んでいた。銀座がもっと面白い場所であると感じはじめているのかもしれない。
 若者世代にとって豊饒の時代である今、街をどう歩くか、そこに関心が向けられはじめている。そのことと、銀座が歩んできた歴史の価値を再評価する、銀座の人たち、あるいは研究者の若い層の拡大に相関がありそうだ。銀座をよく知る人たちが思いのほか「街の光を観る」ために歩くようになった。あるいは、街歩きが観光ビジネスに結び付くと考える人たちもあらわれてきている。ここ数年、観光業やホテル業の人たちが本物の観光資源として銀座の街歩きに興味を示しはじめてもいる。物見遊山ではない、本来の観光に光があてられようとしている。

街を歩く
 街を歩くことが、今隠れたブームではないかと感じる。いや、ブームとはいえなくとも、すでに街歩きが日常化してきている。休みの日など、街歩きをする人たちによく出会うようになった。街を歩く楽しさをもっと知りたいと、街歩きの講座に足を運ぶ人が増えている。
 ただ、都市を街歩きすることが古くから根付いていたかというと、そうではない。よく知られた古都を除けば、日本で都市の街並みを観て歩くことはあまりされてこなかったように思う。さらに、戦後日本の多くの街が車に席巻され、歩くことが苦痛にさえなったことも、街を歩くことに目が向けられなくなった要因としてあげられよう。その象徴的な存在が歩道橋であるかもしれない。歩道橋は、歩く人が道から排除された象徴に見えるからだ。
 ところが近代の銀座は、他の都市や街と異なっていた。明治の終わりころには、すでに街をただぶらつく「銀ブラ」なるものが一般化し、歩くことに対する強い意志があった。それは、煉瓦街の建設でいち早く歩道が設置されたことから感じ取れる。また、昭和43(1968)年に都電が廃止される時、車道を狭め、歩道を片側5・5mに広げたことにも象徴されている。街歩きは、もてなす側の見えない部分での配慮が重要なのだと感じる。
 車の威圧から道路を歩行者に一時的に開放しようと、ある時期、歩行者天国が全国に広まった。だが、車の出入りを止め、歩行者天国にするには地元の人たちの陰の努力が必要となる。今日、歩行者天国をやめてしまった所も少なくない。しかし銀座は、今も土・日曜日、祭日の午後、銀座通りが歩行者天国になる。銀座の人たちの努力が街に人を呼ぶ原動力となり、何気なく銀座を訪れた人たちは街歩きが楽しめる。
 これから、人々の思いや気持ちが刷り込まれ、光を放つ街・銀座を歩くことにしたい。歩く楽しさを知ると、表層の風景からは感じ取れなかった街の面白さが見えてくるはずである。