観光学への扉


あとがき

 昨年の春の初頭だったと思う。学芸出版社の編集者・前田裕資氏が私の研究室に訪ねてこられた。これまでにも面識はあったが、仕事上のお付き合いはなく、辛口の編集者として知られた彼の来訪に少し身構えた記憶がある。

  開口一番、「今までになかったような“観光学”の本を出したいので、協力してもらえないか」。これが、彼の主旨であった。ご指名いただいたのは有り難いことであるので、ふたつ返事で引き受けた。このときに頭をもたげたのは、本書拙稿内でも一部触れたが、いつか読んだことがあり、その後いつも心の片隅に引っかかっていた三つの言葉であった。
  一つは、わが国の観光文化学の基礎を構築した宮本常一の言葉。
  「観光資源というものはいたるところに眠っておるものです。それを観光対象にするしかたに問題があるのだ」(『旅と観光』)。
  二つ目は、現代のわが国の観光学者を代表するひとり、溝尾良隆の言葉。
  「(わが国の)観光学にも課題は山積みしている。観光学を研究する学者が少ないことが第一。そのためにも観光が事業として注目されてくると、他分野の専門家・コンサルタントが跋扈するのも、そのあらわれである。そもそも観光学という学問があるのか、ともいわれている」(『観光学 基本と実践』)。
  前者は、地域社会に住まう人々の視点からみた観光振興の必要性を想起させる。換言すれば、地域社会に非日常的な設えを用意するような、例えばデベロッパーによる外発的な観光開発ではなく、地域の日常性にとことんこだわった、地域主導型の内発的な観光振興の必要性。観光資源を活かし、地域社会の福祉向上に寄与できるような観光を希求しなければならないということ、そんなことを示唆してくれているのではないだろうか。
  後者は、特に大学をはじめとした教育・研究機関で観光教育に従事する者に突き付けられた課題といっていいのかもしれない。これに付随して、「わが国には、“観光業学”はあっても、“観光学”はない」という指摘を耳にしたこともある。
  そして三つ目の言葉が、「我国の如く交通の緻密な人口の充実した猫が屋根伝いに旅行をし得るやうな国でも地方到る処にそれぞれ特殊なる経済上の条件があって流行や模倣では田舎の行政はできぬ」(『時代ト農政』)である。わが国の近代知を象徴する碩学、柳田國男の言葉である。外発的な観光開発がしばしば陥りがちな陥穽を指摘するかのような重みがある。若き新体詩人から政策科学の道に転じ、「学問救世」をめざした柳田の思惟の後から学ぶべきことは、現代の観光学そして観光政策においても豊饒に存しているに違いない。
  象徴的にいえば、この三つの言葉の趣旨を肝に銘じながら、オールタナティブな観光学の書を著すことが、前田氏から私に与えられた宿題と勝手に認識したのである。
  そのために共著者としては(コラムの執筆のみをお願いした人を含め)、観光が立ち上がる様々な場面を経験したことがある、あるいは現在もその実践に尽力している人たちを、研究者に限定せずにお願いした(多くは、現在では観光の研究と教育の現場におられる方々ではあるが)。
  編者の意図を十二分に斟酌し、執筆いただいた方々に、改めて感謝申し上げたい。
  そして、評判どおりの辛口編集者の前田裕資氏にも衷心より謝意を表したい。執筆期間中は、戦友というよりも敢えて好敵手を演じていただいた彼の尽力なくしては、この著はこういう形では決して出来上がりはしなかっただろう。著者たちが自己満足に陥らないように、多様で多角的な助言をいただいたことは、1冊の著作が出来上がる過程は、編集者も著者も改めてさらに成長する過程でもあるということを、背中でご教示いただいたような気がする。また、前田氏の有能なアシスタントとして私たちを支えていただいた、学芸出版社編集部の小丸和恵さんにも併せ心よりの謝意を申し述べたい。
  この書が、ひとり観光学の初学者のみならず、地域社会に生き、日々観光振興の実践に喜怒哀楽とともに苦闘しておられる様々な立場の方々にも広くお読みいただければ、望外の幸せである。

               2008年仲秋
  秋学期開始間もない新町今出川のキャンパスにて
  井口 貢