筆者は実務家である。学者ではない。造園コンサルタントの技術を磨くために、大分工業大学時代の恩師、故大久保浩孝先生の朋友、片寄俊秀教授を慕い、関西学院大学の社会人大学院に進み稽古をつけていただいた。いきなりパークマネジメントをやれと言われ、少々面食らったが、新たな計画論であると知り、次第に熱中した。それは偶然にも、筆者のライフワークであるコミュニティ空手道の20年におよぶ道場運営にマネジメントの秘訣が隠されていたのである。その考えをとり入れた修士論文の一節を『環境緑化新聞』(2002・9・15)に発表したところ、当時、国土交通省国営明石海峡公園事務所の松本勝正所長の目にとまり、神戸地区のマネジメントプラン策定の機会を与えられた。その成果が筆者の博士論文であり本書である。調査研究は3年におよび、環境設計(株)のコンサルタント業務に結実した。正にひょうたんから駒とはこのことを言うのだろう。したがって、筆者のパークマネジメント論は偶然の重なりの結果であり、その柱にコミュニティ空手道がある。その視点からパークマネジメントのあり方を述べ、あとがきとする。
コミュニティ空手道とは、地域コミュニティにおける空手道活動をさし、目的は身心の練磨と、人との交流による癒しにある。筆者はランドスケープアーキテクトの職に就く前に、その世界に入り、今年で35年を迎える。中座した大学空手道界で果たせなかった夢を追って。時代は日本列島改造論最盛期、公園量産の時代で仕事は多忙をきわめたが、筆者は稽古に明け暮れ、前歯、肋骨をへし折られた甲斐あってか、国体出場までこぎつけた。その後、指導を頼まれるようになり、道場をつくり、地域の方々や学生に手ほどきをした。今、その記憶をたどってみる。
道場立ち上げ期の軌跡を振り返ると、まず面食らったのは子どもの数の多さであった。大人相手のどつきあい一筋できた筆者に、子どもを教える術はなかった。まだ、武道の色が濃い時代であったが、兆しの見えたスポーツ化に取り組んだ。突き、蹴り主体の地味な基本稽古に、見よう見まねで音楽やフィットネス体操を組み入れ、子どもの興味をひき、稽古の持続性を高めていった。空手道に対する視点の切り替えと、稽古メニューの多様化が功を奏したのであろうか。それでも3年かかった。
次に取り組んだのが指導者の育成であった。向こう意気の強い大人に的を絞り、筆者のスパーリング相手になってもらい、叩き上げる方法をとった。試合にも出ていただいた。実技がものを言う世界だが、それを避けて指導者に憧れる人もいた。痛みを知り、本物の技を身につけた指導者にこそ、語る言葉に重みがあり、人がついてくることを学んだ。5年かかった。
やがて指導者も育ち、今様に言う協働の運営体制が自然に整い、組織化されていった。運営のポイントは仕事の分散と、上下関係をつくらず、何事も批判しないことであったが、これが難しかった。無言で去っていく人の多さに采配の振り方、目線の配り方を教えられた。しかしながら、このような失敗の繰り返しが自主運営組織確立の糧になったのも事実である。完全に軌道に乗るまで10年かかった。
そして今、新しい組織を立ち上げ中で、そこでは障害保険等の運営経費はいただくものの月謝は無料、恵まれない家庭の子どもには空手道着の無料進呈等を実践して参加者を募っている。もちろん指導者はボランティアで、稽古後のコミュニケーションを楽しみに駆けつける。大阪市の学校施設無料開放制度が後押ししてくれた。ここではお金はいらない。しかも格闘技愛好家はすべてウェルカムで、汗を流している。空手道界特有の下手な境界意識は持たない。筆者はこのような活動形態をコミュニティ空手道と名づけ、空手道の新しい振興普及策として広めているところである。このような経験が、筆者のコミュニティデザインにおけるマネジメントの考えをつくってくれた。その視点からパークマネジメントを俯瞰する。
空手道修行に没頭している内に、わが国の公園整備水準も国民1人当り8.5uが確保され、最近ではマネジメントのあり方が問われ、しかも仕事の領域が里山保全、近自然型工法の川づくり、エコロードと広がりつつあるのに、どうも、これら空間の利用運営法を忘れ、維持管理を主体とした狭義の公園の枠内に留まっているような気がしてならない。空手道にみる、武道からスポーツに視点を切り替えたような思想転換が必要ではないだろうか。空手道界はそれによって、スポーツの市民権である国体正式種目採用を勝ち得た。同じことは造園界でも言えまいか。山、街、川、海に広がる緑系の空間を、流域圏の中の緑とオープンスペースと捉える広義のマネジメント論の展開が望まれる。
その指導者のライセンスとして、インタープリターやパークコーディネイター等の資格化が検討されているが、資格や肩書きだけで本当に人はついてくるのだろうか。空手道の世界では段位、師範免許等があるものの、習いに来る人の多くは、指導者の電光石火の神業に魅せられてくるのであり、資格は所詮、おまけに過ぎない。しからばマネジメントの世界でも同じことが言えまいか。すべての緑とオープンスペースのマネジメントに通じる、達人レベルの運営実技を問うべきではないだろうか。たとえば百の遊び、千の生き物を知り、プロデュース能力と人格が備わってこそ、初めて指導者と呼ばれるのではないか。
人材が育ち、組織が充実し、やがて自主運営に発達していくことに異論はないが、空手道をはじめとしたコミュニティクラブや習い事の世界には分裂がつきものであることを知るべきであろう。パークマネジメントの世界ではNPO、コミュニティビジネスと受けの良い言葉が飛び交うものの、その裏側に潜む金銭的な問題を忘れてはならない。このような時にこそ、地域通貨が威力を発揮しよう。そもそも従前のボランティア行為の発達が、今日のマネジメントの原点とすれば、そこに利益を追求した経済効果を求めること自体に、すでに矛盾を感じる。
また、自主運営組織に過大な期待をしてはならない。パークマネジメントにおいては組織の活動に、あわよくば管理費用の節約を期待するが、それを意識すると無理が生じよう。下手な目標は定めず、自主性の自然な流れに任せるのが良い結果をもたらすであろう。そこに公的な支援策を講ずるとすれば、法制度の充実を図るべきだと考える。都市公園法、自然公園法等の関係法律はいずれも空間を限定し、整備保全、維持管理の規制の意味合いが強く、利用運営の視点が弱いところは否めない。コミュニティ活動にも踏みこんだ横断的な効力を持つ法体系の整備が望まれる。ところで、都市再生の声が高まる今日、戦後蓄積された社会資本のリフォームが急増しており、筆者はマネジメントのPDCAサイクルが導くデザインのあり方に興味が引かれるが、もっとも大切なことはボランティア活動を素直にレクリエーションとして楽しむ気持ちと、参加者の心をつかむことではないだろうか。それは MASTERY FOR SERVICE の精神で取り組むことにより実現されよう。
おわりに筆者の3人の師匠を自慢して筆を置く。環境設計(株)代表取締役の井上芳治社長にはランドスケープのすべての技を教わった。わが国のランドスケープアーキテクトの礎をつくられた先駆者である。前関西学院大学の片寄俊秀教授には学問の技と学ぶ姿勢をお導きいただいた。「豪快」がぴったりの大先生で、厳しくもやさしい眼差しで稽古をつけていただいた。大阪教育大学空手道部師範、六人部末義先生には空手道の指導を通じて、稽古の意味を教えていただいた。学生空手道界の名伯楽でとても偉いのに、その気さくさに頭が下がる。
この御三方の巨匠との出逢いがなかったら、今日の筆者はなかったのである。ここに衷心よりお礼申し上げます。また博士論文のご指導をいただいた関西学院大学の加藤晃規教授、並びに兵庫県立大学の中瀬勲教授には心温まるアドバイスを賜り感激した。大スターの先生に、筆者のような野良犬が学を授けていただけるとは夢にも思わなかった。関西学院大学のお計らいに歓喜した。忘れてならないのは環境設計(株)の支援と皆様方のご協力である。本書に掲載した作品は、委託者と環境設計鰍ェ手懸けたプロジェクトで、筆者はその一担当者に過ぎない。参画の機会を与えていただき感謝の念に堪えない。そして、多忙時に仕事と称し編集作業を無理強いした。誌上をお借りしてお礼とお詫びを申し上げたい。特に博士論文執筆時、書籍リライト時に協力いただいた大野和美さん、三尾直己さん、中西佳之さんにはお世話になりました。
本書が上梓できたのは片寄先生が筆者の博士論文を学芸出版社に紹介していただき、中瀬先生の後押しがあったからである。そして書籍化が難しい筆者の博士論文を丁寧に指導していただき、出版にこぎつけられたのも、学芸出版社の前田裕資さん、岩崎健一郎さんのお陰です。ありがとうございました。最後に早世した父博の霊前に報告し、母田鶴子、妻嘉美、娘礼、葉の協力に心からの感謝を捧げたい。
2006年4月3日 53歳の時
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