『環境と公害』(岩波書店)2006.7(『環境と公害』編集委員会 http://www.einap.org/kogaiken/)
私はいわゆる「環境と公害」に関わる分野の研究者ではない。では、なぜ評者として登場するか。私は、本書のタイトルである「市民参加と合意形成」を、科学技術において実践的に研究している者である。そして、ここ10年間、コンセンサス会議をはじめ、参加型手法・制度の実践的研究を行ってきた。この「市民参加」をキーワードに、本書の編著者とは、ここ数年、シンポジウムなど、いくつかの場面でお会いするようになった。また、この書評依頼を契機に、2006年4月1日の計画行政学会の研究集会「市民参加と合意形成の新展開」に招かれ、討論にパネリストとして参加した。こうして、本書が扱う課題内容ではなく、参加手法をてこに書評を、という依頼になったと私は理解している。
本書は都市と環境をテーマに、市民参加とその諸相を、環境計画と都市マスタープランに関わる具体的事例の検証を背景に論じたものである。第1章が述べるように、本書は参加の場を、「情報交流の場」としてのフォーラム、「意思形成の場」としてのアリーナ、異議申立の場としてのコートの三つの理念形で捉える。参加の類型については、アーンスタインの8段梯子のモデルなどを前提に、情報提供、意見聴取、形だけの応答、意味ある応答、パートナーシップの5段階で捉えるべきであるとする。本書の帯には、『「参加」が目標の時代は終わった』。「実効性ある市民参加とは、意思決定への反映!」という二つのキャッチフレーズがつけられているが、編著者たちは、どのように第4段階の「意味ある応答」に至ることが出来るかに向けての検討を行う。
社会の意思決定に多様な「参加」を組み込むべきである。あるいは、「参加」によってよりよい決定に到達する可能性があると考える人々にとって、本書は多くの考える種を与えている。少なくとも、事例研究に支えられた各章の議論には、研究者だけでなく、実践に関わる人々がそれぞれの立場から読み取るべきことが多くある。少なくとも私の場合、各事例を通して、課題、参加者、参加の手法、資金など、参加の場形成に必要な資源がどのように動員されたかなど、参加の場作りという実践的研究のための示唆を多く見出している。各事例の紹介は、かなり詳細ではあるが、スペースの制約のためであろうが、私のような立場からは、参加の場がどう形成されたか、もう少し知りたい。なお、私は、参加の場の設営とそこで用いる手法とは意識的に区別して捉えるべきであると経験から考えている。この区別は簡単ではないが、多様な資源を集めて場を設営することと、その場において用いる手法(群)とは、レベルの異なる課題である。これがしばしば一緒くたに扱われてしまう。こうした点からの検討を本書の扱うような事例でも期待したい。
国レベルでは、参加はまだ、パブリック・コメントや公聴会の程度でしかない。これに対し、本書の事例が示すように、地域レベルでは、環境計画、都市計画などにおいて、市民・住民参加がかなりの程度、制度化され、「参加」は、実際に何を生み出しているかは別にかなりの程度実現している。この状況は、私の関わる課題から見ると、実に羨ましい。市民参加といっても、国全体に関わる課題において、参加の場を作ることはきわめて困難であり、制度化はまだはるか遠くにあるからである。それはともかく、かなり制度化されているといっても、本書の検討に見るように、参加の場自体、例外的事例を除いて、まだ意思決定につながるアリーナになっていない。では、どうしたら「意味ある応答」に到達できるか。そのためには、意思決定に参加を組み込むための政治的議論が必要であり、そのための「場」を作らなければならない。「意思ある応答」段階にもっていくには、このプロセスが欠かせない。確かに、個別の課題だけでなく、自治基本条例作りなどに見られるように、地域においては、この政治的議論が行われつつある。これをさらに「意味ある応答」の実現に向かった「議論の場」を作るよう、どう資源動員できるか。これが、これからの課題である。本書がその第一歩になることを期待する。
最後に一言付け加えておきたい。それは、研究者のスタンスの問題である。第1回コンセンサス会議試行を経て、私は、これが「社会への介入」であることを強く意識するようになった。それ以降、研究・実践の発表などにおいても、意識的に、研究成果とそれに関わる私の「価値判断」、「主張」とを明らかにするよう努めてきた。研究者として課題にどう取り組むか、そのスタンスを意識すべきことを敢えて言っておきたい。
(東京電機大学理工学部/若松征夫)
『日本不動産学会誌』((社)日本不動産学会)No.74(Vol.19, No.3)
「問題とは基準(目標)からの逸脱である」という言説を単純に適用できるほど公共計画の策定は単純ではないしまた単純化するメリットもない。基準は権威者が決める与件ではなく、社会の構成員に説明され協議され合意されて創り出される未確定なものだからである。そこではむしろ、どのような構成員がどのようにかかわりどのようなプロセスで合意が達成されるべきかという参加と合意についての機会とルールの設計が課題となる。今日のインスティテューショナル・デザインの関心はその点にある。
本著「市民参加と合意形成」は、わが国の都市計画と環境計画の分野におけるインスティテューショナル・デザインについて豊富な実例をもとに論じたものである。
1章では従来の研究を参照しながら論点整理がなされている。Bryson and Crosby(1996)があげた計画の策定と実施の場の3類型を市民参加の領域にも適用し、「情報交流の場(フォーラム)」、「意思形成の場(アリーナ)」、「異議申立の場(コート)」という、参加の場をとらえる視点が提供されている。さらに、行政(権力)と市民(参加)とのコミュニケーション・プロセスの視点から参加の5段階(情報提供、意見聴取、形だけの応答、意味ある応答、パートナーシップ)が論じられ、とりわけ公開の場での十分な協議である「意味ある応答」の重要性が指摘されている。
2章以降では、計画の策定段階での参加(seeとplan)と実行段階での参加(doとcheck)という、計画のサイクルに沿った実例を配置して上記の視点を織り込みながら論じられている。アリーナにおける合意形成(2章)、フォーラムにおける情報収集と交流(3章)、情報通信技術を活かした参加と合意(4章)、合意への参加を広く呼びかけるアウトリーチ(5章)が、計画の策定段階での参加として論じられている。6章は計画の実行段階での参加の推進を扱い、7章はこれら参加のプロセス自体に関する評価を扱っている。
評者にとって興味深いのは、それにつづく議会の関与(8章)と「参加の保証」(9章)であった。合意された計画の実現手段を議会が制度(条例)の立法で担保するというかかわり方なら従来の限定された位置づけであろうが、市民参加による計画の合意プロセスを制度化したり計画そのものを議決事項にしたりするとなると、議会の関与の仕方は相当に広く重いものになる。その意義と問題についての論点がここで提供されている。また、計画・規制の策定、制度の変則適用や緩和、建築・開発行為、景観形成、などのレビューへの「参加の保証」が制度的になされ「意味ある応答」つまり十分な協議がなされることは、あまりに「ゆるい」側面を持つわが国の都市計画制度の下であればこそ必要性が高いはずだという主張に一票を投じたい。
なおも論ずべき点は多く残されているが、先駆的な領域における示唆に富む一冊である。続編の展開に期待したい。
(麗澤大学国際経済学部長/高辻秀興)
『運輸政策研究』((財)運輸政策研究機構)vol.9
合意形成の充実と実現の困難
行政に対する住民参加は、1970年代の松下圭一のシビルミニマムの提唱以来日本の大きな課題となってきた。松下は、日本には「右と左」の対決だけでなく、実は「官僚と市民の対峙」があり、官僚支配を打破しなければ民主主義も市民の幸福も達成できないと喝破していたのである。
原科教授をリーダーとする諸分野の俊秀(日本計画行政学会の中の「合意形成手法研究会」が母体)は、この課題を啓蒙や運動論を超えて学問上の本質的課題として捉え、理論と実践の書として本書「市民参加と合意形成」をまとめた。アメリカのアーンスタインの「8段階の梯子モデル」をベースに、会議のもち方、自由討議、情報通信技術の活用、アウトリーチなどさまざまな手法を用いつつ、学問研究にとどまることなく、実際に「武蔵野市都市マスタープラン」「横須賀市の環境配慮指針」などに取り組み、調査しながら教訓と理論を引き出した。個人的なことを言えば、原科教授らが長野県で中信地区の産業廃棄物の最終処分場設置計画の検討を行っていた頃、私も同じく長野県でダム建設の当否を審議していてその動向がたえず気になっていた。詳細な戦略とプロセスを本書で知ることになり、当時のダム審議会の経験と重ね合わせながら感慨深く読ませてもらったのである。
本書は住民相互間の、また住民だけでなく住民と行政の「合意形成」のあり方について高い水準の研究報告となっている。
しかし、率直に言わせてもらうと物足りなさも残る。先ほどのダムの関係で言うと、行政が一方的に決めたダムの計画は住民参加によって中止されたが、実はその後ダムに代わる河川改修や堤防のかさ上げなどの代替案がまったく進んでいないのである。代替案が国の河川整備計画に取り入れられないこと、基本高水という国が決めた基準以外は一切認められず、それと同じ水準の代替案は莫大な費用がかかること、さらには知事と議会とが対立していて、計画や予算がことごとく否決されることなどが原因になっている。本書のメインテーマである「都市計画マスタープラン」(環境やゴミなどの計画も含まれる)にも同じようなことがいえる。郊外のスーパーや高いビルなどの土地利用の規制、道路や街路樹の補修や新設、さらにはゴミの収集から処分までほとんどが「法律や予算」とかかわっているので、マスタープランを具体化するためには法律改正や予算の確保などについて自治体トップの意思と議会の同意が必要であり、さらには建築基準法や都市計画法など国の制度自体が変わらなければどうにもならない、ということが圧倒的に多いのである。
本書には外国の合意形成の理論が紹介されている。そしてそれは生き生きとしていた。それに比べ、日本のそれが何かいまひとつ空虚なのは、合意形成の先の合意の実現のレベルに横たわっている双方の巨大な質的な差が関係している。すなわち外国では前に見た8段階の梯子のうち、最上段階にある「市民権力としての参加」すなわち「6.パートナーシップ、7.権限委任、8.市民による管理」がスムーズ、端的に言えば市民が合意すれば実現できるのに対し、日本ではこれができないというのが合意形成における最大の課題なのである。
行政の計画や処分に対してたくさんの訴訟が起こされていること、審議会や議会(計画に対して議会が関与するシステムを持っている自治体は神奈川県真鶴町と東京都日野市しかないという)に対して疑惑の目が向けられていること、そして住民の最大の参加の意思表示として「住民投票」が活発になっているという事実から目をそらしてはいけない。これは合意形成の破綻からもたらされているのである。本書ではこの論点は「権力論」であり、「参加」を超えているとして除外されている。しかし、これらを合意形成の射程距離の中に含まなければ、参加論も底の浅いものになろう。
権力学者を含めた更なる研究の進展を期待したい。
(法政大学法学部教授/五十嵐敬喜)
『林業経済』vol. 59((財)林業経済研究所 http://www.rinkeiken.org/)
1. はじめに
森林における市民参加論の必要性が叫ばれて久しい。その契機となった大きな出来事の一つが、1980年代に起きた知床国有林伐採問題である。その知床が昨年、世界自然遺産に登録された。これでさらに多くの注目が知床に注がれることになるだろう。また、知床問題とほぼ時を同じくして顕在化した白神山地における林道建設問題は、知床に先立ってこの地を世界自然遺産に指定する契機となったが、これら国有林と国民の間の紛争、対立は、その後1998年の森林法改正による森林計画への公告縦覧を制度化させた。土屋(1999)が言うように、この間の国有林と国民の間の関係は、まさに劇的に変化したのである。しかし、正に画期的な制度として導入されたかに見えた広告縦覧制度も、筆者らが行った調査(2002)によると、森林管理への「真」の市民参加を実現させたかというと、どうもそうとも言えない面がある。
この制度は、森林管理における市民参加の先進事例として知られる米国国有林における市民参加制度を参考に導入されたものである。しかし柿澤(2000)が指摘するように、米国国有林における市民参加は現時点では必ずしも成功しているとはいえない。市民が期待する参加の形態とは今だにほど遠い状況なのである。
森林における市民参加論については、林業経済学会等で数々の議論がこれまでに行われてきたが、1999年の林業経済学会春季シンポジウムにおいて土屋(1999)は、市民参加論研究の方向性に対するある種の閉塞間を研究者が抱き始めていると語っている。これには、土屋が整理するように市民参加論が、実例の詳細な分析を通して問題解決のための処方箋を提示するという極めて演繹的な方法論に依拠せざるを得ないものの、そのための事例が必ずしも豊富に存在するわけではなく、知見の蓄積も思うように進まないという事情がある。
その一方で、「まちづくり」の分野では、森林と比べて市民参加に関する事例も豊富であり経験の集積も進んでいる。今回紹介する「市民参加と合意形成」は、言わば市民参加の最先端を進んでいるともいえる「まちづくり」分野における最新の研究成果を、理論と具体事例をもとに解説している書である。
本書が主として取り扱っているのは、都市地域における都市計画、環境計画といった公共計画における市民参加である。言うまでもなく都市空間は公共空間であるから、そこでの計画策定においては高い公共性を確保することが要求される。木材生産のみならず、水源涵養、国土保全、生態系保全などの公益的機能を発揮させる必要がある森林地域も公共性という意味では都市地域と同様の取り扱いが求められる。本書が提示する都市地域における市民参加の事例の数々は、森林地域の計画における市民参加を進める上でも多分に有益な知見を提示し得るものである。
2. 本書の内容
本書では、市民参加を計画のサイクルで整理し、計画策定段階と計画の実行段階の二つに分け論述している。本書の前半部分は計画策定段階における参加について費やされており、後半は計画実施段階および関連する諸課題を取り扱っている。
まず第1章では、都市地域の公共計画における市民参加の課題について、要領よくまとめられている。ここでは市民参加のレベルを参加の程度によって示した参加の5段階モデルが提示される。市民参加の最初の段階は、行政主体が情報のみを提示するにとどまるが、市民参加の最終段階として位置づけられるのが、近年よく言われるパートナーシップである。ここで、先述の米国国有林における市民参加および、わが国の国有林公告縦覧制度をこの5段階に当てはめてみると、3段階目の「形だけの応答」という段階に留まっていると考えられる。この段階の市民参加は、市民を参加させること自体を目標とした段階のものであるにすぎない。見方によっては、言葉は悪いが市民を参加させたというアリバイ作りを目的としたものであると取られかねない段階とも言える。真の市民参加を実現していくためには、このような「形だけの応答」という段階を脱皮し、さらに上のレベルへと市民参加を向かわせることが必要となる。
本書ではこのような参加の段階を上っていくための具体的な参加の機会づくりについて解説されているが、その中でも特に中心的な役割を担うものが、アリーナ、フォーラム、アウトリーチである。アリーナとは、計画に関わる利害関係者(ステークホールダー)によって構成される合意形成の場である。この場は公共計画に関わる最終的な意思決定を行う役割を持つものであり、従来の検討委員会などがこれに相当するものといえる。第2章ではこのようなアリーナにおける市民参加面での課題を整理した上で、専門家(Expert)とステークホールダー(Stakeholder)の混成(Hybrid)による会議の進め方(ESHモデル)を提案し、それを応用した取り組みの事例を紹介している。
しかしアリーナに参加できるのは、各立場を代表とする限られたメンバーでしかない。そこで、このようなアリーナの閉鎖性を克服するためのものとしてフォーラムが活用される。フォーラムは議題に関心を持つ人が誰でも参加できる場であり、自由に意見を交換しながら、議題に対する情報を交換し討議する場として位置づけられる。これには従来の説明会や公聴会などが相当するが、都市計画分野において頻繁に用いられる手法であるワークショップについて、具体的な事例を通してその意義が明らかにされる(3章)。ワークショップとは、主に少人数のグループによって具体的な作業を行いながら、意見の集約を図っていく手法であるが、このような集会型のフォーラムのみならず、近年普及が目ざましいインターネットなどのIT技術を活用した自由討議の場の可能性についても紹介される(4章)。
さて、アリーナやフォーラムにおける議論は参加者間での情報共有の機会を提供するが、広く市民参加を行うためにはこれらの情報を地域で共有する必要が生じてくる。それによって新たな市民が議論に参加してくる可能性があるからである。そこで必要となるのが地域住民に広く情報を提供し参加を促す、アウトリーチという作業である(5章)。この作業は、市民参加のプロセスに積極的に関わっている「市民」と、市民参加への直接的な関わりは薄いがその地域の生活者である「住民」との間の乖離を埋めるものとして重要なものと位置づけられている。
本書後半の第6章では、計画の実行段階での参加について取り扱われる。ここでは、自治体における環境基本計画の実施を事例として、パートナーシップによる計画推進について論じられるが、行政と市民の対等な関係が強調され、市民が自分たちの計画という意識を持つことの重要性が主張される。また第7章では参加プロセスの評価、第8章では計画に対する議会の関与、第9章では以上の議論を踏まえた参加の保証に向けた制度設計がテーマとなっている。
3. いくつかの課題
このように、都市計画における市民参加のあり方をテーマとする本書では、具体事例として首都圏において先進的な取り組みを行っている14自治体を対象に分析を行っているが、本書の冒頭で明かされているように、これら市民参加の先進地域と言われる地域ですら、真の合意形成と言われる場が作られているとはいえない状況にある。ここで言う真の合意形成の場とは、編著者によると5段階の梯子の4段目(意味ある応答)のレベルのことであるが、森林計画策定においても、いかにして「形だけの応答」から「意味ある応答」へとレベルアップを図るかが今後の課題となるだろう。
さて本書は、都市における市民参加の進め方について、極めてプラクティカルな視点から解説した書であり、都市計画での市民参加を進める必要に迫られている現場担当者にとってはまさに願いの書とも言うべき内容を持つものであろうと想像される。しかし、本書をあえてハンドブック的に見た場合、いくつか物足りない点がないわけではい。まず、アウトリーチにおける利害関係者特定の際のステークホールダー分析の必要性が述べられているが(5章)、その具体的な手法については何ら言及がされていない。また、市民参加は計画策定段階ばかりではなく、計画の実行段階においても重要であると主張されているが(6章)、記述されているのは1つの事例に対する現状と課題であり、有効な方法が具体的に示されているとは言いがたい。市民参加を進めるための具体的な処方箋を求める向きには、物足りなさを感じる内容である。また、第7章では計画作りにおける市民参加を改善してゆくための、参加プロセス自体の評価について取り扱われているが、評価のための枠組みづくりのありかたや評価方法についての解説がない。この点についても、何らかの具体的な方法を知りたい読者としては、もう少し突っ込んだ内容を求めてしまうだろう。本書を読了してのこのような物足りなさは特に本書の後半部分で強く感じられる。それは本書前半部分で明快に提示される市民参加のフレームワークとの対比の中でなおさら目立ってしまっているようにも感じる。土屋が言うように、今だ現在進行形の事例に依拠しつつ論述を進めなければならない、市民参加というテーマゆえの宿命かもしれない。
いっぽうで、森林における市民参加とはいかなるものかという点については、根本的な問題として改めて考えてみる必要があるだろう。森林のステークホールダーは都市とは異なる形で重層的である。ある森林が地域住民の生活に必要であったり、地域住民にとってかけがえのない意味を持つものであれば、地域を中心に管理すべきということになるだろう。しかし、絶滅の恐れのある動植物などの稀少資源であれば、国または国際レベルでの管理の視点が必要になる。このような希少資源の保全には、国が主導的な役割を果たす必要がある。時には私権を制限するなりして、国が管理の中心を担うことが求められる。つまり、管理の視点が異なれば管理の担い手も異なる。この点で、「まちづくり」と「もりづくり」では似て非なる部分があろう。
以上のように、いくつかのコメントを敢えて述べさせていただいたが、市民参加のあり方について、本書のように体系立てながら事例に基づき具体的に示した文献はこれまでほとんどなかったと言ってもよく、市民参加について多くの知見を読者に提供してくれると同時に、きわめて高い有用性を備えた書であるといえる。それは森林をフィールドとする読者に対しても同様であり、「分かりやすい」マスタープラン作りの重要性や「自治体の名前を変えればどこでも通用する」環境基本計画の問題点など、本書が指摘する課題は、森林計画において指摘される問題点とも相通じるところがある。本書は都市地域を対象としたものではあるが、対象地域は違えど森林における市民参加を考える上でも大いに参考になるものと言える。
(森林総合研究所東北支所/八巻一成)
引用文献
土屋俊幸(1999)森林における市民参加論の限界を超えて.林業経済研究45(1),9-14
八巻一成,駒木貴彰,天野智将,上野圭司(2002)国有林管理計画の公告・縦覧に対する人々の意識.林業経済研究48(3),9-16
柿澤宏昭(2000)エコシステムマネジメント.築地書館
『計画行政』((財)統計研究会)Vol.28
現代は行政主導による管理から新しい公共性のもとに自律的で協働的な市民社会への転換を指向し始めている。しかし、脆弱な市民基盤のもとでの多様な拡散のなかから新しい公共的合意を創発することの可能性は明るくはない。社会における価値観の多元化は社会の安定性を増進させるはずである。しかし、現実には合意形成を困難化させる局面は表面的なものではない。市民参加に意味ある制度的保障を確保できるかどうかも疑問である。まさに本来のpeopleにたち帰っての現代の公共性において「公共空間」の創造が希求されているのである。本書では、市民参加のレベルを、(1)情報提供、(2)意見聴取、(3)形だけの応答、(4)意味ある応答、(5)パートナーシップの5段階に整理し、通常の公共事業においては、「意味ある応答」の参加ができるかどうかがポイントだとしている。
ブライソン/クロスビーが公共政策の策定と実行の関連行為をコミュニケーション・意思決定・紛争処理を基軸に社会のパワーを発揮する場として、Forums・Arenas・Courtsに整理したのにならって、本書は、参加民主主義の具体化をsee and planningによる計画の合意形成プロセスとしての「情報交流の場」(説明会、公聴会、ワークショップ)、「意思形成の場」(アドホックな代表者会議)とcheckによる計画策定・実行のチェックとしての「異議申立の場」(第三者的審査・監査)によって説明している。参加の場が情報交流の場で終わるか、意思形成の場まで行けるか問題の核心であるが、意思決定においては事業の必要性、費用効果、効率性、リスク配慮の合理性を確保できる科学性をアセスメントのシステム分析との連動で示唆している。
本書は、公共空間における場の設定の重要性を強調する。科学性と民主性を担保するために、会議で専門家(Experts)とステークホルダー(Stakeholders)の混成(Hybrid)の場を形成し、中立的な立場での論理的思考力、専門性、パーソナリティなど多くの要件が求められるファシリテーター(Facilitator)から構成される透明性の高いESHモデルの有効性を高く評価している。とくに、長野県中信地区における廃棄物処理施設建設計画の合意形成をわが国における稀な成功例としている。
本書は当学会に設置された「合意形成手法研究会」による都市マスタープランと環境基本計画づくりへの市民参加の状況についての共同研究が基礎となっている。1都3県14自治体27事例を対象にヒアリング調査が実施された。計画づくりのプロセスについて、計画準備段階、計画策定段階、計画推進段階を中心に、取り組みの実績、ワークショップや電子会議室の活用実態、アウトリーチ活動、計画推進体制や事後評価の状況について調査した。これらの貴重な調査実績を背景とする海外事例をふくめて、自由討議の場としてのワークショップの特徴と役割ならびに意思形成との連携、ICT活用の意義と将来展望の知見蓄積は貴重である。市民中心の推進組織、行政とのパートナーシップによる参加と合意を軸とする計画推進の状況は多くの現実的な課題をなげかけている。さらには、限定的な事業評価を背景として参加の場の縮小の実態もある。また、議会と計画への市民参加は微妙かつ本質的な問題を示唆しているが、本書での実態調査では議会の関与が参加の保障、計画の公共性の担保のうえで有効であるとしている。さらに、本書は行政の責任ある行動を促進するために訴訟制度との連動は有効であるとしているが、市民参加による市民の責任の加重との局面をどのように調整するか将来的な課題である。これは、新しい公共性概念のもとで行政のアカウンタビリティという前時代的なトーンとも関係している。
本書を通じての全体的な問題提起は、現代の複雑なステークホルダーを前提として合意形成のフィジビリティを洞察し、重要なプライオリティは参加の具体的基準の明確化、透明性と公開性の具体的規定、ならびに、意思決定に至る手続きを明確化することである。さらに、地域社会の自立的ヴィジョン形成の努力の重視である。他方、コミュニティの基礎としての信頼醸成のソーシャルキャピタルと相互協力の基礎としての社会的平等度を中心とする公正基準の明確化が重要なインフラであることである。
(千葉商科大学大学院客員教授/樹下 明)
『環境緑化新聞』 2005.10.15
都市計画と環境計画の融合を目指す
「市民参加」という言葉が当たり前に使われるようになっている。しかし参加という言葉や形だけが安易に使われすぎともいえるのではないか。参加した市民の意見は本当に計画の決定や事業に反映されているのだろうか─。
本書はこうした問題意識を持つ都市計画と環境計画分野の研究者が共同し、都市環境計画の参加と合意形成の問題を研究した成果である。副題は「都市と環境の計画づくり」。メンバーは、これまで行政の縄張りで縦割り的な対応が取られてきた結果つながりのない都市計画と環境計画の融合を目指す。持続可能な社会を作ることは、都市域の環境の持続可能性が大事なのだ。
本来の参加とは何か、という基礎的な問題整理から、意味のある応答のされる参加をいかに実現するかを鍵として話を進めていく。首都圏で先進的な取り組みを行っているとされる14の自治体に実態調査も行う。民主主義社会における参加と合意形成のあるべき姿について、理論とともに、制度設計についても実証的な分析を踏まえて論じている。
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