第3回 歴史・文化のまちづくりセミナー
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近江路
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安藤広重筆『木曽海道六拾九次』より柏原亀屋佐京
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近江路に入りました。 伊吹山のふもと柏原です。 これは伊吹もぐさ(艾)の本舗亀屋こと松浦左京の家で間口が広くて柏原第一の大屋根を持った造りで、 道中の大名たちに非常に評判がよく、 広重も木曽街道の続き画の中にこの家を描いています。 このスライドの広重の絵では、 左の方は中へ入るとお庭で、 右の方は店で、 置看板や福助の人形を飾っている様子が描かれています。
この松浦家は、 祖先は九州平戸の領主松浦家の出で代々ここに住みついて平安期ごろから有名な伊吹山の艾で評判をとり、 ことに六代目左京七兵衛は商才にたけた人で、 道中を売り歩いて江戸吉原の芸妓にこの薬の歌を歌わせたり、 大阪で歌舞伎芝居にしたりで評判を高め、 ここを通る大名たちを庭に入れて大いに接待したのでした。 さすが近江商人です。
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鳥居本宿赤玉神教丸本舗有川家
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鳥居本宿赤玉神教丸本舗有川家上段の間
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鳥居本宿赤玉神教丸本舗有川家所蔵の金の茶釜など
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これは琵琶湖の、 彦根のそばの鳥居本宿の入口の、 腹薬の赤玉神教丸の本舗です。 大きな家でしてね、 本陣構えです。
大名たちは皆中へ入って、 座敷で遊んで薬を買って行く。 今でも繁昌している大家です。
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昭和20年代の鳥居本宿中央部(北より)
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平成元年の鳥居本宿の町並み(合羽の看板が見える)
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雨合羽形の看板を現代に応用している鳥居本家
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この鳥居本の宿も近江路では最後の昔ながらの宿場でございます。 近江路になると、 どうしても新しくなってしまったのですが、 この宿は古いままです。 昭和20年ごろは更になおよかった。 その時の古いままの写真をお見せいたします。 今でも、 そう変わっておりません。
この鳥居本では、 合羽(かっぱ)も売っていました。 雨がっぱですよ。 長い、 三角形の。 その形のものを看板にしています。
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武佐宿・守山宿の間御上神社本殿
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武佐宿と守山宿の間の三上山のふもとにある御上神社です。 本殿は康元元年頃(1256)で国宝です。 神社で最美なものは平安鎌倉時代にあり、 特に近江に多い中でも御上神社の建築は最美と思います。 その他の建築も拝殿の楼門が鎌倉時代、 若宮神社本殿、 摂社が室町時代の康安5年(1361)で重要文化財です。 すべてが近江最美の社殿です。 中山道はその近くにあります。
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武佐宿・守山宿の間 平宗盛・清宗父子の墓
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それからこれはその近くにある平宗盛とその息子の清宗の墓です。 壇ノ浦で捕まり、 鎌倉まで連れてかれ、 そこで頼朝の裁きを経て、 また京都へ戻される途中で斬られたのです。 それ以来蛙が鳴かなくなったという池も近くにあります。 京都に近づくにつれ建築は全く京文化を思わせて来ると共に、 源平の頃の哀歓に打たれてまいります。
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草津本陣田中家入口龕燈
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これで終わりです。 これは草津の田中の本陣です。 まだまだお話したいですが、 時間の都合で仕方ございません。 もう京都に着きます。 三条の大橋でひとつお茶でも飲んで下さい。 失礼いたしました。
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