第3回 歴史・文化のまちづくりセミナー
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東(あづま)路(ぢ)(関東)
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ゑびす屋永井家
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関東平野は、 だいたいどこもそう違いません。 いわゆる関東というのは、 まあご承知と思いますけれど日本の文化は関東と関西と二つに大分けができますけれど。
関東の建築の代表としてはこの倉賀野宿の家だけにしておきます。 倉賀野といって高崎の一つ手前のね、 こういう家が何軒もございます。 古い家じゃございませんが、 たいへんできた、 良い家でございます。 脇の方に門があるんですが、 この家では門が壊されております。 後ろの方に庭があり、 蔵があります。 あるいは蔵がこれに並ぶんでございます。 こういう何の素っ気もないすらっとした、 ちょっと重苦しい感じもあるのが関東のつくりでございます。
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ブルーノ・タウト旧居(達磨山少林寺内)
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宿場とはちがいますが、 ここでちょっと変わったものをお見せいたします。 高崎の町を外れて碓氷川に添って行ったところに達磨市で有名な少林寺という寺があります。 そこにご承知のブルーノ=タウトがおられたのです。 こういう簡素な住宅です。 二間しかありません。 左手の方に玄関があります。 こっちは庭の方から見ているんですけれども。 ここから見ますというと浅間山から妙義妙から乗鞍、 赤城三山ですね、 榛名山、 赤城山などがずらりと見えておりまして、 景色は非常にいい。 下の方に川が流れていますし。 しかし淋しかったのです。 ここの工芸所の指導に行って工芸を指導しておられました。
私はブルーノ=タウトがトルコの方に行ってしまった後にいってみたのですが、 ちょうどその時にトルコで亡くなったときで、 タウト夫人がデスマスクを持っておいでのところでした。 一日その奥さんと何かとタウトさんの思い出をお話したものでした。 私にはたいへん印象が深いのです。 「イッヒ リーベ デア ヤパーニッシェ クンスト Ich Liebe der Japanishe Kunst」と書いたタウトの碑がこのすぐそばにあります。
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安中大名小路
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これは安中です。 安中は城下町です。 足軽長屋町と言っておりますけれど、 ちょっと上等でございます。 長屋になっております。 ここは人口も非常に少ない。 城下町ですけれども少ないんです。 こういう氏族屋敷はたくさんございます。 ほかに立派な屋敷もたくさんございます。
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