第3回 歴史・文化のまちづくりセミナー
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宿場町の構成

改行マーク宿場の構成は今申した坂本宿が基本的なものですが、 地形その他の事情で各種各様になります。 その構成の根本はまっすぐの街道の左右に町並みが続く、 短冊形ですが、 ときにはL状、 E状、 S状に街道が曲折します。 そして町の機能から見れば今の駅のようなものですよ。 鉄道の駅、 それから道はレールに当ります。 町並みはすべて街道に並び合う奥行の深い都市型で、 間口はふつうの家では多くは3間、 3間半、 4間、 たいして広くない。 時には10間に近いような広いところもございますけれど。 それは本陣や問屋、 大旅籠のような特殊な家です。 それらは宿の中ほどの中町と呼ばれる地区に集まっています。 そして道の真ん中に用水路がありますが、 道の両側にあるということもございます。 それから家の裏の方に裏口が裏の道にでます。 この道は変な名前ですが、 夜盗口と普通言っております。 裏の畑に行くにも具合がいいし、 いざというときにそこから逃げ出すこともできます。 また畑作道もあります。

改行マーク戸数、 人口は非常に少ない宿場もあります。 特に少ないのが芦田、 籔原。 番場は10戸しかない。 戸数はいろいろございますが、 戸数が多い宿場はそれぞれわけがあります。 その理由の1つには旅篭が多いということです。 たとえば、 峠の登り口の宿場はとかく旅篭が多い。 峠に登るときは足腰を休めて、 そして登らなきゃならない。 3、 4里の山道が多いけれど、 それでもたいへんでございますからね。 それから下りてくると、 そこで休泊したくなります。 それからもう一つは別れ道、 例えば浅間三宿のうちの追分宿から越後街道が出て行きますから、 そういうところには2つの道の客が皆一緒になりますからたいへんなんです。 だから賑やかなんです。

改行マークその上ちょっとくたびれたから遊ぼうやと、 くたびれ休みに遊んだりする。 女と遊ぶのですが、 つまり湯女がそれらの宿で大繁昌。 そんなの許しませんけれどね、 自然にそうなりました。 それでそのための旅篭が非常に多かったわけです。

改行マーク例えば関東平野でもね、 熊谷はそんな女たちがいることを絶対に許さなかったんです。 ところがね、 旅人といい近所の青年といい、 遊びたくてしょうがないんだ。 簡単に遊べますからね。 次の宿の深谷へいくんです。 深谷はいらっしゃい、 いらっしゃいと大歓迎で深谷の方がずっと大きくなっちゃうんです。 皆あっちで繁盛しちゃったんです。

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脇本陣川上喜十郎宅古平面図
改行マーク本陣はそれぞれの基本形式に各種各様の、 大小さまざまの形式があるのですが、 今回の席では時間の都合でお話できかねますね、 残念ですけれども。 塩尻の脇本陣だけ図面を出しておきました。 往来にむかって正面を置いて。 敷地は皆広いんですよ。 だいたいその3分の1がお客さまの、 つまり殿様たちの場所です。 3分の2くらいは宿主の部屋と台所やなんか、 それから蔵の場所になる。

改行マーク殿様が泊まるっていうのはたいへんなことでございましたので、 殿様のためには別の門があって真っすぐ玄関に行きます。 本陣が一番立派でございます。 脇本陣はそれに次ぐのでございます。 それでお膳を上げなきゃならないので、 お膳所、 つまり台所ですね、 それは両方の部分の真ん中あたりに位置しております。 本陣ですべてが完備して残っておりますのは、 草津の本陣でございます。 あれはずいぶん前から文化庁で史跡に指定しております。 細かな部屋がたくさんございます。 草津は東海道・中山道両方の宿場でもありました。

改行マークそれから茶屋や、 旅篭や、 問屋もいろんなのがある。 いちいち申し上げられませんが、 残念ですがこまかいことは、 これからスライドでお話いたしましょう。

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