戸数、 人口は非常に少ない宿場もあります。 特に少ないのが芦田、 籔原。 番場は10戸しかない。 戸数はいろいろございますが、 戸数が多い宿場はそれぞれわけがあります。 その理由の1つには旅篭が多いということです。 たとえば、 峠の登り口の宿場はとかく旅篭が多い。 峠に登るときは足腰を休めて、 そして登らなきゃならない。 3、 4里の山道が多いけれど、 それでもたいへんでございますからね。 それから下りてくると、 そこで休泊したくなります。 それからもう一つは別れ道、 例えば浅間三宿のうちの追分宿から越後街道が出て行きますから、 そういうところには2つの道の客が皆一緒になりますからたいへんなんです。 だから賑やかなんです。
その上ちょっとくたびれたから遊ぼうやと、 くたびれ休みに遊んだりする。 女と遊ぶのですが、 つまり湯女がそれらの宿で大繁昌。 そんなの許しませんけれどね、 自然にそうなりました。 それでそのための旅篭が非常に多かったわけです。
例えば関東平野でもね、 熊谷はそんな女たちがいることを絶対に許さなかったんです。 ところがね、 旅人といい近所の青年といい、 遊びたくてしょうがないんだ。 簡単に遊べますからね。 次の宿の深谷へいくんです。 深谷はいらっしゃい、 いらっしゃいと大歓迎で深谷の方がずっと大きくなっちゃうんです。 皆あっちで繁盛しちゃったんです。
宿場町の構成
脇本陣川上喜十郎宅古平面図 |
殿様が泊まるっていうのはたいへんなことでございましたので、 殿様のためには別の門があって真っすぐ玄関に行きます。 本陣が一番立派でございます。 脇本陣はそれに次ぐのでございます。 それでお膳を上げなきゃならないので、 お膳所、 つまり台所ですね、 それは両方の部分の真ん中あたりに位置しております。 本陣ですべてが完備して残っておりますのは、 草津の本陣でございます。 あれはずいぶん前から文化庁で史跡に指定しております。 細かな部屋がたくさんございます。 草津は東海道・中山道両方の宿場でもありました。
それから茶屋や、 旅篭や、 問屋もいろんなのがある。 いちいち申し上げられませんが、 残念ですがこまかいことは、 これからスライドでお話いたしましょう。