三船さんや皆さんが、 まだ大丈夫だから、 おまえが去年出した本についてしゃべれとおっしゃる。 三船さんは建築や町並みのことについて専門的にやっておられるらしい。 町のこと、 家のこと、 道のことをいろいろとお調べのようです。 私は私なりのことをやってきたもんですから、 それじゃあってんで出て参りました。
今、 大河先生がいろいろ話しておられましたけれど、 多少間違いがあります。 例えば、 大阪の四天王寺の五重の塔を設計してどうのこうのなんて言っておられたけれど、 五重の塔一つじゃあ恩賜賞なんか貰えません。 あの伽藍全体を全部やったんです。 20年近くかかったけれど、 まだ一つ二つ残しているんです。 そういう努力だけはしておるつもりでございます。
世の中は広うございます。 たしか私自身が4つか5つの時ですけれど、 雪の日に浅草にいました。 浅草っ子で、 空を見てあの雪の空の先には何があるんだろうと。 広い空だ。 そのまた先も空だ。 いくら行ってもきりがないと思ったら淋しくなって、 しまいには涙流してワアワア泣きだしたんです。 たった4つか5つの子供がね。 そうゆう妙な男でございます。 小さい子供のくせに、 シャカのいう三千大千世界を意識したんです。 その傾向が後々まで響いております。
私は親父が絵描きだから、 盛んに絵を描きました。 今でも描いてます。 絵描きになろうと思ったんだけど、 貧乏絵描きになるからだめだ。 それじゃあってんで、 まさか、 三千大千世界まででないが、 とにかく世界の地理が大好きだった。 この日本を中心として大まかな世界の地図ぐらい描きました、 子供の時に。
今の上空撮影のような本がありましてですね、 例えば浅草の雷門から観音さん、 それから六区全体をあわせ一軒一軒をほんとの姿のままで描かれてあった。 そういう空中から見たような町の景色が大好きでした。 建築が町になっているのが非常に美しく思われ、 だから建築そのものだけじゃなしに、 グループをなしたのがまた一つの大きな建築の芸術であると、 子供の時から考えておりました。 また父の描く花鳥山水に見とれたせいもあり、 また兄が林学を志して植物採集をするのを真似て私も採集に熱中し植物分類学をしようと思った。
それに加えて中学校に入ってからは歴史も好きになった。 そういう全部あわせたものが建築だっていうんで、 さきほどご紹介のようなことになったわけでございます。
私は、 東大を60歳で辞めた後の方がずっと楽しい毎日です。 大学って所でしかつめらしい講義をしてね、 学生たちに威張ったってしょうがない。 それで辞めてから設計はやるわ、 なんだかんだで書くわ、 世界中旅行するわ。 で、 私のやった仕事の大部分は東大をやめてから後でございます。
みなさんの中の2列目のそこにこっちをむいておられる佐藤重夫先生は、 広島大学の名誉教授でございます。 私の一の弟子でございます。 私のためにおいでになられまして。 ありがとうございました。 皆さんもわざわざお集まりになられて、 ありがとうございます。
子供のころから
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