最初の1年1ヶ月はパリのユネスコ本部内にある世界遺産センター(World Heritage Centre)に所属し、 アジア・太平洋地域の文化遺産を担当するユニットで、 世界遺産条約の運用に携わりました。 その後、 バンコクにあるユネスコ地域事務所に移り、 ラオスで行われていた事業を通してプロジェクト・マネジメントについて学びました。
まず、 世界遺産について説明したいと思います。
タイトルが示す通り、 文化と自然は対立するものではなく、 相互に依存し、 密接に関わるものなのであるから、 一つの条約の中で共に保護していくべきものとしてくくった点に特徴があります。
世界遺産条約に基づき、 定められた基準に照らして世界遺産委員会が顕著な普遍的価値を有すると認めたものが世界遺産リストに登録されます。 こうして世界遺産リストに記載された物件を世界遺産と呼んでいます。
現在までに506件が登録されており、 その内訳は、 文化遺産が380、 自然遺産が107、 そして文化と自然の複合遺産が19となっています(1997年12月1〜6日に開催された世界遺産委員会で新たに46件の物件が世界遺産リストに登録され、 世界遺産の数は文化遺産が418、 自然遺産が114、 文化と自然の複合遺産が20、 合計で552件となった)。
文化遺産に限って説明しますと、 文化遺産は記念工作物、 建造物群、 遺跡に分類されています。
また、 条約の履行のための作業指針(Operational Guideline)が定められていて、 この中では具体的な登録基準が示されています(資料2)。
文化遺産の登録基準には6項目あり、 一つは[人類の創造的天才の傑作を現すもの]で、 例えば法隆寺、 姫路城はこれに当てはまります。 二つ目は[ある時期を通じ、 またはある世界文化上の地域において、 建築、 記念碑的芸術、 または、 町並み計画および景観デザインの発展において人類の価値の重要な交流を示すもの]で、 法隆寺はこれを満たしています。 また、 古都京都の文化財もこの登録基準に該当するものです。 三つ目は[生きている、 または消滅した文化的伝統、 または文明の、 唯一のまたは少なくとも稀な証拠となるもの]です。 日本にはこの基準に当てはまる世界遺産はなく、 ペルーのマチュピチュ遺跡やチャンチャン遺跡はこの代表的な例です。 4つ目は[人類の歴史上重要な時代を例証するある形式の建造物、 建築物集合体または景観の顕著な例]です。 姫路城、 法隆寺、 古都京都の文化財、 白川郷・五箇山の合掌造り集落は、 どれも、 この基準を満たしています。 5つ目は[ある文化を代表するような伝統的集落または土地利用の顕著な例の、 特に回復困難な変化に対して無防備な状態にある場合]で、 白川郷・五箇山の合掌造り集落はこの代表的な例です。 最後は[顕著な普遍的な意義を有する出来事または生きた伝統、 思想、 信仰または芸術的および文学的作品と、 直接にまたは明白に関連するもの]で、 アウシュビッツの収容所や1996年12月に登録された原爆ドームがこれに当てはまります。 この6番目の基準だけで登録されることは、 特別な場合を除いては認められておらず、 他の文化遺産或いは自然遺産の登録基準と関連していることが原則となっています。
最近では文化的景観(Cultural Landscape)という概念が入ってきました。 日本でも「富士山を世界遺産へ」という話題がよく持ち上がっているので、 この言葉をお聞きになった方も多いかと思います。 文化的景観は[意匠された景観][有機的に進歩する景観][関連する景観]に分類されています。 コーディレラ(フィリピン)のライステラス(棚田)は[有機的に進歩する景観]の代表的な例として知られています。 [関連する景観]というのは、 文化と自然が密接に関連する景観のことで、 ニュージーランドのトンガリロ国立公園がその例です。 自然遺産として生態学上及び景観上の価値を有するのみならず、 昔からマウリ族が聖地として崇めてきた土地としての文化的価値が認められています。
ここでは、 締約国は自国の文化遺産及び自然遺産を守ることは自分達の義務であることを認識し、 その保護のためにあらゆる努力をすべきであることを記しています。 ユネスコにいた時に、 訪問された日本人の方々に世界遺産について説明をする機会がありましたが、 よく出てくる質問に「世界遺産に登録されると、 どのような補助が受けられるのですか。 」というのがありました。 世界遺産というのは、 基本的には、 地域や国で出来うる限りの保護措置をとり、 国内的保護が担保された上で登録されるものです。 国際的援助は遺産保有国が行なう努力を支援するための補足的援助という性格を有します。 このことがより多くの人々に認識されるべきでしょう。
この政府間委員会がいわゆる世界遺産委員会です(World Heritage Committee)。 現在の締約国数は152ヶ国ですが、 世界遺産委員会は、 この中の21カ国から構成され、 世界遺産リストや危機にさらされる世界遺産リストに登録すべき物件の決定、 国際援助を供与すべき物件の決定、 遺産の保護状況の報告のチェック等を行ないます。 また、 21カ国のうち、 議長国1カ国、 副議長国5カ国、 書記国1カ国の議長団7カ国で世界遺産委員会ビューローを構成し、 世界遺産委員会の作業の調整や議事の決定等を行ないます。
ビューロー会議は毎年6月或いは7月にパリで行われる他、 12月に世界遺産委員会が開催される前にも委員会の開催地で開かれます。
この基金は我々が世界遺産基金(World Heritage Fund)と呼ぶもので、 締約国がユネスコに拠出している拠出金の1%を上限として払い込んでいます。 また、 個人や民間等からの寄付も受け付けています。
ファンド・レイジングは世界遺産委員会の事務局である世界遺産センターの重要な仕事ですが、 近年では締約国政府からの拠出金のみならず、 各国の自治体や民間企業との協力関係を強める中で、 世界遺産基金への出資源の獲得に努めています。
条約には、 この他、 [国際的援助のための条件及び政府取決め(資料3)][教育的活動]等に関することが規定されていますが、 ここでは省略したいと思います。
このように、 世界遺産条約は、 人類の遺産を共通に認識し、 その保護のために国内的保護と国際的援助が最も有効に呼応する体制の枠組みを与えるべく構成されています。
まず最初に、 自国の文化遺産及び自然遺産を各国が選定し(Selection)、 世界遺産暫定リスト(Tentative List)として世界遺産委員会に提出します。 世界遺産暫定リストは世界遺産センターで取りまとめられ、 保管されます。 自然遺産の場合には異なりますが、 文化遺産及び混合遺産の場合には、 暫定リストに載っていることが世界遺産リストへの登録申請条件となります。 申請の準備が整うと、 締約国政府は世界遺産委員会に登録申請書類を規定の部数だけ提出します(Nomination)。 登録申請書は毎年7月1日までに世界遺産センターに到着しなければなりません。 申請書類に記す項目・書式は決まっているのですが、 装丁は色々で、 日本や韓国、 中国は非常に奇麗な絹ばりの箱にいれてきます。 真っ黒なスーツケースに入れてくる国もあります。
世界遺産センターでは、 職員が必要な書類や図面等の資料が揃っているかをチェックし、 9月15日までに、 世界遺産委員会の助言機関であるICOMOS或いはIUCNに申請書類を送ります。 ICOMOS及びIUCNでは、 必要であれば現地を調査し、 登録基準にしたがって申請物件の専門的評価を行ないます(Evaluation)。 その結果がエヴァリュエーション・リポートとしてまとめられ、 翌年の4月1日までに世界遺産センターに送られてきます。 世界遺産センターでは、 レポートの内容をチェックし、 世界遺産委員会の各委員国にそのリポートを送り、 6月のビューロー会議に備えます。
ビューロー会議では、 エヴァリュエーション・リポートを参考に、 世界遺産委員会に推薦をします(Recommendation)。 世界遺産リストに登録するにふさわしいものであるとか、 登録を審議するにあたってはこの情報が欠落している等の勧告がなされるわけです。 ここで「登録を勧告しない」とされていまうと、 世界遺産委員会では審議されないことになります。
ビューローの推薦に基づき、 12月の世界遺産委員会で登録申請物件が審議されます。 この場で登録が採択され、 世界遺産リストに記載されるという手順を踏みます(Inscription)。
国際的援助の供与に関しては、 必要経費の100%が世界遺産基金から拠出されるのかというと、 そうではなく、 締約国が相当程度の負担を負い、 事業がきちんと執行できる体制が整っていることが条件となります。
準備援助とは、 世界遺産暫定リストの作成や世界遺産リストへの申請登録準備を援助するためのものです。 緊急援助は、 例えば数年前にガラパゴス諸島で火災が起きましたが、 こういった予測不可能な災害等から緊急的に遺産を保護する場合に供与されます。 人材養成は、 遺産の保護に関わるあらゆる分野の職員や専門家の養成活動が対象となっています。 技術協力は、 世界遺産リストに登録された文化遺産、 自然遺産の保護を目的とする事業・活動を対象に行なわれます。 援助の形態には、 専門家の派遣、 機材の供与、 資金の貸し付け等があります。
また、 世界遺産センターは世界遺産センターの事務局という位置づけなので、 活動の自立性がどこまで認められるかが難しいのですが、 世界遺産基金のためのファンド・レイジングや世界遺産活動の普及にも、 日夜取り組んでます。 特に、 近年は、 ワールド・ヘリテイジ・ユース・フォーラム(World Heritage Youth Forum)に大きな期待が寄せられています。 これは、 世界遺産の保護への若者の参加を促進することを目的としたフォーラムで、 これまで1995年にノルウェーで、 1996年にクロアチアで、 1997年に中国で開催されました。
世界遺産センターがあるパリからアジアまでは、 距離が遠く、 遺産のおかれている状況がわかりにくい一面がありました。 世界遺産は基本的には各締約国の努力によって守られるべきものなのです。 しかし、 色々な面で助けを必要としている国がアジア・太平洋地域にも少なくないわけです。 これらの国々に対して、 ユネスコが国際機関としてどうやって手を貸していけるかという大きなテーマがバンコクの事務所にはありました。
バンコクの事務所で文化ユニットのスタッフがいつも話し合ってきたことは、 文化に携わる機関としてのユネスコの使命は何かということでした。 例えばUNHCRでしたら難民の権利の保護、 ユニセフでしたら子供の権利の保護ということになります。 では、 ユネスコだったら何になるかというと、 人間が文化を享受できる権利を守ることになるのではないでしょうか。 ユネスコ自身が遺産を修復するというよりはむしろ、 その国が自国の文化遺産を守っていく力をつけるためのお手伝いをするのが、 国際機関としてなすべき本来の仕事であろうということを、 スタッフ・ミーティングの度に皆で確認していたわけです。
私は、 バンコクでは、 ラオス南部・チャンパサック地域にあるワット・プーというクメールの遺跡(3世紀〜13世紀)のプロジェクトに携わりました。 保存計画を作成するためのプロジェクトで、 日本政府とイタリア政府からの財政的援助がありました。
(遺跡の説明は省略、 写真参照)
しかし、 この場合には、 英語で書かれた報告書が単にお役所の本棚に並ぶだけの結果になりかねません。 ラオス政府の中で、 報告書の中身を正しく理解し、 それを実施していける人も育ちません。 そこで、 私たちは、 プロジェクトの中で「キャパシティ・ビルディング(受け皿づくり)」という大きな目標を設定し、 国・県・地域等の様々なレベルにワット・プーの保護を担う人材を養成していくことを目指しました。
プロジェクトの内容は大きく3つに分かれます。 一つは現場活動(on-site activity)で、 ラオスの情報文化省にプロジェクトのための11人のラオス人の専門スタッフを選んでもらい、 ユネスコが雇った国際専門家が現地調査に入るときには、 必ず一緒に作業をするようにしました。
二つ目はラオス政府の中にワット・プー保存のためのメカニズムをつくることです。 プロジェクトの開始時に、 情報文化大臣の名前で省庁間調整委員会(National Inter-ministerial Co-ordinating Committee for Wat Phu)を設立してもらいました。 財政、 建設、 灌漑、 観光等の保護活動に関連する省庁や県、 地域からの代表者が約3ヶ月ごとに会合しました。 開催地は出来うる限りチャンパサックとし、 委員会の前には必ず現地視察を行いました。 最初の1,2回は、 委員の方々にワット・プー保存のための唯一の意志決定機関であるNIMCCの責任と役割を認識してもらうためのものでしたが、 3回目以降はワット・プーでの様々な経験の蓄積をラオス全体の文化遺産の保護にどのように役立てていけるかという議題も加わるようになりました。 第3回目の委員会で興味深かったことは、 各委員が所属する機関のマスタープランを紹介しあったのですが、 自分のマスタープラン意外は誰もその存在すら知らなかったということです。
三つ目は現地での保護活動に必要な物理的環境を整えることです。 事務所の改築、 自動車の購入、 コピー機やコンピュータとその周辺機器の購入等がその内容です。 このような機材や必要備品を購入しても、 時間が経つ中で紛失してしまう恐れがあります。 ですから、 プロジェクトの中ではラオスの情報文化省のスタッフと共に購入したものの目録を作り、 管理の仕方についてもNIMCCで話し合いました。
プロジェクトは予想していたよりもずっと上手く進行したと思います。 1996年から97年の二カ年のプロジェクトでしたが、 ラオス政府は1998年度にワット・プー保存のための予算をつけてくれました。 また、 改築した現場事務所に常駐するスタッフも確保するとのことです。
ユネスコの国際援助は1998年もイタリア政府からの財政的援助によって継続されることになりました。 次のステップとして、 自ら調査や事業を計画・実施していけるラオス人スタッフのトレーニング、 NIMCCの組織としての充実、 及び、 考古学及び遺跡管理のための「Center of Excellence」としての現場事務所の発展等を目指す方針です。 また、 これまでのプロジェクトの進展に伴い、 コミュニティの参加が課題としてあがってきたため、 NIMCCの承認の下、 HATCH (Heritage Awareness Through Community outreacH)と名付けた活動も本格的に展開される予定です。
一つの文化遺産の保存計画をたてるプロジェクトの中で、 その保護及び維持管理に関わる色々な要素が有機的に結びつきつつあります。 このプロジェクトに参加できとことは、 私にとってとても良い経験だったと振り返っています。
まず、 世界遺産センターの中で感じたことが2点あります。 一つはファンド・レイジングの必要性です。 日本では国の補助金等、 公的な資金援助にたよりすぎている感を受けました。 将来的にはNPO、 NGO、 或いは所有者自らが、 或いは、 公的機関が民間企業との結びつきを強めて保護のための資金を獲得し、 それを正当な目的と手続きの下で運用していくような活動がもっと増えてもいいのではないでしょうか。
二つ目は、 文化財の価値や、 現在行われている文化財保護活動についてもっと積極的に、 そして戦略的にアピールすべきだということです。 文化財保護に関する法体系とその運用能力という点で、 日本はアジアの中ではどの国にも引けを取りません。 今後は、 教育的活動や普及活動に力が注がれ、 日本の文化財保護活動が国内、 国外にもっと知られるようになればと感じています。
最後にバンコクの地域事務所で強く感じたことが一点あります。 それは、 日本では文化財保護法の中で重要文化財(美術工芸品、 建造物)、 記念物、 無形文化財、 民俗文化財等に分類されており、 その各々の保護については力が注がれているけれども、 それらを横断的に取り込む文化事業が発展してこなかったということです。 一つの地域を対象に文化遺産の保護を考えるとき、 そこには文化・自然、 有形・無形、 或いは動産・不動産等の分類に関係なく、 その土地で相互に関連しながら発展してきた様々な文化を包括的に取り込んでいく必要が生じてきます。 法律の運用による文化財保護と併せて、 このようなことに対処できる事業としての文化財保護活動が将来的には必要となってくるのではないでしょうか。 日本に文化的プロジェクトのきちんとした提案を書き、 それをマネジメントしていける人がいるのかどうか、 疑問です。
とりとめもなくお話をしました。 ご静聴ありがとうございました。
世界遺産の現状と課題
ユネスコでの2年間の実務経験を通して
文化庁文化財保護部建造物課 下間久美子(旧姓 栗林)
1 はじめに
2 世界遺産とは
3 世界遺産条約(資料1参照)
文化遺産の定義及び登録基準
世界遺産条約の構成についてですが、 第1章では文化遺産と自然遺産が定義されています。
国内的保護と国際的援助
条約の第2章では[文化遺産及び自然遺産の国内的及び国際的保護]が規定されています。
世界遺産委員会
条約の第3章には[世界の文化遺産及び自然遺産の保護のための政府間委員会]に関する事項が定められています。
世界遺産基金
条約の第4章には[世界の文化遺産及び自然遺産のための基金]について記されています。
4 世界遺産の登録手続(資料4参照)
5 登録された世界遺産への
国際的援助(資料5参照)
6 教育的活動及び普及活動
7 バンコク地域事務所での活動
8 日本の文化遺産の保護を外から眺めて
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