都市・農村の新しい土地利用戦

まえがき

 水田には大型風車が建ち並び、点在する集落にはその地域の人々が資金を出し合って建てた小型風車が建つ。平野を囲む山々には小さな川の流れを利用した水車が回る。転作田には大豆とともに菜の花も植えられるようになった。家庭の生ごみはすべて回収され、籾殻、家畜ふん尿などとともに堆肥になり、農地に還元されている。その豊かな大地は農産物を育て、直売所にはいつも旬の野菜や山菜、雪室で貯蔵された新鮮な食材が並ぶ。森で育った木で家が建ち、樹皮や端材からは木質ペレットをつくる。車や農業機械は廃食油を精製したバイオディーゼルで動く。山形県立川町の人々はこんな未来像を思い描きながら、食料とエネルギーの地産地消をめざしている。

 町長の清野義勝さんはという山間の集落で育った。煮炊きをするかまどでも、暖を取るいろりでも、お風呂の水を温めるのにも、燃料には薪を使っていた。父親は農作業の合間に山の手入れを欠かさなかった。清野さんが子どものころに、年の離れた長兄が結婚すると、父親は一家族では使い切れないほどの薪を用意するようになった。こんないいお嫁さんに来てもらってよかったと、平野部にある兄嫁の実家にあげるため、ひまができれば薪割りを続けていたのだった。1年分の薪ができたと連絡を受けた兄嫁の両親は、廃車になったトラックの荷台を連結させた耕運機を運転してやってきた。平野部では山間の集落より水田が多い点では恵まれていたが、森林がないため燃料の確保には苦労していたので、が運んでくる流木を拾いに行く農家も多かった。荷台に満載した薪を見上げながら「娘を立谷沢に嫁に出してから、焚きものに不自由しなくなってありがたい」と喜んでいた兄嫁の母親の笑顔は、いまでも清野さんの脳裏に焼きついている。

 わずか40年前までは、立川町でもこうしてエネルギーを自給していた。その後、台所の外にはプロパンンガスのシリンダーが置かれ、いろりが灯油ストーブになり、車はガソリンで、農業機械は軽油で動くようになった。薪や炭が電気やガス、石油へと変わっていったこの変化は燃料革命といわれる。いま立川町をはじめとする日本の各地では、化石燃料からふたたび地域で手に入る再生可能なエネルギーに戻そうとする新しい燃料革命が静かに進行し、確実に広がっている。もう一度薪や炭を使っていた昔に帰るのではない。太陽や風や水などの豊饒な自然からエネルギーを生み出そうとしているのだ。木質バイオマスという名でふたたび注目を集めている森林資源もペレットストーブやチップボイラーという燃焼機器を得て利用しやすい燃料になった。革命という言葉が使われながら、自覚することのないまま燃料革命を受け入れていったように、化石燃料や原子力から自然エネルギーへの転換にもすぐに慣れ、いつかそれがあたりまえになるだろう。少し前までは薪や炭が燃料だったのにと振り返るように、そういえば昔は中東から石油を輸入していた時代があったのだとなつかしむ日は遠くないかもしれない。

 ここには何もない。かつては地方のまちでよくそんな言葉を聞いた。しかし、自然エネルギーの普及に取り組む地域を訪ねる旅で出会った人々はだれもが、太陽がある、風がある、雪がある、森林がある、水がある、地熱があると、誇らしげにその資源の豊かさを語っていた。エネルギーのことに詳しくはないからかもしれないが、わたしが取材をしていてもっとも心ひかれるのは、地球温暖化を防止するために、未来の子どもたちのためにという大義よりも、地域で自然エネルギーの普及に取り組む人々の地域への思いや、地域の人々がたくさん登場する活動の物語を数々のエピソードとともに聞き、その地域にしかない生かし方を見るときだった。自然と人とのかかわりのなかで生まれる自然エネルギーは、数字で示されるグリーンなエネルギーの割合を高めるだけでなはないさまざまな要素を含んでいる。かつて厄介者といわれていた風や雪をエネルギーとして利用するようになると、同じように風が吹き、雪が降っても、それは苦難ではなく喜びをもたらすものと映り、地域への愛着を増すようになる。かつてごみや廃棄物といわれていた家畜ふん尿や生ごみ、林地残材、廃食油をエネルギー資源として生かし、地域のなかで循環させることは地域の環境問題を解決することにもなる。間伐材や林地残材を利用することは、荒廃した森林をよみがえらせることにもつながる。食べものの熱量がカロリーで表示されるように、もともと食料というエネルギーを生み出す農業や漁業を、食料とともにエネルギーを生産する産業に再生させ、農山村や漁村の活気を取り戻すこともできる。自然エネルギーのもつこうしたさまざまな魅力が、環境問題やエネルギー問題に関心のある人だけでなく、多くの人の心をゆさぶり参加を促し、それぞれの地域でのまちづくりへと広がっている。

 日本は資源の乏しい国である。

 子どものころからいわれ続けてきたこの言葉を、わたしも疑うこともなく信じてきた。だから、化石燃料や原子力発電に頼るしかなく、そのために引き起こされる放射能汚染と地球温暖化は避けようのないことなのかと思っていた。しかし、取材を続けているうちに、はたしてそれは本当なのだろうかという疑問がふくらんでいくばかりだった。それぞれの自然エネルギーの研究者はみな驚くばかりの数字を提示している。自然エネルギーがどれだけあるかを示す言葉を賦存量といい、現在の法的、社会的、技術的、経済的な制約条件を設定して試算する。こうした制約を取り払えば、いったいどれだけの資源が眠っているのだろうか。自然エネルギーだけでエネルギーを自給できるという研究者も少なくない。そして、取材を続けるなかでわかったことは、日本には自然エネルギー資源が豊富にあるけれども、それを生かそうとする意思と政策がないだけなのだということだった。

 わたしが育った集落は、立川町から車で20分ほどの場所にある。立川町でできるのだから自然条件の似通ったその集落でできないことはないのではないかと思って振り返ると、風車を建てる水田があり、その背後には森林もあり、川も流れていて、エネルギーのもとはたくさんあることに気がついた。だから、あなたの住む地域に太陽が輝き、風が吹き、雨や雪が降り、水が流れ、森があるなら、その自然を傷つけることなく耕してほしい。どんな資源をどう使えばいいのか、その知恵は地域のなかにあり、そこに住む人がいちばんよく知っている。技術や政策にできることはその地域の意思の実現を手助けすることにすぎない。その技術がなければ地域の技術者や企業に働きかけて生み出せばいいし、政策がなければ地域で普及させるしくみをつくればいい。自分の住む地域でそんなことができるのだろうかと思う人もいるかもしれないが、そんな事例を集めたのがこの本だ。地域にはどんな資源がどれだけあるのか、その可能性とともに限界を知れば、その生かし方が見えてくる。地域で使い切れないほどのエネルギーが生み出せるならそれより多くを開発する必要はないし、立川町では600キロワットの風車5.5基分のエネルギーを節減する節電所を建設するように、これでは足りないとわかればエネルギーの消費を抑えればいい。

 石油のためといわれたイラク戦争を支持した日本では、原子力発電所をねらった報復テロを警戒して警備が強化されている。エネルギーはそれ自体を生み出すことが目的なのではなく、それを使って何かをするための手段にすぎない。そのために多くの人の命を奪い、健康を破壊しなければならないほどのものではないはずだ。自然エネルギーの供給は不安定だといわれるが、化石燃料のように枯渇することはなく、原子力発電のように事故やトラブル隠しで停止することも、テロの標的になることもない。化石燃料や原子力に比べれば、ずっと安定したエネルギーだということもわかった。地球が存在し続け、空に太陽があるかぎり枯渇することがないのだから。私たちはいま地域にあるものを生かすだけで、澄んだ空気を吸い、きれいな水を飲み、肥沃な大地が育てるものを食べ、健康に暮らすという豊かさを手に入れることができる。

2003年4月
佐藤由美