場所の力
パブリック・ヒストリーとしての都市景観

書 評

『月刊まち・コミ』(阪神・淡路まち支援グループ まち・コミュニケーション発行) 2002.7
 従来、都市のあるべき姿は都市計画関連法規をはじめとする技術論により形作られることが試みられていた。しかしながら、震災復興土地区画整理事業に対する疑問をはじめ、今日の都市においては技術論だけではフォローできない多様な状況が生まれてきている。近年、市民と行政の協働による、住民参加のまちづくりが各地で進められている。だが、政策決定プロセスにおける住民参加のガイドラインは未だ確立されてはいない。
 本書は現代アメリカにおける建築・都市計画の指導的立場にある著者が、都市生活者の口伝え、および自身が主催する非営利組織「The Power of Place」の実践的活動から、場所の力を掘り起こし、地域再生に関するその有用性を示唆するものである。
 場所の力とは、ごく普通の都市のランドスケープに秘められた、市民が共有する社会の記憶をはぐくむ力である。都市のランドスケープは著名な建築家が設計した、あるいは歴史的事件が発生した建物・場所によって構成されるものであると認識されてきた。しかしながら都市の生活者は「普通の人々」であり、本来都市は彼らの生活を記憶としてとどめているはずである。ハイデンは語る…都市に蓄積された市民の記憶が、歴史家、建築家、都市計画プランナー及び市民の意識を一つにまとめ、都市におけるプロジェクトを成功に向かわせると。
 「場所の力」は都市政策に新たな住民参加のプロセスを提案し、日本のまちづくりにも大きな示唆を与えるものである。
(加藤洋一)



『庭』(龍居庭園研究所) No.146
 ある土地が再開発されたとしよう。すると、そこは景観的には美しくなったかもしれないが、過去の記憶を失った。つまりアイデンティティのない場所になってしまうかもしれない。場所には、そこに住む人々によって蓄積されてきた「社会的な記憶」が内在されている。それが「場所の力」だという。
 ロスアンジェルスに住む著者は、同名の非営利組織を設立し、「場所の力」を都市景観の中に蘇生させることの必要を説き、様々な事例を創ってきた。その理論と実践をまとめたものが本書である。
 紹介されているプロジェクトの中で、もっとも印象的だったのは、「あるアフリカ系アメリカ人の家の再発見」と題されたもので元奴隷であった一人の働く女性の歴史が刻まれた場所を、パブリック・アートとして再生したのだ。するとその場所は「意味のある」空間になり、ひいては町全体の記憶をも蘇らせることになる。「リトルトーキョー、1番通り」の歴史的地区としての保存プロジェクトも、日本人としては、とりわけ興味深いことである。
 こうした手法の中で注目したいのは、街の一般の人々から話を聞く「オーラルヒストリー」調査を通じて、計画が進められていること、住民が景観づくりの主役に置かれている点である。多民族で形成されるロスアンジェルスの事例が、そのまま日本に取り入れられるとは思わないが、それにしても、“記憶のない”都市計画のなんと多いことか。


『市街地再開発』
 大変魅力的な書名は、著者が関わっているロスアンジェルスにあるThe Power of PlaceというNPOの名前から付けられた。この本はこのNPOの活動記録でもある。3人の翻訳者のうち、後藤と篠田が一緒に訳しはじめ、その後同じ意図を持っていた佐藤と出会い、この本が出版された。なぜ、1995年に出版されたこの本が、今、日本で出版されることになったのか、このことに思いをいろいろとめぐらすことも楽しいし、本雑誌の読者たちはこの本の内容を日本と関係ないと片付けることができるのかどうか。実は、私も関係ないかなと思って拾い読みをしていたのだが、時間が経つうちにボディブローのように効いてきた。それは20年前に読んだジェーン・ジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』に共通するようだ。後藤が解説する「社会に共有された記憶を育み次代へ伝える都市景観」という捉え方、「場所の力とは、ゲニウス・ロキに通底する概念である。その解釈と可視的表現のプロセスに市民や専門家の参加と協働といった外へ向かって運動していく力が込められている点が大きな特徴である。著者はこうしたプロセスを「公共事業」と呼び、その結果、「都市の力」が顕在化された空間を「公共空間」として位置付けている」。日頃、公共事業の批判を受けている身にとっては、ちょっと、泣けてくるフレーズである。多民族国家であるから「パブリック・ヒストリー」ということが殊更強調されているのではとも思ったが、わが国の多くの都市で様々な試みが取り組まれている時期、地域の老人や女性、農林業家、まちの工場主や商店主などの声を聴きながら、地域の共有する歴史を発掘することは現在の閉塞状況を崩していく手がかりにならないだろうか。こうして考えて見ると、極めて現在を問い掛ける内容をもつ本であると思う。
(埼玉県都市整備公園課/若林祥文)


『地方自治職員研修』(公職研) 2002.6
 米国で建築・都市計画・ランドスケープの重要テキストとされる本の訳書。「場所の力」とは、共有された土地の中に共有された時間を封じ込む、市民の社会的な記憶を育む力である。著者は社会階層、人種という問題を直視し、地域社会における労働者・民族・女性の生活に根ざした歴史を意図する。この「場所の力」の顕在化に向けて、様々な分野の専門家と市民との協働が求められ、その結果が公共空間として位置づけられる。本書は、まちづくりの理論と実践の実例を明確に提示するものである。


『地域開発』((財)日本地域開発センター) 2002.7
世界史的名著の到来
 レイチェル・カーソンは『沈黙の春』によって、環境破壊に歴史的警鐘をならした。ジェーン・ジェイコブスは『アメリカ大都市の死と生』によって、近代都市計画に根本的な批判を行なった。何れの書も世界史的名著として歴史に刻まれているが、ドロレス・ハイデンは、アメリカ人女性として先輩に並び、かつ新しい歴史的展望をひらく本を著した。
 従来の都市景観デザインには、「美観」「文化財」といったモノとして対象化した価値観が根底にあるが、彼女の方法には、ヒト・モノ・コト・トキがからみあい、生活し働く多様な市井の人々の生き様が、都市を内側からハリのある存在としての文化的ランドスケープを形成し、そこにみられる人間と環境の相互浸透性、両者のふくみあう関係化を豊かに紡ぎだす活動に価値をおく創造的知見に貫かれている。彼女のいう「場所の力」とは、「都市の歴史的ランドスケープが持つ力であり、一般市民が共通の記憶を育む際の一助となる力である。」
 本書が格別に説得力をもってぐいぐいと読者をまきこんでいくのは、著者自らが「場所の力」の仮説を検証する実践者であることにある。彼女は現在イエール大学教授で、アメリカンスタディを専門とする都市史学者、建築家であるが、自ら主宰するNPO・The Power of Place を中心に、多様な専門家と市民の間の協働作業の新しいモデルを提示している。「住み手の姿を含む総体として都市のランドスケープの歴史の枠組みの中で活動する時、私達は、都市の形成過程を見失うことなく、多様な人間、場所、地域社会を相互に結びつけることができる」の言説の背景には、例えば、次のような実践が裏づけられている。

文化的アイデンティティの再生
 日系アメリカ人は、ロスアンジェルスに19世紀後半よりリトルトーキョーと呼ばれる町をつくった。1930年には35,000人の日系人がロスアンジェルス郡内に暮らしていた。第2次世界大戦中に彼らは強制収容所に追いやられた。戦後、彼らはリトルトーキョーに戻ってきた。
 地域のタカラを一網打尽にする「フェデラル・ブルドーザー」と呼ばれる公共再開発、民間資本による高層建築物ラッシュは、伝統的街区を破壊し、小規模店舗を閉鎖に追いやった。しかし、やがて日系アメリカ人は、著者たち専門家の支援を受けて、戦前の繁栄と人生の辛酸をなめた過去の記憶を呼び覚ます活動に敢然と赴くようになった。1985年、ザ・パワー・オブ・プレイスは町の歴史を語る「花畑と花卉市場の日系アメリカ人」を企画運営した。かつてのロスの都市景観の形成に日系アメリカ人による花畑は一役をかっていた。ワークショップに参加したメンバーは、地域社会の共同記憶の「シンボルハンティング」を行なった。共感をもって合意に至ったことは、花卉栽培業者が背負っていた行李が花卉産業の歴史を残す強烈なシンボルになり得るということであった。
 日系アメリカ人の営業していた建物群が残存していた地区がやがて、国の歴史地区に指定された。その建物の中には、強制収容所にカメラを秘密裡に持ち込み、様子を撮影した勇敢な写真家の居場所もあった。和菓子の店フウゲツドウ、アサヒ靴店、そば屋なども含まれている。カリフォルニア大学ロスアンジェルス校の都市計画コースの大学院生はリトルトーキョーの歴史的散策ツアーとパブリックアートの提案をまとめた。
 パブリックアートを配置した新しい歩道のデザインが行なわれた際、行李と風呂敷包みが活用され、日系アメリカ人の思い出をよみがえらせる試みとともに、新旧対立、人種差別的な排除型の景観形成ではなく、相互に包みこまれるイメージの柔らかい場所の設計に至ることができた。勇気のある写真家のカメラの特大のレプリカも歩道に設置された。この歩道は、保存された質素な建物、教会、博物館などの街並みの玄関口を活気づける公共歩廊として機能し、街区全体を包みこむものとなった。そこには、都市を物的部分・要素の単なる集積とみなすのではなく、人々の記憶という生命のように大切な眼にみえない思いと文化的アイデンティティを触発してくれる場所の力を湧きあがらせる「プロセス」とみなす見方が脈打っている。
 都市の場所性が凝縮された典型例として、リトルトーキョー物語以外にも本書は、労働者のランドスケープと暮らしなど、ロスアンジェルスのダウンタウンの都市景観にみるパブリック・ヒストリーを多面的に活写している。

受け継いだものを育んでいく美学
 ロスが語られるときのお決まりの陳腐な議論は、都市のランドスケープをポップカルチャーと捉えたチャールズ・ムーアやレイナー・バーナムの考えに端を発している。彼らが捉える都市景観では、ディズニーランド、スイミングプール、高速道路はアイコンであり、モノとしての捉え方である。ドロレス・ハイデンは、ジェイムス・ロジャスの言葉を引きながら、「人は場所の利用者であると同時にその場所の創造者でもある」という人間と場所の相互作用を重視している。「住民一人ひとりこそが都市を形づくる過程への積極的な参加者であり、決して都市は一人の英雄的なデザイナーによって作られるものでない。」
 本書は、人間と場所の関係を重視し、コミュニティで時をかけて受け継いだものを育んでいく美学を、これからの時代の都市づくりの根幹にすえていくことをわかりやすく伝えている。もはや歴史というものを既成の学術分野におしこめるのではなく、女性も男性も、生活者も専門家も、市民も行政も、地域の先人達の苦闘に関する知識を共有し、新しい問題にいっしょに取りくむ学びと創造の場所であるという開かれた視点を本書は気づかせてくれる。また、他の文化・価値を排除する偏狭な「原理主義」の危険性に対して、「多様性の受容が、都市の場所の新しい意味づけの出発点」であるとする視点も21世紀的である。
 市民と専門家の対話と協働のデザインによる「まち育て」の方法を、「場所の力」という普遍的切り口として提示した本書は、自分のまち・都市に関心を持つ人々の必読書である。
(千葉大学/延藤安弘)


訳者のもとに届けられた私信を、ご本人の許可を得て掲載しております。


「場所の力」を御恵与いただき誠に有難うございます。
非常に興味深い、そして魅力的な本で私共の専門にとって大事な観点だと痛感致しております。これまでも別の言葉で感じかつ記述されていたことが、このようにうまく整理されているのに感服致しました。
── 井手久登(東大名誉教授)

このたびはドロレス・ハイデンの「場所の力」の本訳書ご恵送くださりありがとうございました。
すでに自分で求めていて、これはスゴイと共感あつくしていたところです。「場所」がキーワードの時代がやってきました。
── 延藤安弘(千葉大教授)

いい書名ですね。在外研究の成果がこうした形で後に残るのはじつに充実していていいですね。これからも期待しています。
── 西村幸夫(東大教授)

新学期初頭恒例の本あさりを梅田の紀伊国屋でしていたおり、目にとまって立ち読みしていた本でした。当然買いました。
巻頭の解説、守旧的景観研究、環境デザインからの決別、あらたな協働型場所づくりへの決意表明として読ませていただきました。熟読させていただきます。
── 山崎寿一(神戸大学)

先ほどまで例によって九州を歩き回り、「場所の力」を一身に浴びてきました。
私の場合、ほとんどアニミズムに近い感覚なのですが200年あまりの社会資本に囲まれているだけでこうした発想を育む人々の知恵というものを感じさせる著作だと思います。
パラパラと見ただけの印象に過ぎませんがこれからじっくり読ませていただきます。
── 若井康彦(地域計画研究所)

アメリカの社会学などが空間形成の歴史に身近であることは感じていましたが、その具体例を多く拝読して勉強させていただきます。場所は人間がやはりつくっているんだなあと楽しみに読ませていただきます。
── 宇杉和夫(日本大学)








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