美しい都市をつくる権利
美と憲法のことを考えていたら、なぜか急にヒトラーが気になった。本書の冒頭に見たように現在の日本は大変きな臭い。しかも、この本を書こうと思った二〇〇〇年八月ごろには思いもしなかった、テロ戦争や不審船撃破といった事態が立て続けに、私流の言い方をすれば、まるで絵を描いたように起きた。日本の今と当時のドイツは財政がひどくピンチであるという点が共通している。そこに歴史の法則どおりに、「戦争」のようなものが発生し、これに対応して、自民党のタカ派といわれる人だけでなく、野党第一党の民主党のなかからも、憲法九条の改正が話題にのぼるようになって、戦争はなぜ起こるのか、日本の憲法九条はそれを防げるかを考えざるを得なくなった。そしてそれは美しい都市とどのように関連するのかなどを見ていたら、ふとヒトラーに収斂していったというような感じなのである。
いくつか資料などを見ていくうちに、東秀紀著『ヒトラーの建築家』(NHK出版 二〇〇〇年)という魅惑的な本に出会った。一九三〇年代初頭、世界憲法史上最も開明的な憲法とされたワイマール憲法を持つワイマール共和国のもとで、それこそ民主主義の名においてナチスが台頭するという逆説のなかで、ヒトラーに見い出されて、ヒトラーの唯一の友人として、ベルリンを中心とする首都改造計画「ゲルマニア」を担当する建築家アルベルト・シュペーアの栄光と悲惨の物語である。彼は、最初、若き美貌の映画監督リーフェンシュタールとともにニュウルンベルグの党大会の会場設計を担当した。これが認められ総督府の建築家になり、次第に出世し、軍需大臣になって戦争を闘う。
敗戦とともに、同じニュウルンベルグで開かれ国際法廷によって、@侵略戦争に対する共同謀議、A平和に対する罪、B戦争放棄違反、C人道に対する罪(ユダヤ人虐殺の罪)によって裁かれた。その彼が法廷で次のように述べる。
「この数年にわたる悲惨な戦争は、単にヒトラーの人格だけで引き起こされたものではなく、彼が駆使した技術の結果である。技術時代の独裁者は、情報通信手段だけで国家を操ることができる。その結果として、国民は無批判に命令を受け取り、行動するようになった。
よって必要なのは、技術が発展する一方で、個人の自由と各人の自覚を高めることだ」と。それではどうしたらよいのか。
その方法として、彼は芸術の意義を掲げた。「建築、小説、詩、音楽、美術、映画。芸術は古来、個人の力業によって生み出され、自由を謳歌し、文化の大切さを訴えた。それは人々に自らの生の意味と、これからの社会についての考える機会を与え続けてきたのである。
ナチス政権下において、芸術はヒトラー礼賛のプロパガンダとして使われてきたけれども、本来はむしろ逆に、精神の自由の砦であらねばならない」というのが彼の有罪の認諾とともになされた最終弁論であった(詳しくはアルベルト・シュペーア著、品田豊治訳『第三帝国の神殿にて ナチス軍需相の証言 上下』中公文庫、二〇〇一年)。
シュペーアは戦争に加担し敗れた。しかし、連合軍がわずかすぐ近くまで攻めてきているドイツのハイデルブルグで、ヒトラーの焦土作戦(ドイツ軍撤退にあたって電気、ガス、水道、道路、橋、建物など何もかも破壊する)は食い止められた。
この焦土作戦の命令を無視して阻止したのがシュペーアであった。ハイデルブルグがあまりにも美しかったからである。
本書で私達は世界と日本の美しい都市を見てきた。
私の理解によれば、二十一世紀の今日、シュぺーアがいうように、芸術はもはや建築、小説、詩など個別分野ごとにひとりの優れた英雄だけが担うのではない。それは市民が全員で創るものであり、英雄の作品も市民に還元されてこそ意味を持つ。そしてその最大の作品は都市である。これまで主力産業であった公共事業の削減、長引く不況、そして国だけでなく、自治体の財政危機もあって、まちづくりは現代日本の緊急かつ本質的な課題となっている。
しかし日本はかつてのドイツや戦前の日本のように暗黒ではない。情報は公開され、市民は総理大臣や知事、議員を自ら選ぶことができ、彼らが自分達の意見を聞かないと考えられるときには、選挙あるいは住民投票などによって自分達の意見を発表し、事業を中止させることができるようになった。
また世界はつながっている。経済、情報、食料、エネルギー、これらすべてが今や世界とともにあるのであり、どれか一つでもトラブルが起これば、どの国もたちゆかないという状態になっている。従って世界中のどの国も紛争を望まない。また、その様な事態が発生したら、全力を挙げて無益なことをやめさせるよう努力するであろう。
日本はバブル崩壊以降、価値観の変革が迫られている。右上がりの思考は転換され、それとともに、何よりも貴重な価値としてお金よりも、命や健康とともに環境や安心といったものが尊重されるようになった。バブル時代、私達はあまりにも都市や自然を壊しすぎた。もう超高層も高速道路もいらない。できれば両親を介護できる程度に広い住宅、子供を一人で遊ばせておくことのできる広場や地域、そしてきれいな海や川、これが欲しい。欲しいというだけでなく、みんなで改善したい、創りたいと思い始めた。誰でも美しい都市に住みたい。
この価値観と欲求はもう誰も壊せないし、後戻りさせることができない。「美しい都市をつくる権利」は、これを、国民の最高規範である憲法によって保障しようという提案だ。市民の力はヒトラーやシュぺーアよりも強い。また日本は、ドイツ憲法にはなかった九条を持っている。私は本書の最後に、美しい都市は戦争を食い止める最大の武器となるかもしれないと書いた。京都はその美しさによってアメリカの爆撃から免れた。ドイツのハイデルブルグもその美しさによってヒトラーの破壊から免れた。ならばそのような都市を全世界に創らなければならない。憲法九条はこの美しい都市をつくる権利を基盤に持つことによって、より生き生きとし力強くなる。このテーマは、緊急で本質的な課題だというだけでなく日本の運命を左右するものとなるであろう。
本書は私達美しい都市プロジェクトの参加メンバー全員(池上修一、オオシロ・アリーシア、オオシロ・ミツコ、佐宗喜久子、戸矢晃一、西田裕子、萩原淳司、松居秀子、松本徹意)の共同討議によって作られた。厳密にいえば、エディンバラを除き、最初、五十嵐が現地を調査した後、執筆のコンセプトを提案し、以下に見るメンバーが主にこの提案をうらづける資料を探し、互いに討議しながら、最後に五十嵐が主となって執筆するという方法を採っている。エディンバラは五十嵐が提案した後、西田が執筆し、これを五十嵐が補正するという方法を採った。
なお戸矢は主として編集を担当し、池上は写真などを集めてくれたほか、常に「美」についての最も強烈な論敵となってくれた。
なお初出誌(本書収録にあたって大幅に改変した)、及び主たる参加者は次のとおりである。
第一章 なぜ美しい都市なのか? 五十嵐(『ビオシテイ』一九号 二〇〇〇年)
第二章 一、コナ・最後の楽園 五十嵐、オオシロ・アリーシア、オオシロ・ミツコ(『ビオシテイ』一九号 二〇〇〇年)
二、鞆の浦・迎賓都市の虚構 五十嵐、松居(『ビオシテイ』二〇号 二〇〇一年)
三、コロンバス・美の競演 五十嵐、萩原、松本(『ビオシテイ』二一号 二〇〇一年)
四、新治村・それぞれの実直 五十嵐、佐宗(書き下ろし)
五、エディンバラ・英国で最も美しい街 五十嵐、西田(書き下ろし)
六、国立市・合法性と正当性の対立 五十嵐(書き下ろし)
第三章 美しい都市をつくる権利 五十嵐(『造景』二八号 二〇〇〇年八月号)
本書で予告しているように、私達は今後も、「美と民主主義」「美と祈り」といった角度から美の論点を突き詰める決意でいる。私達の考え方に共感したみなさんが、それぞれの地域で美しい都市を創るなかで、ときに私達と協力し、意見の交換ができればと考えている。本書が「美」についてはもとより、「美しい都市」についても「創る権利」についても答えを示したのではなく、それらを探し続けるための出発点だからである。
その延長上に、なぜ、二〇〇一年九月十一日、テロリスト達が近代建築の最も象徴的なビルであったニューヨークの貿易センタービルをターゲットにしたか、という問いに対する答えを探していきたい。美しい都市が戦争に負けないか否か、これが正念場である。
本書は私個人の経過でいえば『美の条例』(野口和雄、池上修一との共著、学芸出版社、一九九六年)、『創造学の誕生』(小松和彦との対談『ビオシティ』二〇〇〇年)に引き続く、いわば「美」のシリーズの第三弾である。少しずつ進歩しているかどうか、こころもとないが、今回も多くの人達に迎え入れられればこれほどの喜びはない。いつものように出版の手配をしていただいた学芸出版社前田裕資さん、及び、今回もきれいな装丁を行なってくれた春田ゆかりさんに改めて御礼を申し上げたい。
二〇〇二年 一月一日 著者代表 五十嵐敬喜
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