神山進化論
人口減少を可能性に変えるまちづくり



はじめに ──なぜ、神山は進化し続けるのか?

 「消滅可能性都市」という言葉がある。
 少子化や人口流出にこのまま歯止めがかからなければ、消滅する可能性がある自治体のことを言う。民間の研究グループ・日本創成会議が2014年5月に発表した、全国の自治体の半数は消滅する可能性があるというレポートの中で使われて注目された。
 たしかに人口減少と少子高齢化が急速に進む地方を取材に歩くたび、持続可能性を急速に失いつつある状況を目の当たりにする。若者や子どもの姿を見かけるのは稀で、小中学校の統廃合が進む。担い手のいない田畑は次々と耕作放棄地となり、美しい田園風景は失われつつある。地域の経済は衰退し、働き口を求めて都会へと向かう若年層の流出に歯止めがかからない。
 八方塞がりに見える地方の現状にどうやって風穴を開ければいいのか。そんなことを考えているとき、四国の山奥に不思議な田舎町があることを知った。
 それが徳島県の神山町だった。
 徳島市中心部から南西に、川沿いの曲がりくねった国道438号を車で走り、最後に長いトンネルを抜けると、45分ほどで神山町に辿り着く。周囲を標高1000メートル級の山々に囲まれ、総面積の83%を山林が占める。吉野川の支流で一級河川の清流・鮎喰(あくい)川が町を流れている。四国霊場十二番札所の焼山寺と神山温泉があるが、ほかにこれといった観光地はない。産業も特産のスダチの生産量こそ日本一だが、かつて町を支えた林業は見る影もない。
 そんな神山町は1955年に阿野村、下しも分ぶん上山村、神領(じんりょう)村、鬼籠野(おろの)村、上分(かみぶん)上山村の5村の合併によって誕生した。合併時に2万人を超えていた人口は、2015年の国勢調査で約5300人、ほぼ4分の1に減った。高齢化率は48%に達し、人口減少と高齢化が際立つ典型的な過疎の町だ。日本創成会議のレポートでも、全国で20番目に「消滅可能性が極めて高い」と宣告されている。
 ところが、神山町には都会から若者が次々と移り住んでくる。2008年からの8年間だけでも少なく見積もって91世帯、161人にのぼる。それもウェブデザイナー、コンピュータグラフィックスのエンジニア、アーティスト、料理人やオーダーメイドの靴職人などクリエイティブな職業の若者が多い。
 さらに不思議なのは、IT(情報技術)ベンチャーが次々と進出してくることだ。東京や大阪からやってきて、サテライトオフィスを構えたり、町に本社をおく新会社を立ち上げたりした会社は2011年以降、16社にのぼる。
 そんな町には、地方再生のヒントを得ようと、全国から視察が相次いでいる。この3年間だけでも約1000団体、約6500人。大企業の社長や国会議員、中央省庁の官僚、各地の自治体の関係者が足を運ぶ。
 しかし、実は神山町のすごさはここから先にある。2015年の地方創生戦略づくりをきっかけに、今、町ではさまざまなプロジェクトが同時並行で進んでいる。
 その一つ、「フードハブ・プロジェクト」は、「地産地食」を進め、農業の担い手を育成し、「食」を通じて地域をつなぎ直そうとしている。日本の農業を再生させるかもしれない壮大な挑戦だ。
 神山の木を使って、神山の大工が建てる集合住宅づくりも音を立てて進んでいる。衰退した林業を振興させ、建設業の担い手を育てるだけでなく、多面的な狙いがあり、住まいをつくるプロジェクトがそのまま「まちづくり」になっている。
 さらに、町で唯一の高校でありながら、地域との関わりが薄く、浮いた存在だった農業高校を、地域の未来を担うリーダーを育てる拠点として再生する教育プロジェクトも進んでいる。
 しかも、そうしたプロジェクトは、行政と民間、元からの住民と移り住んだ住民たちが連携し、一体となって進めている。エンジンの役割を果たす「神山つなぐ公社」という実動部隊には多士済々の若いスタッフたちが集まっている。
 神山を「IT企業が進出して移住者が多い町」としか認識していないとすれば、大きな間違いだ。この町は、進化を続けている。
 なんの変哲もなさそうに思える過疎の町は、なぜ進化し続けるのか?
 その謎に迫ることができれば、多くの地域の参考になるかもしれない。
 そこで、2016年春から神山町の取材を始めた。100人を超す人たちを取材するなかで多くの気づきがあり、驚きがあった。
 さあ、不思議な田舎町の話を始めたい。