強い地元企業をつくる
事業承継で生まれ変わった10の実践

はじめに

 昨今、「地方のデザイン」や「ソーシャルビジネス」、「まちづくり」など地域に山積する課題を解決するためのキーワードを耳にすることが多い。
 本書は「なんとか地元を活性化したい」「他の地方では成功例も耳にするようになったが、うちの地元はどうにかならないのか」「デザインの力を使って地方を盛り上げたい」と考えている人に読んでもらいたい。
 私もその1人であったが、単に「デザイン」や「まちづくり」など魔法のような言葉だけで地方は本当に良くならないことがわかってきた。
 ではどうすればよいかと聞かれると、地元企業が「自分の中や地域に存在する資源」を徹底的に考え抜き、事業者が楽しみながら仕事をして潤っていくことだと考えている。それこそが、スピードは遅くとも確実に地域が活性化していくための答えである。
 私は大嫌いであった田舎を出て進学、デザイン事務所に就職し、10年ほどインテリアを中心としたデザイン業務に従事してきた。
 しかし、その時「地方とデザイン」に対して、このままではいけないと考えさせられる出来事があった。
 それは国内需要の減少から元気のなくなりつつあった全国の伝統工芸地に、補助金を使い有名デザイナーが入り、新たなデザインを施すことで世界に販売していくプロジェクトに営業企画として参加したことだった。
 私が関わっていた産地は、デザイナーの才能により当初はヒットしたものの、その後すぐに売れなくなった。ここだけでなくほかの多くの産地でも、デザインされた商品在庫が売れ残り、補助金が切れればデザイナーはそこにはいなくなるという悲惨な状況が起こっていると容易に想像できる。
 デザイナーたちが素晴らしいデザインをし、伝統工芸や地方の可能性を示してくれたことに関して、尊敬と感謝の念はあるが、自分の地元がそうであったらと考えると正直嫌であった。
 田舎の地元は決して好きではなかったが、自分が生まれ育った場所を誰かにデザインでかき回されてしまうような気がして、やりきれない気持ちになった。
 考えれば考えるほど、「自分の地元を自分でデザインしたい」という気持ちが強くなっていった。
 そこで都市部と地元をつなぐ交流人口を増やすことが重要だと考え、イベントを行おうと決意した。
 しかし、我が地元には都市部から人を呼んでくる強力な観光資源がそれほどなかった。あったとしても、一つ一つが車での移動が不可欠なほど離れており、目の前には田園風景がひたすら広がるという状況。地元の人も「何もない」と言う中で、神社仏閣、景勝地だけに頼らず、山や川、田園やそこに注がれる日光やそよぐ風など、「何もないと言われている目の前に広がる景色こそが資源」と捉えた。そこで、田園風景に音楽やアートやマルシェなど、今楽しみたい文化のエッセンスを付け加えた「歌とピクニック」というイベントを2010年から計画し、地元新聞社や市役所などを駆けずり回ってプレゼンテーションした。
 大変苦労したが、想いを共にした実行委員の助けもあり、「何もない」と言われていた地元の山の中の会場に、都市部からの来場者を含め予想をはるかに超える2000人もの方々が来場し、自分の想いが通じたと感涙した。
 狙い通り都市部と地元との交流が促され、社会課題を解決するソーシャルデザインの注目の事例として、メディアに取り上げられるようになった。
 確かに地元を良くする活動として評価をされ、来場者数を含め、想像を超える結果となったことからも一定の成功を収めたと言える。だがそれを続ける気力がなくなってしまった。非常に労力がかかる上に、その労力に対する対価がどうしても捻出できないということが大きな原因である。
 イベント自体の収支は黒字だったが、それは私を含む実行委委員、サポートスタッフのすべてがボランティアであったために成り立っていた。人件費を考えると大赤字であった。
 具体的に計画を始めた2010年から、イベントの調整や準備に予想外の時間がかかった。会社勤めであった私の休日で補えばなんとかなるという甘い考えはもろくも崩れ、退社を余儀なくされた。イベントの準備や設営に毎日奔走し、何ヶ月も無給状態が続いていく現状に限界が見え、これをずっとやり続けることは不可能だと感じた。自分がまちをデザインすると宣言して始めたイベントではあったが、恥ずかしながら続けることができなかった。
 自らの力不足に落ち込みながらも、まだ地元を良くしたいと考える中、地元の商工会から声がかかった。これまで売れていた商品が売れなくなり、売上げの減少に悩む地元企業を支援してほしいという依頼であった。それは地元の特産でもある黒枝豆のパッケージデザインであったが、デザインを支援した商品が運良くヒットした。
 そのやり取りで事業者と様々な話をしていく中で、あることに気づいた。それは、地元の事業者の武器は地域に存在する資源そのものであるということだ。その武器を使い、売上げを伸ばすことで雇用を増やし、さらに設備投資を行い、さらなる地域資源を作っていた。自分のまちの資源を最大限に活用し、時流に見合う商売として売上げを伸ばし、新たな雇用だけでなく、地域の誇りを生んでいる。この事業者は、農業を通じて交流人口を増やしたいと言っていたが、実際に観光いちご園などで都市部との交流人口も増やしている。
 事業者としては売上げ向上のために当たり前のことかもしれないが、自ら地元をデザインしようと躍起になっていた私から見ると、当然のように経済活動として地元を良くするその姿に学ぶところがあった。
 地元を良くする活動にボランティアで取り組んでいた私からすると、地域の資源を活かし、経済活動を通して持続的に地元に還元するその姿はまさに、「自分のまちは自分でデザインする」ことにつながると感じた。これがきっかけとなり、地域の資源を活かし、これからの地元企業を作っていくことが、継続的に地域を良くすることになると信じるようになり、それを支援するデザイン会社を立ち上げ、活動を続けている。
 そこでは「事業者が自分らしくある」ことがポイントになる。
 地域の人や、特有の地形や、そこから生まれてくる特産などの地域資源を、後を引き継いだ事業者が自らのパーソナリティを活かして、楽しく事業を展開する。どこにも真似のできないアイデンティティを明確化し、伝わりやすくデザインしていくことが、地元を継続的に良くしていくプレイヤーを作ることにつながると確信した。地方創生は、役所や支援機関だけの仕事ではない。
 「自分のまちは自分でデザインする」。それは、誰かが良くしてくれるのを待つのではなく、目の前に広がる変えがたい資源を、自分の夢の達成に活用することだ。
 それが地元の活性化につながり、日本全体に血流を促す第一歩であることは間違いない。

慨ASI DESIGN 近藤清人