フラノマルシェはまちをどう変えたか
「まちの滞留拠点」が高める地域内経済循環

はじめに

 商店街の空き店舗に注目が集まるようになったのは1990年代初頭であり、それ以降、各地で空き店舗対策事業が取り組まれた。しかし、90年代の後半期には、特に地方都市を中心に、もはや単なる商店街の問題ではなく中心市街地全体が疲弊していることが問題だと認識されるようになった。1998(平成10)年の「まちづくり三法」体制は、そうした時代の流れを象徴していた。それからおよそ20年の時が経過した。まちづくり三法は2006(平成18)年に大幅な見直しが行われ、2013(平成25)年には中心市街地活性化法の再見直しも行われた。
 こうした大きな流れを受けて、多くの都市で中心市街地の活性化に向けた取り組みが行われてきた。それによって、実際に活気を取り戻した都市がないわけではないが、懸命の努力にもかかわらず、なかなか成果をあげることのできない都市が多いのも現実である。そして、2014(平成26)年、政府はついに問題は地方都市そのものの衰退にあるとして、地方創生に本格的に取り組む姿勢を打ち出した。地方都市の活性化は今や国をあげての課題だと言っても過言ではない。
 しかし、地方都市の活性化はかつてのような大規模な開発や工場誘致によって達成できるものではない。人口の減少に歯止めがかかるめどは立たず、超高齢社会がさらに加速していく中では、かつてのような経済成長の継続を期待することは難しい。その中で地方都市の活性化を図ろうとすれば、地域における経済循環の仕組みそのものを作り変えていく必要があるのではないか。私たちの身体と健康になぞらえて言えば、大きな外科的手術を施すよりも、地味ではあるがじっくりと体質改善をはかり、免疫力のある体づくりを進める必要があるということである。問題は多面的であり、成果が現れるまでには相当の時間が必要かもしれない。それでも、それに取り組まなければならない。それが私たちの共通の認識であった。
 多くの都市が模索を続ける中で、北海道富良野市の取り組みは間違いなく大きな成果をあげたと評価してよい。人口2万3000人にも満たない小さな都市で、まさに奇跡とも呼べるような成果が現れた。一体、富良野では何が行われたのか。富良野が成功事例だとすれば、そこから学ぶことはあるはずだ。では、私たちは一体、何を富良野から学ぶべきなのか。表面的な事業内容や事業手法を真似してみても始まらない。学べるものは都市によって違ってくるとしても、富良野から何かを学び取ろうとすれば、富良野の取り組みの深部に深く立ち入る必要がある。多くの複雑に絡み合う要因を解きほぐし、どのようにして体質改善を成し遂げることができたのかを、正確に理解することが欠かせない。
 富良野は数少ない成功事例として注目を集めているため、多くの賞を受けているし、すでに多くの紹介記事等も存在する。そんな中で、あえてここに1冊の書物としてまとめようとした意図は、ただこの1点に尽きている。本書で分析しているのは富良野の事例だけである。しかし、富良野がどのような経過の中で、どのように体質を改善していったのか。その神髄は全国の地方都市に広くあてはまる問題を投げかけていると信じている。本書が、地方都市の活性化に真剣に取り組もうとしている多くの関係者に少しでもお役に立つことを心から願っている。

2017年9月
執筆者を代表して
石原武政