都市縮小時代の土地利用計画
多様な都市空間創出へ向けた課題と対応策

あとがき

 超高齢化社会を迎える日本において、死亡率が出生率を上回ることによる人口動態要因が人口減少や都市縮小の大きな要因であることに替わりはないが、東京の一極集中による地方の一種の疲弊は、日本に特有の様相と言える。東京(及びその他の大都市圏)に経済的資本や知的資源、あるいは政治的権限等が集中することによる弊害は、漠然と地方には働き場所がないと認識されることで一層若い人材が離れることであり、人材の枯渇は地方再生に対して、少なからず大都市圏に縁のある人材が関わらないと、その達成を困難にしつつある。このことは地方都市のオリジナリティや固有性をさらに弱めることに繋がるだろう。かくいう我々、都市計画の分野でも皮肉なことが起こっている。大学は大都市圏に集中しているのであるが、研究対象としての最前線課題である都市縮小は地方ほど深刻であるという事実である。よって、大都市圏に生活し、地方の生活感に疎い研究者がこの課題に取り組むということになるのである。
 このような中で、都市縮小問題を論じるシンポジウム等で、必ずといってよいほど発せされる問いかけがある。それは「都市の集約化はいかに可能か」というものである。人口が減るから都市の器も小さくてよいはずだ。だとすれば、それはコンパクトな形態が環境負荷も小さく、財政的負担も少なく、高齢者にも優しいだろう、と。確かに合理的な論理ではある。が、そこには、かつて石川栄耀が強調したような、都市の娯楽性や余暇の充実といったアメニティ的な視点は見えにくく、集約化という言葉がもつ後退的な印象はぬぐえないのも事実である。また、この問いかけを地方の生活感に疎い研究者が捉えた場合、地方都市の多様性を無視した、金太郎飴的な集約型都市構造の適用も懸念されるのである。
 本書では、各執筆者が自らの地方都市(や首都圏の人口減少地域)の関わりを基に各章を書いている。ある章では問題提起がなされ、ある章ではその先の提案までが具体的に示された。各章が出揃い、一通り読んだ上で我々が議論したことは、各章を演繹的にとりまとめ、一つの論として包括化するというよりも、各章のリアリティを地方の生活感に裏打ちされた各論として理解しながら、「都市の集約化」の問いかけに関わる違和感に関してであった。つまり、計画的な都市縮小の必要性とは、新たな都市空間を創造する重要な機会ではないか、ということである。「都市の集約化」はその一側面にすぎない。その機会をものにするためには何が必要であるのか? 本書のサブタイトルを「多様な都市空間の創出に向けて」とした理由はここにあり、そのことを結章にまとめている。もちろん、多様な都市空間の具体や実態と、これを必要とする新しい生活像は今後生まれてくるものも多かろう。本書がこうした視点を提供し、新しい議論を開示できたのだとすれば、幸いである。
 本書をとりまとめるにあたり、多くの方々のご協力を賜った。この場を借りて御礼を申し上げたい。
2017年2月  日本建築学会都市計画委員会土地利用問題小委員会