ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか

質を高めるメカニズム

はじめに─400年間「最新」であり続けるまち

エアランゲンというまち
 筆者の住むエアランゲン市はドイツ南部のバイエルン州北部の自治体である。州都ミュンヘンから北へ200キロほどのところにある人口約10万人のまちだ。同市はほぼ平地で77平方キロメートル。フュルト市(人口約11万人)と第2の州都といわれるニュルンベルク市(人口約50万人)が隣接している。
 ドイツの行政区はいくつかの種類がある。州ごとに異なるのでやや複雑だが、バイエルン州においてエアランゲン市は「郡独立都市」という行政区分である。同州の場合「基礎自治体」に相当する自治体が2056ある。多くが71の「郡」に属しているが、郡に属さない都市「郡独立都市」が25。エアランゲンはその25のうちの一つで、基礎自治体の中で独立性の高い行政区分といえるだろう。
 またヨーロッパ、とりわけドイツでは一般にStadtmitte(都市の中心市街地)があり、その多くは中世都市の要素が残っている。中世都市の要素とは都市を囲む城壁があり、その中には教会、市役所、市場、広場などがあった。エアランゲンも、もともと市壁に囲まれていた範囲がおおよそ現在の中心市街地であり、取り壊された市壁の跡も残っている。
 今日のエアランゲンを見ると、大学町であり、グローバル企業のシーメンス社の医療開発部門がある。市も経済政策として医療技術を推進しているが、医療関連のみならずハイテク関連にも強い。たとえばデジタル音声データ形式の代表ともいえるMP3もエアランゲン市内のフラウンホーファー研究所で開発された。労働市場の状況も安定しており、1人あたりのGDPは7万7622ユーロ(2014年)。ドイツの平均GDPの3万6000ユーロ(2014年)を大きく上回る。
 経済のみならず、文化も充実している。ヨーロッパの多くのまちでは文化フェスティバルが行われるが、エアランゲンも同様に、毎年「詩人の祭典」という文学フェスティバルが開催され、2年ごとに「国際コミック・サロン」と人形パフォーマンスの「フィギュアフェスティバル」が開催される。福祉関連の施設や活動も数多く展開され、観光地ではないものの、一言でいえば文化的で落ち着いた雰囲気の小さな都市である。


時代に合った経済を生みだし、都市を発展させる
 ドイツの都市は独立性が高い。地方分権型国家という制度がそれを支えているが、それだけではない。都市そのものが独自に発展する力を持っているようだ。エアランゲンでも、都市発展の波があるが、まちが衰退しそうな局面になると、「次のカード」で興隆してくる。
 まずは17世紀。30年戦争が終わってみると人口は激減し、まちはボロボロになっていた。戦争終結から20年後、エアランゲンを治めていた貴族は、フランスで迫害されていたプロテスタント系の教徒に居住権を与えた。フランスからやってきた彼らは帽子、手袋、白なめし皮などをつくる、当時の最新技術を持っていた。その結果、輸出志向型の経済が発展した。しかし19世紀初頭、中欧の再編成などの影響で伝統的市場を失ってしまう。19世紀末には最後の帽子工場も閉鎖された。
 ところが、エアランゲンの北部には小高い丘があった。そこに冷蔵貯蔵庫のトンネルをたくさんつくり、19世紀半ばには18社がビールを製造する「ビール・シティ」として発展した。しかし、冷蔵技術の発展で、エアランゲンの優位性は20世紀初頭に後退する。
 また、エアランゲンは大学町としても知られているが、19世紀半ば過ぎ、エアランゲン大学の機械エンジニア、エルヴィン・モーリッツ・ライニガーらが電子医療や物理装置の製造を開始する。これが今日のシーメンス社の医療部門に発展する。大学が設立されたのは18世紀半ばだが、その約130年後、大学の人材がスピンオフしたという感じだろうか。20世紀前半には電気計測器や世界初の光露出計が販売されるなど「ハイテク都市」としての萌芽が見られる。
 また、19世紀半ば過ぎからガス、電気などのエネルギー供給の整備が始まる。この半世紀ぐらいの市長の代表的な仕事を見ると、上下水道や公共交通、主要道路など、インフラ系の整備が進められているのがわかる。とりわけテオドア・クリッペル(在職期間1892~1929年)は工業化を進めた。37年という在職期間中、企業家たちと一緒に都市をつくっていった。
 20世紀半ばになると、モータリゼーションが本格化する。市街地に自動車が走り、広場は駐車場になった。また戦後、空襲で廃墟となったベルリンからシーメンス社が拠点を求めて、エネルギーや知的インフラの揃ったエアランゲンに移転してきた。これで一気に人口が増加し、経済発展に至った。
 そうすると今度は環境汚染が問題になり、当時の市長ディトマー・ハールベーク博士(在職期間1972~96年)は自然保護、自転車道などの交通政策に着手した。経済発展と伴走するかのように「環境都市」へと舵を切った。
 その後、東西ドイツ統一によって、一時景気も良かったが、やがて後退する。老舗企業が倒産したり、シーメンス社も医療技術などの部署を残して、他市へ移転してしまった。そこで前市長シーグフリード・バライス博士(在職期間1996~2014年)が「医療・健康都市」を掲げた。自転車道を健康都市戦略の一部に位置づけるなど、環境負荷の低い「最新の都市」として発展させている。
 都市の発展には広い意味でのクリエイティビティが求められる。すなわち、次のビジョンを描けるか、それを実行する戦略と勇気があるかにかかっている。それを担保しているのが都市の課題をオープンに、パブリックに議論できる機能であり、自治の力だ。エアランゲンは400年にわたって都市をアップデートし続け、質を向上させてきた。本書ではそんな創造性が生まれる都市の生態系を解説していく。
 なおドイツの地方自治のしくみは州によって多少違いがあるのだが、エアランゲン市の場合、上級市長(1人)と市長(2人)というポジションがある。本書では「市長」と「副市長」という書き方で進めていく。