図説 都市空間の構想力


まえがき

混乱した日本の都市空間
 日本の都市は見るからに乱雑で空間は何の脈絡もなくできあがっているようだとしばしば言われる。たしかにどこの駅前に降り立っても同じような商業ビルが出迎えてくれるし、通りの風景にもこれといって固有性が感じられないところがほとんどであると言わざるを得ない。
 しかし、振り返ってみると城下町や宿場町など、日本の都市の大半は計画的に建設された都市なので、それらが全く無秩序に生まれてきたわけではない。また、自然発生的に生成した小規模の聚落にしても、山や川、台地や谷地など地形の起伏が非常に細やかな日本において、聚落の立地や道の付け方など、全く無計画に現在に至っているとは考えがたい。さらに日本人の感性においても、八景を愛でるといった伝統や浮世絵に描かれた多くの風景を持つ日本人は、けっして景観の美に鈍感だったわけではない。
 ではなぜ、それなりの計画的意図に支えられているはずの日本の都市空間とそれを鑑賞する感性を持った日本人がこのように無秩序に見える都市風景をつくってしまったのか。──それにはいろいろな理由が挙げられる。
 第一に、うわものとしての建築物の改変の程度が大きかったため、建築物として表現される地域の個性がなかなか感受できないことがある。戦災や高度成長といった社会背景と建て替え圧力の高い木造建築物といった物理的な要因が相まって、建築物の記憶に乏しい都市風景が生産されていったと言わざるを得ない。
 特に、戦後に生まれた住宅などの建築物を商品として売り買いする習慣は、建物の寿命を短くし、いたずらに他と異なる姿形をした住宅を大量に生み出し、地域全体としての調和を生み出すことに成功しなかったと言えるだろう。
 第二に、そもそも木造でできた日本の都市は火災に弱く、かつ定期的な手入れが必要なため、変化に寛容であり、むしろ新しく清らかなものを尊重するという文化を育んできたという側面がある。石や煉瓦の文化であれば、建物のどこかに過去の痕跡を探ることは不可能ではないが、木造では多くの場合全てが一からつくり直されるため、過去の継承も容易ではない。
 確かに石と煉瓦の建物からなっている都市であれば、都市の歴史は建物に刻まれることによって後世にも容易に読み取れると言えるが、紙と木でできた日本の都市では、建物に頼って都市の経歴を知ることは困難だと言える。

都市構造から見えてくる都市空間の「意図」
 しかしながら、都市の建築物という表層に過度にとらわれず、建物を成り立たせている都市の構造というところに一歩踏み込んで、実際の都市空間を目を凝らして見つめ直してみると、わずかな街路の屈曲から大きな都市の軸線まで、様々なスケールにおいて都市空間が形成されてきた「意図」とでも言うべきものを見出すことができる。
 とりわけ日本の国土は、あるいは小さな尾根や谷が入り交じり、あるいは海岸線が入り組むなど、細かで豊かな地形的な変化に富んでいる。気候のうえでも豪雪地帯から亜熱帯まで幅広い。さらには台風常襲地もあれば、津波を警戒しなければならないところまで多様である。それぞれの都市や集落は、その立地から細かな街路の線形に至るまで、こうした外部環境との応答の中でその姿かたちが規定されてきたのであるから、そこに都市空間の構想力、ビジョンというものを見出すことができるはずである。
 そこまで下降して都市空間を見つめ直すことを通して、都市をデザインするということの初原的な姿に触れることができるのではないか、いやむしろ、日本の都市空間はデザインの「意図」にあふれているのではないか。表層的な乱雑さに目を奪われて、本来、日本の都市空間が持つ豊饒な構想力が見過ごされているのではないか。──これが私たち、東京大学都市デザイン研究室の一つの出発点であった。
 ただし、都市にしろ集落にしろ、長い年月の中で多様な変容を蓄積して今日に至っているので、それを読み取るのは容易ではない。一見無個性になってしまったように見える都市を注意深い目と頑強な足とで巡り、地域の人々の声に耳を傾け、ハレとケの生活を体感することを通して、地域理解を深めていく必要がある。そうした経験を経て、目の前にある都市空間が持っている「意図」がある時、意味のあるつながりとして見えてくることになる。

都市デザインの出発点として
 都市デザインの出発点として、巨大な土木インフラを構想するということも大事であるが、それと同じくらい、いやそれよりもさらに重要なこととして、現在に至る実際の都市空間が保有する空間の質を丁寧に読み解き、これを現代の視点で受け継ぎ、地域と共有し、次代へ向けてその構想を受け継ぐことにあるのではないか。──こうした問題意識を持って全国各地のまちづくりを支援し、調査プロジェクトを進めていく中で、具体的な都市空間の部分部分が保持している空間デザイン上の様々な解法や意図に出会い、それらを読み解くことから地域の個性を抽出する作業を行ってきた。
 もとよりそうした作業に終わりはないが、現時点でこれまで携わってきたフィールドから得た都市空間の構想力という視点をひとまず地域にお返ししたいと考えた。こうしたものの見方を多くの方々と共有することによって地域を見る目にゆるやかな包絡線が引かれ、地域を束ねる一つの共通認識が生まれてくることにつながるのではないかと思うからである。多くの場合、都市デザインはこうした共通認識の延長上に思い描かれるべきものである。
 そして同時に本書の作業は、私たち都市デザイン研究室が長年行ってきた調査プロジェクトの実践に論理的・学問的支柱をうち立てる作業でもある。
 確かに都市デザインの作業はこの時点で終るべき性格のものではない。むしろこの地点はささやかな出発点に過ぎないと言える。このあとにクリエイティビティというジャンプが待っている。時代が変わっているのであるから、過去を越える構想力も必要とされる場面も少なくないだろう。
 ただ、少なくとも、原点から正しく出発したならば、どちら向きにどの角度で創造的なジャンプをすべきなのか、そのジャンプは場違いのものではないと言えるのか、などに関してある一定の感覚が共有されると思う。

共同作業の成果として
 本書に紹介されている固有の都市空間は、都市デザイン研究室として具体的に関わった場所のほか、個々の執筆者が体験してきたプランナーとしての経験の中で出会った空間である。ただ、それぞれの経験も長期にわたるグループワークの中で蓄積されてきたものも多く、読み取ることができた具体的な空間の意図の多くは個人のものであるというよりも共同作業の結果、共有されることになった共通認識である場合が多い。図面も含め多くのメンバーの集合的な作業の成果として本書がある。調査成果の初出やその時々の作業メンバーの一覧は巻末に記している。
 調査にあたり、それぞれの現場で親身になって応対してくださった地元の方々や自治体の担当者にこの場を借りて感謝の意を表したい。また、長期にわたる執筆作業を見守ってくれた学芸出版社の前田裕資社長をはじめとするスタッフの方々にもお礼申し上げる。ありがとうございました。
西村幸夫