地域づくりのプラットフォーム
つながりをつくり、創発をうむ仕組みづくり

おわりに



 車窓からは、青碧せいへきにかすんでいる稜線と田畑がどこまでも広がっているのが見えていた。しばらく読書に夢中になっているうちに、ふと気がつくと風景は一変して、家々が立ち並びだしていた。線路の軋む音が聞こえ、車内ががくんと揺れる。列車はスピードを緩め、ゆるゆるとプラットフォームに滑り込んだ。シューというドアの開く音。たくさんの人たちが大きな荷物を持って通路に列をつくっている。私もトランク一つもって、人の流れについて行った。

 狭い改札を抜けると、二人が迎えにきてくださっていた。わざわざありがとうございます、と声を出そうとしたら、
 「おかえりなさい」
 と日焼けした顔で破顔一笑してくれた。

 この地域には三度目の訪問。今まで一緒になって各地区をまわり、汗をかきながら、たくさんの人たちとどうしたら地域が元気になるか、夜を徹して議論してきた。よそ者の私をこのように受け入れてくださって、何ともいえず清々しい気持ちになった。そして、素直な気持ちで、
 「ただいま」
 といえた。

 やはり、地域の最も大切な資源は人だ。地域にはたくさんの哲人とも呼べるほどの素晴らしい人たちがいる。農作物のこと、山林のこと、海のこと、方言のこと、歴史のこと、文化のこと──それぞれに役者がいる。私は、学生たちと一緒に、数え切れないくらい、このような人たちから学び、それが知や身体の一部を構成していることがわかる。

 昨今、地域は、産業衰退、急激な人口減少など深刻な課題を抱えているところが多い。しかし、地域の人たちが学び合い、力を合わせて、徹底的に議論を交わし、何か行動を始めたらきっと地域は変えられると私は信じている。もちろん時間はかかるし、困難は随処に立ちはだかっているだろう。でも、多くの人たちが活動に参加するようになり、各々でできることや多彩な資源を持ち寄ることで、課題解決の糸口はつかめると期待している。

 本書では、そのためのキーワードとしてプラットフォームという概念を提示した。いろいろな人たちが参集し、活躍するような舞台づくり。これが私たちの目指す地域づくりだ。そのために私たちにできることは何か。いつも自問自答しながら過ごしている。

 そもそも、経営学が専門であった私が地域づくりの教育、研究、実践に携わるようになったのは、2005年に慶應SFCに赴任した直後であった。高知県黒潮町(旧・大方町)で地域づくりの講演会が開催され、砂浜美術館のケース教材を開発することになった。ケース教材は学生たちが現地取材して開発してくれた。そこではじめて地域の人たちの魅力、資源の豊かさに魅せられたと同時に、学生たちのよそ者、若者の力、そして行動力を思い知った。それから、毎年、複数の地域で域学連携の研究プロジェクトを推進するようになった。テーマはそれぞれ異なるが、基本となる考え方は、あくまで、地域の人々が主人公であるということ。私たちは、地域の内発的力を引き出す役割に徹している。そして、人の元気が地域に波及するように心がけている。

 これからも、学生たちと一緒に各地に赴き、「おかえりなさい」と気持ちよく迎えてくださるふるさとが各地にできるように邁進したい。

 もちろん本書には限界もある。取り上げた事例は非営利の活動が多く、事業性については論じていない。また、境界設計と同時にコーディネータの役割も大切であるが、プラットフォーム設計の議論を中核に据えたために今回は割愛している。これらの課題は別の機会に記したい。

 なお、上梓にあたっては、まず、学芸出版社の前田裕資氏にはテーマ設定や内容、まとめ方などで貴重なご意見をいただいた。心から感謝したい。また、学生メンバーと一緒にフィールドに赴き、地域の人々と一緒に悩んだり笑ったり、考え抜いて、汗をかきながら実践するのが私の普段のスタイル。そのため、どうしても現場での時間に追われてしまい、執筆が遅れがちになるといろいろなアドバイスもいただいた。何とかここまでたどり着けて安堵している。

 本書は、一緒に実践に携わっていただいた地域の皆さま、フィールドを駆けまわった学生メンバー、そしてこのような私をあたたかく見守ってくれた慶應SFCの先生方との協働の賜物でもある。また、留守がちな私に文句一ついわずに応援し、支えてくれた家族の力は大きい。今まで関わってくださった全ての方々に感佩かんぱいしたい。

2014年秋
新雪をいただく富士山を眺めながら
飯盛義徳