白熱講義 これからの日本に都市計画は必要ですか





 蓑原敬先生を囲むかたちでの「白熱講義」、自称「次世代都市計画理論研究会」の最初の顔合わせは、2010年11月26日の18時から赤坂のアークヒルズで行った。それから3年半、首都大学東京の秋葉原サテライトを会場にほぼ隔月のペースで議論を続けてきた。最初に集まったメンバーのうち、地方に異動となった堀崎真一氏(国土交通省)が2010年度いっぱいで抜け、2011年6月から建築家の藤村龍至が加わった。1部第1講が行われたのは2011年3月2日、第2講が2011年4月1日、つまり、この間に東日本大震災が起きている。震災直後の不安、戸惑いの記録も含め、私たち自身が都市計画を問い直したプロセスをそのまま伝えている。2部に収録した各メンバーの発表とそれを受けての議論は、2013年6月9日に一日かけて行った。学芸出版社の前田裕資氏、井口夏実氏の関わりを得て丹念な編集、校正が施されたが、基本的には研究会の議論をそのまま記録したものと受け取ってもらっていい。つまり、本書は一種のドキュメンタリーである。
 蓑原先生は毎回のように幅広く深い知見のエッセンスを注ぎ込んだ問題提起や課題整理のレジュメを用意され、事前にメーリングリストで回覧された。メンバーはそのレジュメを読み込んで必死にメモを作成し、研究会に臨んだ。正直、毎回の宿題をこなすのは大変だったが、議論は真剣な知の往還となり、常にほどよい緊張感が漂ったまま、研究会は3年以上続いた。都市計画について、原論にまで立ち返って議論する場は意外なほど少ない。この研究会は私たちに貴重な経験をもたらしてくれたが、その経験を多くの人と共有し、都市計画のこれからにつなげることが本書刊行の動機である。
 講義、議論のテーマは都市計画を巡る様々な面に及んだが、そこには通底する論点、問題意識があった。

日本の都市計画の歪みと現代都市計画への脱皮
 本書の1部の多くは、近代都市計画の発展過程のレビューに費やされている。ピーター・ホールの『明日の都市』などを導き手として、欧米における20世紀の近代都市計画の展開を理解し、かつ21世紀の現代都市計画がいかなる方向に走り出しているのかを見てきた。
 このレビューは、第一に、本場の近代都市計画と日本の都市計画との距離をどう見るか、という問いを投げかけてくる。蓑原先生は「日本の都市計画の歪みを歪みとして見る」ことの重要性を常に強調されていた。近代都市計画の出発点が欧州では市場経済への危惧から来る協同組合主義であるのに対し、日本(をはじめ後進都市計画国)では、国家権力への集権化の流れの中でそれを強化するかたちで導入されたこと、1950年代以降にアメリカを中心に始まった地域科学や1960年代の政府の都市計画に対する市民からの問題提起であった民衆都市計画論などの社会科学の知見を取り込んだ都市計画の理論化は日本ではほとんどフォローされなかったことなど、日本の都市計画の歴史的な展開を冷静に見つめ直してみたのである。この世界標準の都市計画に対する日本の都市計画の歪みを矯正し、近代都市計画を完成させよというのが、こうしたレビューの一つのメッセージである。  しかし一方で、蓑原先生は歪みを矯正するという構図自体が有効性を失っているとも言う。本場の近代都市計画を支えてきたのは、都市社会の未来ビジョンとその実現に向けた合理的な道筋をデザインできるという信念に基づく設計主義であったが、その設計主義自体がすでに歴史的産物となっている。今や「計画」の理念を大きく転換し、現代都市計画へと脱皮させなければならないのである。
 演習編の「都市計画にマスタープランは必要ですか?」「計画よりもシミュレーションに徹するべきではないですか?」という問いと議論は、設計主義を乗り越える現代都市計画論を模索したものである。現実と理想のギャップをどう埋めるかという枠内での問題設定を超えて、マスタープランという理想そのものが本当に必要なのか、可能なのかを問うた。都市縮小の時代に、本当に将来の共通目標像としてのビジョンなどありうるのか。マスタープランは「漸進主義的なプランニングのツール」(姥浦)、「空間に関わる多様な価値観を勘定に入れたシミュレーション」(日埜)として、都市計画の計画性の中心をこれからも支えていくのだろうか。おそらく本書に明解な答えはない。それぞれの現場での具体的な課題への取り組みに答えを見つけ出していきたい。

制度論の前にあるべき都市像の議論
 研究会を始めるにあたって、蓑原先生が会の趣旨としてお話されたことの一つに、都市計画の制度論ではなく、都市像を議論したいということがあった。自民党から民主党への政権交代直前の2009年7月に、国土交通省社会資本整備審議会に都市計画制度小委員会が設置され、都市計画法改正に関する議論が始まっていた。これに合わせ、都市計画制度の抜本的改革に関する議論が盛り上がりを見せていた。しかし、そもそも望むべき都市像の議論なしに、実現ツールとしての都市計画制度の改革などできるのか。赤坂のアークヒルズの最上階から見下ろした東京の捉えどころのない風景の広がりを前にして、制度論の前に都市像をという呼びかけがすっと腑に落ちたことを覚えている。
 では、一体、都市像とは何だろうか。蓑原先生は「それぞれがどんなハビタットの空間イメージを持っているのか」、内省的アプローチからの検討を示唆された。20世紀を通じて、日本の国土全体にハビタットは拡散していき、散逸状態にある。さらにハビタットを支える地域共同体も個人主義の追求の結果、崩壊している。そして、近代において日本固有の街並みモデルは開発されず、その探求の努力も破棄されている。そうした状況のもとで、これからのハビタットを構想し、専門家としての自分の立ち位置をはっきりさせることが宿題となった。
 演習編では、ハビタットのパターンに関する問いかけがいくつかなされた。都市計画のあり方を通じて都市像を論じる、都市計画ならではの都市論が展開された。「都市はなぜ面で計画するのですか?」は、崩壊しつつある面=「街」はこれからも必要なのか、という問いでもあった。「街」を商業やモビリティといった単純な視角で捉えるのではなく、「もっと大きな社会的、経済的、政治的な枠組み」(蓑原)で捉えて初めて、本当に必要かどうかを判断できる。
 一方、「コンパクトシティは暮らしやすい街になりますか?」という問いは、前提とされてきた将来のあるべきハビタット像についてのストレートな議論を誘発した。コンパクトシティが必要とする集中の焦点、定点は街にあるのだろうか。実態は拡散した「間にある都市」である。その現実を正面から捉え、時間軸を入れて議論するしかない。だとすると、もう一つの問い「都市はどのように縮小していくのでしょうか?」が重要となってくる。ランダムに発生する空き家、空き地を通じて縮小する地方都市において、都市像も究極の漸進主義でつくり出されるスポンジ型とならざるを得ないのではないか。私たちのハビタットは、コンパクトシティという実体性を欠いた概念の議論ではなく、現実の都市の動向の丹念な把握によって初めて、構想の端緒につくのだろう。

不連続点と私たちの世代の責務
 議論を続けるなかで、蓑原先生は戦争体験、いや、その前後での日本社会の大転換を引き合いに出しつつ、「私の子ども世代は戦後生まれで成長期の縦割り社会で成功体験を持ってしまったがゆえに、日本の都市計画の歪みに気づかないままだ。しかし、君たち孫の世代は、仕事を始めた時にすでに成長期は終わっており、日本の世界的なプレゼンスが失墜していく様子を目の当たりにし、先行きの見えないなかで、返って冷静に日本の都市計画を見られている。だから、話が通じるのだと思う」という趣旨の発言を繰り返しされた。その一方で、私たちの日常の仕事が漸進的な「まちづくり」に限定されがちであること、地域の文脈やその連続性をアプリオリに善としていることについて、「経験のない世代」という言い方で、おそらく私たちの視野の狭窄に対する警鐘を鳴らそうとして、本来的な「都市計画」から学ぶ必要性を説かれた。あるところでは通じ合い、あるところではすれ違う、40才の差がある二つの世代の関係が、先に述べた研究会の緊張感を生み出していたとも言える。
 そして、この通じ合い、すれ違う微妙な関係を議論の前景に押し出したのが、3.11という「不連続点」(蓑原)であった。メンバーはそれぞれの立場、タイミングで被災地に立ち、津波被害の跡を目の当たりにした。眼の前に広がる状況をタブラ・ラーサ(更地)と捉えるのか、何らかの文脈を見いだせるのか。成長や成熟でもない、破壊と衰退の現場には、日本の都市計画の歪みと現代都市計画への脱皮、都市像とそれを支える制度論、本書で議論したことが全て、課題として存在していた。
 「都市計画はなぜ人と自然の関係性から出発しないのですか?」「都市計画は「時間」とどう向き合っていくのでしょうか?」という二つの問いは、少なくとも私たちの世代が身近に寄り添ってきた現代都市計画において、近代都市計画への批判としてその必要性が提起された土地の自然条件や歴史文脈の読解の意義を改めて問うたものであった。3.11を経験してもなお、タブラ・ラーサという割り切りよりも文脈を紡ぐことに拘る私たちの世代の立場を表明したものである。ランドスケープを読み解き、適切に管理する。過去と向き合い、現在、未来に活かしていく。それらはいずれも人間と環境の関係性の恢復という思いのもと、すでに「まちづくり」の大原則となっている。私たちの世代に課せられているのは、どうしたら「都市計画に展開できる状態」(蓑原)に持っていけるのか、その技術、方法を実践的に見つけることである。その時に初めて、ここで蓑原先生と舌足らずながら議論させてもらったことが説得力を持つのだろう。
 以上のように、このドキュメントは「問い」には満ちているが、「答え」の多くは教えてくれない。蓑原先生は当初、この研究会を「若い研究者研究会」と呼んだ。ただ、私たちも「答え」を探求しながら、今度は自分たちの子ども世代に本当の都市計画を伝える役割を担う立場にいる。蓑原先生に学び、お互いに学び、3.11後の状況に学び、都市計画を巡る本質的な問題に触れたことで、もはや「若い研究者」に甘んじることなく、都市計画を人々の幸福に資する社会技術へと成長、成熟させていく持続的な運動の中核を担っていかないといけない、そうした自覚を持つようになった。本書が都市計画に関心を持つ方々の目を啓くきっかけとなることを願っている。同時に、私たち自身としては、本書を蓑原先生が主催した都市計画学校に通った証しとして、これからの都市計画人生において、大切にしていきたいと思っている。

饗庭伸・姥浦道生・中島直人・野澤千絵・日埜直彦・藤村龍至・村上暁信