「まち歩き」をしかける
コミュニティ・ツーリズムの手ほどき

おわりに


 たかが「まち歩き」でそんなに肩に力を入れる必要はないだろう、楽しく歩けばいいじゃないかと言われそうです。その通りで、好きなようにまちを歩いてもらえば、それでいいのですが、少し気取った歩き方もあるということを知ってもらいたくて、この本を書きました。
 食べること着ることも同じで、ただ食べて空腹が満たされればよい、ただ服を身に着けて飾ればよいというものではありません。おいしいものには食べ方があります。素敵なファッションには着こなし方というものがあります。「まち歩き」には歩き方というものがあるのです。
 そのような「まち歩き」の基本的な作法について、考え方からしくみまで、地域にしかけていくときの企画から実施まで、私が長崎や大阪の仕事を通じて体得してきたことを、ほとんどすべて書きました。

 「まち」は、いまに生きる私たちにとって非常に重要なテーマです。それは、どのような再開発をするか、どの建物を高層ビルに変えるかという問題ではなく、まちに住む人間やまちを訪れる人間がどのようにまちと付き合って生きていくかという問題です。経済原理ではなく、私たちの充足感の原理で、まちといかに関わり合うかという問題です。
 まちが、いくつも集合して都市になります。都市は、オフィスビルやショッピングセンター、住宅、学校、病院、道路、鉄道、上下水といった機能で構成され、経済原理で理解されます。人間と都市の関係は、いかに効率よく機能を使用するかという関係です。それに対して、まちは人間の欲望や情念や哀楽といった日常の生活感覚で成立していて、充足感の原理で理解されます。人間とまちの関係は、いかに気持ちよく関わるかという関係です。
 いま、研究者のあいだで、「都市計画」が「まちづくり」と言い換えられようとしていますが、それは「機能」より「気持ちよさ」の重要性が見直されたからでしょう。
 しかし、観光の分野では依然として「都市観光」が「まち観光」より幅を利かしています。それは、機能による集客力に目が眩んでいるからで、大量に集客することが観光だという頑なな思いこみに囚われているからです。
 しかし、いま、「都市歩き」ではなく「まち歩き」が流行しているのは、実は、「機能の都市」より「気持ちよさのまち」が私たちの人生にとって大問題であるということに多くの人びとが気づいたからです。幸せというのはごく身近な日常にあるのだという当たり前すぎて見過ごされてきたことが、いまさらながらわかるようになってきたからです。
 コミュニティ・ツーリズムは、このような時代感覚によって支えられています。

 この本は、コミュニティ・ツーリズムのしくみについての考え方を、私の体験をもとにまとめておこうとして書きはじめたのですが、その最中に東北の大震災と福島第一原発の事故が発生しました。そこでは、おびただしい数の人びとが自分の「まち」を喪失し、また、強制的に奪われました。その映像を目の当たりにしたときから、私の頭の中で「まち」や「まち歩き」についての考え方が大きく混乱しはじめ、やがて私の思想は共同体としてのまちのあり方を評価する方向に大きく傾斜していきました。やはり、人間はひとりぼっちでは生きられないのですね。
 結局、しくみを書く前に、私なりのまちへの時代感覚を取り混ぜた思想を書いておきたいと考え、本書のような構成になりました。
 この本は、調査研究した成果を発表したものではありません。私が「まち歩き」に関わったこの十年ほどの経験から得た実感をまとめたものにすぎません。しかも『長崎さるく』も『大阪あそ歩』も現在、まだ進行中で、その行く末は見定まっていません。それらに関して、途中経過の報告としても、私の偏った主張だとしても、読んでいただく意味はあるのではないかと考えて書きました。
 在野で市民が引っ張るコミュニティ・ツーリズムを真剣に模索されている人びとに、また、これから「まち歩き」を導入しようという自治体や観光分野の関係者に、本書を参考にしていただければ幸いです。
 この本は、私が考える「まち歩き」について、プロデュースの現場から感じとったことをそのまま書いたもので、理論的な背景はまったくありませんが、この先にコミュニティ・デザインやコンパクト・シティ、ファミリー・ビジネスといった緊急の課題が見えています。また、スウェーデンの政治経済学者ペストフが唱える社会的経済の視点ともおおいに重なってくるでしょう。ナショナルなものが地域モデルになる時代は間もなく終わりそうです。経済基準が地域原理である必要は、もはやありません。「まち歩き」が日本の中央と地方の価値観を変えていくことを、私はひそかに期待しています。

 出版にあたって、何度も貴重なアドバイスをくださった学芸出版社の前田裕資さん、森國洋行さん、資料をまとめてくれた『大阪あそ歩』事務局のスタッフのみなさんに感謝します。ありがとうございました。

二〇一二年四月二十四日
茶谷幸治