転換するグリーン・ツーリズム
広域連携と自立をめざして

結びに

 どんな時代にも転換期はあろうが、日本のグリーン・ツーリズムの世界にも大きな転換期が訪れている。すでに述べたように、日本のグリーン・ツーリズム実践の蓄積が二〇年にも及ぼうとしている。しかし、多くの人々は、未だに「グリーン・ツーリズム」という用語は、一般的に知られていないという。
 「グリーン・ツーリズムには違和感がある」という人も少なくない。恐らくそれは、「グリーン」と「ツーリズム」という、カタカナ用語に対する二重の負のイメージがつきまとっているのではないだろうか。
 しかし、グリーン・ツーリズムの本質的な理念や意義を丁寧に伝えれば、多くの人々は、「グリーン・ツーリズムの言葉は知らなかったが、考え方には共感がもてるし、自らもそうした行動をしている」という。
 点的な実践から広まったわが国のグリーン・ツーリズム。実践の輪の広がりとともに、その内容が多様化し、「何でもありのグリーン・ツーリズム」になりかかっている。そうしたグリーン・ツーリズム実践の転換期における課題を再度整理して結びとしたい。
 第一の課題は、行政権限の縮小化と中間支援機構の役割である。折しも自民党の長期政権に終止符が打たれ、民主党による国家公務員の天下り制限や公共事業の「仕分け作業」が、それまで安泰であった「公務員天国」に根底から揺さぶりをかけている。「もはやNPOの時代となった!」ともいわれる。果たしてそうなのであろうか?
 NPOの代表として、必要な資金や資質の高い人材確保に苦慮してきた者としては、NPOの現実は、それほど楽観的なものでは決してないと感じている。寄付行為に対する社会的評価の低さや、税制面での不十分な優遇性、政府や国における交付金事業や補助事業の硬直性といった現実は、公益事業への専念よりも資金確保に時間をとられる「自転車操業」というNPOの実態につながっている。
 グリーン・ツーリズムの中間支援的機能を担うNPOも、遠野市や安心院町などで幅広い事業展開をみている。しかし、その内実は決して甘いものではない。そこでは、広域合併を進める行政機関とNPOが両輪となって、多元的な実践活動を支援し、地域経営や地域活性へ昇華されうるのかが問われている。その意味では、長野県の南信州観光公社と南信州広域連合の連携が注目されよう。
 「子ども交流プロジェクト」に象徴されるように、国の支援が途絶えつつある中で、事業そのものが縮小化してしまわないように、多様な収益を確保できる事業企画と、幅広いマーケティングが必要である。
 第二の課題は、実践力の質の向上・確保にある。「農林漁家民宿おかあさん一〇〇選」事業に見られるように、二〇年弱の時間の経過とともに、農家民宿や農村民泊、農家レストランや体験型交流等、西欧社会には見られない日本独自の資質の高さを実感できるようになった。しかし、一流ホテルや旅館、フランスのミシュラン推薦の極上のレストランや料理店、「東京ディズニーランド」や各種豪華施設といったものと、グリーン・ツーリズムの農家民宿や農家レストラン等は、ビジネス戦略で対抗できるのか、あるいは対抗すべきなのだろうか?
 観光事業との一線を引くべきという筆者の論点からすれば、「マクドナルド」や「スターバックス」、各種テーマパークの事業展開とグリーン・ツーリズムの実践は、異質のものと捉えるべきであろう。かといって、農家だから、農山漁村だからという素人感覚の「逃げ」は、ビジネスには許されない。グリーン・ツーリズムの妙味は、生きがいや共感、人間的関係の広がりといった「社会的自己実現」(「人儲け」)と、適正規模の収益性の確保とのバランスをとることにある。
 観光サービスとは異なった、交流ホスピタリティの質の向上と確保が、一定程度の量の確保が達成された今日の課題となっている。自家用野菜や取れたての海産物・林産物は、現地立地のツーリズムビジネスの最大の特徴である。どんなに流通制度が改善されても、産地でいただく以上の有利な条件はない。畑で茹でた枝豆のビアガーデンや、船釣りで獲れた魚で作る自前の鮨は、高級料理店では不可能なグリーン・ツーリズムならではの醍醐味だ。そうした条件を最大化できるビジネスセンスや、人間味あふれるおもてなしや、集落みんなで関わるツーリズムの質とは何かを問い続け、その確かな品質を差別化するとともに、連携する仕組みが必要である。
 そして、第三の課題として重層的ネットワークと国際化の進展が必要である。自己完結型ビジネスに終始するのではなく、小規模であっても地域内外の実践者のネットワーク化を図り、さらには国際的なネットワークの下で品質を保障できる体制づくりが求められよう。観光庁の設置の下で「インバウンド」政策が重視されている中、東京・日光・富士山・京都・奈良といった、ステレオタイプの観光に対して、「セカンドステージ」としてのグリーン・ツーリズムが提起されてよい。
 そのためにも、日本型グリーン・ツーリズム実践の基本的理念とも言うべき「身の丈」の「心の交流」を基軸としながら、生活様式の異なる人々への違和感を解消するための衛生管理や、伝統を踏まえた創意工夫の見られる食事、温泉の活用、集落パブの設置等コミュニケーション媒体の工夫、インターネットを活用した情報の受発信手法の改善等が不可欠であろう。
 第四に、持続可能な経営展開に向けた世代間ネットワークも、重要な課題である。山形県立置賜農業高校では、「えき・まち活性化プロジェクト」の展開によって、無人化の憂き目に遭いかけたJR「羽前小松駅」を、有人駅として存続させた。高校生の力で、駅前での自前の農産物産直市や、地元産の「紅大豆」を活かした大福「みつ福」の販売が行なわれて駅が活性化され、NPO法人による運営が実現したのである。このプロジェクトリーダーの渡部さやかさんは、地元住民との交流経験を活かして、グリーン・ツーリズムの実践を目指すことを決意し、その発表が日本学校農業クラブ「文化・生活」の部で、見事最優秀(文部科学大臣賞)を受賞した。
 他にも次世代を担う高校生が、交流活動に積極的に参加している事例は少なくない。そうした住民との協働活動を蓄積しつつ、都市部の大学やNPOとのネットワークが広がれば、さらにその実践の輪が広がるだろう。二〇一〇年一一月に開催される予定の「第九回全国グリーン・ツーリズムネットワーク岐阜・三重大会」では、高校生部会の企画も予定されているが、中等・高等教育期間中にネットワークの機会を作ることは、グリーン・ツーリズム実践の時間的連携にとって重要である。
 第五の課題は、地域活性化のための人材活用と「協発性」の確保である。確かな実践をつないでいる地域では、グリーン・ツーリズムは、多元的な交流活動を通した地域活性化の手法として認識され、観光振興との「棲み分け」も行なわれている。最近では、国の雇用対策として地域への人材派遣が各種行なわれているが、継続的な人材確保が未だ課題として残っている。上述の中間支援機構を担う人材もそうであるが、学生のインターンシップやワーキングホリデーのような、短期的な外部人材投入に加え、NPO法人「地球緑化センター」による「緑のふるさと協力隊」のような、長期にわたる人材派遣が求められる。第6章で紹介した「ギャップイヤー」は、それに加えて大学における職能教育の一環として、あるいは自己実現や自己発見を通した学習意欲の向上といった臨地型教育として、広く制度化されるべきである。
 当面は、農水省や「地球緑化センター」の協力を得ながら、社会実験事業として東洋大学が先鞭を付け、それを学内はもとより、広く大学全体へ普及していくことにより、外部人材の若いエネルギーの投入と柔軟な発想を注入し、さらには卒業後の関わりを期待しつつ、「協発性」を活かした地域資源再生・保全・創生を具現化することが期待される。
 日本のグリーン・ツーリズム実践が、こうした課題を超えて、セカンドステージをダイナミックに展開できれば、困難であっても不可避的な課題である、「都市と農山漁村の均衡ある発展」が可視化できるようになるだろう。行き詰まるような経済不況、悲惨な殺人事件、歯止めが掛からない地方の衰退。社会不安が募り、人々の社会的な関係が切れつつある中で、「命と心」をつなぐ営みがますます重要になっている。
 「命の糧」を食し、感動交流を通して「心の安寧」を確たるものにするツーリズム。それは「観光」の域を超えて、人間福祉の領域への接近を意味する。
 グリーン・ツーリズムの実践研究に身を投じて一六年余り。恩師である故山形大学勝又猛元教授や、母校東北大学元教育学部の社会教育学・教育社会学研究室の先輩諸氏、さらには尊敬する故山崎光博明治大学元教授から学んだものは、常に現場に足を運び、現場から学び、現場からものを考え、現場のためにお返しする、という現場主義である。
 この間、おそらく何千人、いやそれ以上の方々と出会い、感動を共有したかわからない。古希を越え、身の不自由な父を介護する母からは、「学生時代からお前は好きな旅をずっと続けられて幸せだね」といわれる。何一つ親孝行もせずに、「フーテンのトラさん」のように旅を重ねていられるのも、諦めとともに私のわがままな自己実現を理解してくれている家族があってのことである。
 改めて、「農の夢追い人」としての人生の支えになってくださっている多くの方々への感謝の意を表しつつ、そのお礼の気持ちとしてのささやかなお返しを、広く長く深くできるよう、努力を怠らないように心したい。
 最後に、出版に当たって、誠実に研究室や大会に足を運び、公務で筆が進まない私をじっと耐えつつ励ましてくださった、学芸出版社編集部の中木保代さんに、お礼を申し上げたい。実践支援に東奔西走する私に対して、真摯にその現実を理解くださり、忠実な校正を重ねてくださったからこそ、私の思いがここに結実した。多くの方々にその思いが伝わり、少しでも「お役に立てる」本になることを願ってやまない。