環境首都コンテクスト


はじめに
  そのまちは海辺にあった。人口は3万人にも満たない地方都市である。駅から少し歩くと商店街にでる。昼下がりというのに多くの人と行きかう。アーケードはなく電線も地下に埋設されて、空がくっきりとみえる。広めの通りはレンガと石で幾何学模様が描かれている。オープンカフェでは、ゆったりとした時間を楽しむ人々の間を、蝶ネクタイをしたウェイターがきびきびとしかも落ち着いた動きで飲み物を運んでいる。クルマは通りに入ってこないので、戸外でのお茶が楽しそうだ。
 よくみかけるのが乳母車を押す夫婦。双子用のものや小さな日傘の付いたものもある。友人が出会ったのであろうか、乳母車を止めて街角で談笑している。自転車もここでは降りて押している。時計屋の前には車イスに乗った人が2人、ウインドウショッピングを楽しんでいる。オープンカフェにも車イスの人が家族とコーヒーを飲んでいる。年齢も様々、誰もがこの通りで過ごす時間を楽しんでいるようだ。歩いて10数分、両側にあるどの店も閉まっていない。「シャッター街」なんて皮肉な言葉はこの通りにはまったく当てはまらない。人でにぎわう、人が主人公のまちである。
 この商店街に来るのに最も便利な手段は自転車だ。幹線道にはすべて自転車専用レーンがあり、安全で快適に走ることができる。住宅地の道路は、クルマと自転車がともに安全に走れるようにと最高時速が30kmに制限されている。商店街の入り口には大きな駐輪場があるが、それだけではない。商店街の通りのあちらこちらに、数台が止められる駐輪施設が、街並みに合ったデザインをほどこされて設置されている。
 バスも住民の需要に合った運行経路と停留所の配置、そしてダイヤの設定がされているので便利だ。超低床で車内通路もまったく段差がない。車内に車イス、乳母車、自転車を安全に留めておくスペースが確保されている。クルマに乗ることに不便がある町ではない。しかし、自転車、バスが便利に使え、何よりも人が安心して生活を楽しめるまちづくりがなされている。
 町の中では週2回、朝市が開かれている。数十のお店が軒を並べ多くの買い物客で早朝から正午ぐらいまでにぎわいをみせている。日常の食料品を売る店が多いが、雑貨や花を売る店もある。野菜は町の郊外で採られたばかりのものが多い。観光客も訪れるが地元の人の方がずうっと多い。オーガニックの食料品専門の露店にも野菜、ハム・ソーセージ、肉、タマゴ、パンといろいろ出ている。どの店も果物、野菜は無包装、加工食品も必要最小限の包装で売られている。野菜などが並ぶ箱も段ボール製ではなく何度も使える通い箱である。買い物に来ている人々も買い物カゴや布袋を持っている。籐製の買い物カゴも朝市で売られている。その場で食べることができる焼きたてのソーセージは、陶器のお皿にのせて供される。発泡スチロールのトレーは使われていない。

 この町では環境の保全、地域経済の振興、公正な社会という人間社会にとって重要な三つの要素を、うまく合わせて実現しようとしているのが、みえるのではなかろうか。このような町は、現代の日本では夢のようにみえるかもしれない。しかしこの町は地球の上に実在する。
 振り返って日本はどうだろうか。地球温暖化への関心は急速に高まったが、実際に温室効果ガスが減少したのか、といえば残念ながらそうは言えない。かつてジャパン・アズ・ナンバー・ワンと謳歌した経済もバブル崩壊、その後やや持ち直したかと思ったら、サブプライムローンを端緒とする世界不況に沈んでいる。社会をみても年金、健康保険制度があやしくなり、派遣切りが横行し、ワーキング・プアが生まれ「格差」が拡大している。
 地域社会の多くも、自治体は財政難に悩み、経済も明るい見通しは立たない。安全であったはずの社会で、猟奇的な犯罪が頻発している。環境の取り組みも掛け声は大きいが、効果は心もとない。

 なんとも、閉塞感漂う社会になってしまった。その原因についての分析は、この本の主旨ではない。むしろどのようにすれば、私たちの住んでいる日本の社会を変えることができるのか、それを日本の地域社会で実施されている取り組みを中心に、その本質的な意味を分析し、わかりやすく事例を紹介しようとするものである。

 この本で紹介する事例は全て「日本の環境首都コンテスト」で先進事例として選出されたものである。日本の環境首都コンテストは、持続可能で豊かな社会を日本の地域社会から築くことを目的として、2001年から継続的に実施している。これまでに環境のまちづくり、持続可能なまちづくりに積極的に取り組む203の市区町村の参加があった。そのなかで計465事例を先進事例として選んでおり、自治体間で大いに活用をされている。それをもっと多くの方に知っていただこうと、解説も加えて新たにまとめなおした。

 私たちと私たちの子どもや孫の生存とほんとうに豊かな生活を営めるかどうかは、私たちがこの社会を変えることができるのかにかかっている。この本を読まれた方が、他者と社会の多様性を尊重しながら、地域社会を変え、やがて日本を変える行動を各々の立場から起こしてくださることを心より祈念したい。

 この本はどの章からでも読み始めることができるように構成した。
 すぐに地域の先進的な事例を知りたいとお考えの方は、1章を飛ばして2章から読み始めていただきたい。また、地球温暖化防止を本質的にすすめるには、それを地域から行なうには何が必要かとお考えの方は、3章から読まれて、2章、1章と遡っていかれても問題ない。
 この本がなぜ、地域から持続可能な社会を創ろうと主張しているのか、また2章に述べる多様な事例を集めるツールとなった環境首都コンテストについて知りたいと考えられる方は1章から順に読まれることをおすすめする。