大久保は、JR山手線で新宿駅と高田馬場駅の間に位置している。町名では大久保1・2丁目と百人町1・2丁目にあたり、南側は職安通りを挟んで日本最大の歓楽街である歌舞伎町と接している。東側は明治通り、西側は小滝橋通りで囲われ、北側には早稲田大学理工学部や社会保険中央病院など教育・公益施設が並んでいる。大久保の中心部を東西に走る大久保通りが地域の中心軸で、商店街になっている。また大久保通りには、新宿駅からJR山手線外回りで一駅目の「新大久保駅」と、JR中央線各駅停車で一駅目の「大久保駅」という二つの駅がある。
大久保は、JR山手線沿線であるにもかかわらず、東京の人でも、ついこの間までは、よほど特別な用事がないかぎり途中下車するようなまちではなかった。そして大久保と聞くと、男性は「外国人が多くて危なそうなまち」というイメージを抱き、女性ならば「韓流のまち」とこたえる。同じまちで、これほど男性と女性のイメージが異なるまちも珍しいのではないだろうか。なぜ、このような極端な違いが生まれたのか。それは過去10年、15年の間に大久保が驚くべき変貌を遂げてきたからである。
私がはじめて新大久保駅に降り立った1990年当時の第一印象は、正直に言って、なんだか冴えない時代遅れのアーケードが残る商店街にすぎなかった。私の目的は、仲間たち(後に「まち居住研究会」となる。あとがき参照)と大久保で外国人の住宅問題を調査することだった。ニューカマーと呼ばれる外国人が急増し、地域で様々なトラブルが発生していると聞いていたからだ。調査のために商店街の裏側へ入ると、そこは住宅や老朽化した木造アパートが密集する細街路ばかりで、おまけにラブホテルや専門学校が混在する猥雑な雰囲気のある地域だった。そして夕方になると、外国人のお姐さんたちが、ホテル街に立ちはじめた。
ところが2〜3年通っているうちに、細街路の思わぬ場所に外国人の食材店やレストランができはじめ、気がついたら職安通りにはハングルの看板がたくさん並んでいる。当初から経年調査を予定していたわけではなかったが、外国人の住宅事情もまちの風景も日々刻々と変化していくあり様をみて、次第に大久保に惹きつけられていった。あれあれという間にエスニックタウンが出現した。エスニック・フードの流行が追い風になり、大久保で活動する「共住懇」という団体が作成したエスニックレストラン・マップも評判になった。大久保は、かつての「ホテル街と外国人女性」というネガティブなイメージから脱却し、「エスニックレストランのまち」というポジティブなイメージで語られるようになった。
90年代の後半になると、今度は「多文化共生」が時代のキーワードになり、多種多様な外国人が数多く暮らし行き交う大久保は、周囲から多文化共生のモデル都市とみなされた。教育関係者などが視察に訪れ、社会学や地理学の研究者たちの関心が高まった。そして2000年以降、さらにダイナミックなまちの変化を目の当たりにさせられる。02年に日韓共催ワールドカップがあり、03年から全国の日本女性を射止めた韓国ドラマ「冬のソナタ」が放映されたことが大きな契機となり、以前は人通りも少なく殺風景な通りだった職安通りが、今では韓流で賑わう観光地に豹変してしまったのである。
たった10年や15年で、まちは、ここまで変わるものだろうか。大久保1丁目では半数近くが外国人住民になり、地元小学校は公立の多国籍インターナショナル・スクールのような状態だ。そしてホテル街を、中高年女性のグループが楽しそうに韓流ショップを巡りながら歩いている。新大久保駅の改札口は、いつも待合わせで混雑し、大久保通りのアーケードはすっかり取り払われ、明るい街灯の下、人通りも増えている。
大久保に通っているうちに、外国人のレストランオーナーや、商店会や地域の活動団体等とも知り合うようになった。調査の時だけ大久保に行くのとは違い、何気ない日常的な会話の中から様々な地元情報がもたらされる。同時に地元の人々の外国人に対する意識やつきあいが変わっていく過程や、最初は小さな店から商売をはじめた外国人や、身近にいた留学生がほんの数年で成功者になっていく姿をずっと眺めてきた。そして次第に、私の中で謎が膨らんでいった。なぜ大久保では、このようなダイナミックな変化が起こりえたのか。なぜ地元の人々は、外国人という他者をここまで受容することができるのか。そして、そのことは何を意味するのか。
そこで、1990年から現在に至る大久保の変容過程を見つめてきた目撃者として、またその間に「まち居住研究会」として何回か行ってきた実態調査の膨大な資料を糧として、さらに過去の歴史にも遡り、大久保の有する歴史的連続性や、外国人居住、都市空間の変容、バブル経済と地域経済、日本人と外国人との関係など、複層的な切り口から、大久保における都市変容のダイナミズムを描き出したいと思ったのである。「外国人」「エスニック」といった表層的現象の根幹で、今、何が変わろうとしているのか、それを知りたいと考えたのである。
巷では、次々と新しい都市論が語られ、やがて消えていく。本書は、一見すると大久保のガイドブックのように見えるかもしれないが、実は、大久保を通して「都市とは何か」という命題に迫りたいというのが狙いである。
大久保の変化は目まぐるしく、「昨日の大久保は今日の大久保にあらず、今日の大久保と明日の大久保もまた違う」と言っても過言ではない。このようにダイナミックに変貌し続けている大久保を、本書では「オオクボ」と呼びたいと思う。
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