マゾヒスティック・ランドスケープ


はじめに

■風景をめぐる探査から
つい見過ごしてしまうような風景の中から、今まで気づかなかったことが紡ぎだされる。そんな瞬間に出会うことに喜びを感じる。出会うのは、まちを形づくっている道であったり、建物であったり様々である。まちを行き交う人、佇む人に視線を奪われたときは、なおのこと出会いの偶然さに驚き、居合わせたことに嬉しさを感じることさえある。どのような風景に出会ったときに、このような気持ちが芽生えるのだろうか。
もちろん、人それぞれであろうが、その人それぞれの感覚の中に宿る「共通する何か」が見つかったときに、喜びにも似た感覚が呼び起こされてくるのではないだろうか。ふと見渡せば、まちのいたるところに彷徨いながら見えてくる「共通する何か」、すなわち、共同性を得ることができる可能性のかけらが散りばめられていることに気づく。そして、まちに住まう人の生活やそれらを包み込む場所の中からは、今まで気づかなかった共同性なるものが、少しずつではあるが見つけ出していけるような予感がある。
この予感めいたものは、都市を観察するなかから沸々と込み上げてきたものである。LANDSCAPE EXPLORER/ランドスケープ・エクスプローラー(以降L.E.)というチームにおける、文字通り風景をめぐる探査から、徐々にではあるが導き出され共有され始めている。
L.E.は、これからの風景の方向性を模索する場であり、環境や景観のあり方を考えていくために活動しているチームである。これまでに、色々な地域にケーススタディとして、都市のあり方や具体的なランドスケープ・デザインの提案を行ってきている。楽しみながら話しあって、面白いことが一つでも見つかればいい、というような気持ちから始まり、活動を続けている。
提案内容を考えていく過程で、見つけ出せそうな予感がある共同性というものについて、つまりは「パブリック」の捉え方がテーマとして浮かび上がってきたのである。風景のあり方を考えていくなどという、つかみどころのないことに興味を持ったばかりに、避けては通れないテーマとなってしまった。「パブリック」の姿が求められるなかでは、当然、それを大きく支える場所の一つである屋外環境、すなわち、オープンスペースのあり方も話題とならざるをえない。これだけ複雑に絡みあって広がりを見せている都市の状況を前にしていると、途方に暮れてしまうような気がしないでもない。
今、求められている「パブリック」の姿とはどのようものなのか。
やっぱり、気になる。
複雑で混沌としているとさえいえる現在の都市状況に接していると、一義的に「パブリック」の姿を定義しようとすることには、まず、意味がないだろうと思われた。たとえ設定したとしても、表面的で形骸化したものになるのは確実だ。意図されたシナリオに従うことを是としない人々の魅力的な活動をつなぎとめることはできない。どのように捉えて反映することが有効なのか。自然発生的な活動を信じて計画性を極力抑える方向が良いのか。しかし、無計画なことが状況を好転させるとも思えない。それでは、市民参加などのシステムが環境のあり方を救うのか…、あれこれ考えあぐねる。
多様な都市の状況を考えると、ケーススタディを積み重ねることから少しずつ見えてきて、やがて、つながってくるものがあることを信じて、そのプロセスを一つ一つ踏まえていく以外に有効な手法はないのかもしれない、と考えるようになってきた。このような思いを持ちながら展開してきた活動が「パブリック」を考えるきっかけとなっている。提案を構築するプロセスでの風景探査においては、プランニング、デザインを展開する際の源泉となる都市の状況を再認識する必要性があると感じたのである。
ならば、もう一度、現在の「パブリック」の状況を見定めて提案に結びつける方向性を模索してみたい。それが、これから進めていきたいたい話である。都市には、住まう人、訪れる人、それぞれの魅力的な行動がある。その行動によって立ち現れてくる姿に可能性があり、それらが積み重なって形づくられてくる周囲の環境と合わさった風景がある。人々の行動と環境を合わせた風景から、気づかなかった「共通する何か」を紡ぎだしていきたい。
そう、喜びを感じる風景と出会うために。

■パブリックが揺れ動いている
これまでのL.E.は、地域の状況を読み取ることに重きをおいて、ケーススタディとしての提案を行ってきた。そのプロセスにおいて気づき始め、議論してきたことがある。それは、プランニングおよびデザインの中心となるオープンスペースを考える上で前提となる、「パブリック」が揺れ動いているということだ。かつて、都市の「遊歩者」が回遊しながら体感し、人々のライフスタイルを実現する場であったオープンスペース。そして、都市のアイデンティティを創出する空間だとされてきたパブリック・スペースが、目標と意志を失いつつある都市の中で変異し続けている。提案に至る調査のプロセスにおいて、そう感じたのである。
「パブリック」の揺れ動きは、これまでの「公」を形づくってきた大きなシステムの限界によるものなのだろうか。
ここで少し整理しておきたい。「公」と「パブリック」という言葉は分けて考えておきたいのである。「公=パブリック」ではないから、少しややこしい。「公」と「パブリック」のズレは、明治維新以降「パブリック」をどのように和訳するのかを考えた末、「公」=「おおやけ」を当てたことから始まっているといわれることが多い。「パブリック」がヨコの関係を前提とするのに対して、「公」はタテの関係示すものであり、そこから「公」=「官」という意識が醸成されてくる。そもそものねじれがここにあるというものだ。理由はいずれにせよ、ここでは「私=プライベート」の集積が「パブリック」を生み出すのであり、「プライベート」が出会う場が「パブリック」であるということを前提にしたい。
話を戻そう。「公」を形づくってきた大きなシステムの限界といったが、一方で、「公」=「官」の体制は、これまで大きな成果を上げてきた。公園に絞って大雑把に見ても、明治6年に遡る近代的な公園制度の出発点というべき太政官布達公園から始まり、戦災および震災復興を踏まえた公園整備など数多くの施策が進められてきた。しかし、問いたいのは、この成果を現代において活かしていきながら、次代へと受け継いでいくための方策である。これまでの一義的な「パブリック」の姿を想定した施設整備中心の施策では、限界がきているのかもしれないということである。現代社会における人々の行動を集積した多様な「パブリック」を支える公園や、公園に限らず、パブリック・スペースを構築する議論が乏しい。「パブリック」の変異が捉えきれていないのは、このあたりに起因しているのかもしれない。
あるいは、「パブリック」の変異の要因は、市民の多様な視点から生み出されつつある「私」の力によるものなのだろうか。
当然、「プライベート」の積み重ねには可能性が見出せよう。しかし、実際の市民参加における予定調和的な結論を見た場合などにおいては、変異する状況を捉える根本的なものといえるレベルにはないと思われる。意思決定のプロセスとルールづくりが、何によって担保され、促されていくのかが見えていない状況が見受けられる。
それでは、「パブリック」の揺れ動きは、何から起こっているのだろうか。「公」や「私」の区別を超えた新たなシナリオが人々を結びつけ始めているためなのだろうか。明確な答えは見出せないまでも、新たな人々の行動や空間が台頭しつつあるという実感がある。この実感を確かめるためには、都市の状況に起こっている一つ一つの事実を記述して積み重ねていく必要があるのではないかと思われた。
そこで、実際の都市というフィールドに出て、この新しい「状況」に身をゆだねてみることにしたのである。新たな風景をめぐる探査の始まりである。この風景探査から始めた議論と提案を行いたい。そして、都市風景をパブリック・スペースの可能性から捉え直すことで、新たなランドスケープの方向性を模索するきっかけにしたいと考えている。

■パブリック・スタイルという状況を捉える
従来の概念では捉えきれない「状況」が起きつつある。従来の「パブリック」は、制度や土地の所有形態になどに基づいて規定されていた。それが今、人々の行動や空間は、従来の概念を越えて新しい方向に展開し始めている。その全体像を捉えるのは難しい。何が起きているのか。何が支えているのか。
そこで我々は、揺れ動く「パブリック」の状況を把握するために、風景をめぐる探査を行い、都市というフィールドに起きていることを一つ一つ収集することを試みたのである。収集の際には、更新し続けるパブリックの諸相を捉える視点が必要とされた。人の行動と空間を合わせて捉える視点である。これを、「パブリック・スタイル」と呼ぶことにした。把握しづらい変異の全体像を見定めるため、風景探査のおぼろげなる目標像としてスタイルという言葉を採用した。同時代における共有感といえばよいのだろうか、微妙なニュアンスみたいなものを拾い上げたかったということもスタイルを用いた理由である。
我々はフィールドへ出て「状況」に身を置いてみることにした。そこで起きていることを一つ一つ実感しながら写真に記録する。こうして集まった「状況」を解析することによって、次のパブリック・スタイルといえる行動や空間が台頭していることを、全体像としても実感できることにつなげていきたいと考えたのである。

■外部空間装置を探し出す
パブリック・スタイルを把握するために、それが表出する「外部空間装置」を収集することにした。探査は、社会人と学生による50人程度で行った。「パブリックだなぁ」と感じる“新鮮さ”“意外性”“面白さ”などを持っている外部空間装置を一人一人が写真で撮影して、実感した理由を含めて収集し始めたのである。「外部空間装置」とは、パブリック・スペースを支えている人やもの、そこに現れる現象、あるいは都市全体というスケールまで含めた観察の対象である。従来の「パブリック」の考え方では説明できないような行動や空間を「外部空間装置」として記録し、変化し続けるパブリック・スタイルの断面として収集したのである。

■外部空間装置から浮かび上がるもの
フィールドでの探査の結果、次のパブリック・スタイルを予感させる外部空間装置の写真が数多く集められた。1枚の写真に複数のパブリック・スタイルを感じる「状況」に出会ったことが記録されているものも少なくなかった。一元的に捉えにくいのがパブリック・スタイルの特徴である。そこで、撮影者がシャッターを切る瞬間に最も意識した「見方」を重視して外部空間装置を整理した(次頁のフィールドワークシートを参照)。その「見方」は各外部空間装置のタイトルに反映させている。整理された外部空間装置を概観すると、探査に出かけた我々の「見方」にはいくつかの共通点があることに気がついた。
これら、様々なスケールで都市に展開する外部空間装置の読み取りから、更新し続けている「パブリック」の状況の輪郭を描いていくこと、すなわち、パブリック・スタイルのプロファイリングを試みたい。

■「見方」を積み重ねて見えてきたプロファイリング・キーワード
「見方」における共通性は、土地利用、私的な行為、空間の形態、共有された意識などに基づくものだった。これらの「見方」と「状況」とを考えあわすと、揺れ動くパブリック・スタイルを捉えるためのキーワードが浮かび上がってきた。外部空間装置から浮かび上がったキーワードは、今のところ13種類である。もちろん、この「13のキーワード」だけでパブリック・スタイルのすべてを説明できるとは思っていない。ただし、多義的で多面的なパブリック・スタイルの断面を捉えるためのプロファイリング・キーワードとして、何らかの方向性を示してくれているという感触を得ている。「13のキーワード」を元に、今後も変化し続けるパブリックの状況を追い続けたいと思う。