創発まちづくり


あとがき
 私は1993年度から10年間、国土計画や地域計画に関わる民間シンクタンクに勤めた後、2002年7月に独立し、現在の会社を設立した。そして、会社案内には、次のような文を載せた。
複雑化した現代の都市・地域社会は、内部作業や委員会等を通じた調査、研究、提言だけでは解決でできない問題が多くなっています。今後は、行政や住民、NPO、専門家など多様な主体との「交流」「共考(共に考えるという意味の造語)」「協働」が必要であり、その総合調整・進行管理を行うコーディネーターが不可欠と考えられます。
  これは私がまちづくりに取り組む上の基本的な考え方を示したものであり、私自身がコーディネーターとしての役割を果たしてきたいと考えた。しかし、これを実現するために、小さな私の会社だけでは力不足であり、取り組むテーマ等に応じて、各分野の専門家とチームを組んで対応することが必要であった。
  その後、まちづくりの実践に関わる中で、私自身が「交流」「共考」「協働」によるまちづくりのあり方やその手法を整理・体系化したい想いが強くなってきた。それは私自身の考え方を整理するのに役立つとともに、それを発信することで「交流」「共考」「協働」によるまちづくりが進めやすくなるのではないかと考えたからである。この想いを最初に伝えたのは氏原であり、それは2005年1月に瀬戸内しまなみ海道から広島市内へ帰る車中のことであった。瀬戸内の島々とそれらをつなぐ橋、島々の合間にしずむ夕日を見ながら、想いを話し合い、コンサルタントの仕事が一段落する年度初めに改めて話し合おうということにした。
  そして、年度が明けた2005年4月、私と氏原は本書の企画を話し合い、広島を活動拠点とする若手の研究者やコンサルタントで「書こう!」ということになった。そして、集まってもらったのが私と氏原の他に、川名と牛来、吉原であった。その後、執筆者を増やそうということになり、増田と重徳も加わった。また、松波も企画に加わることになった。
  ところで、本書の構想段階では、私は「…を生み出す、引き起こす」「演出する」などの意味を持つ「プロデュース」をテーマとすることを考えていた。しかし、それぞれが書いた草稿を持ち寄ってディスカッションしたり、本書の出版で大変お世話になった学芸出版社の前田裕資さんと意見を交換したりする過程で、主題を「創発まちづくり」とし、もう一つの主要概念として、「管理」「制御」をイメージする「プロデュース」でなく、「創発」の考え方に近い「ファシリテーション」「コーディネーション」「インキュベーション」などの言葉を包括する日本語として「相互作用」を用いることにした。
  このように、提案者である私の企画のいい加減さもあって、出版に至る過程は紆余曲折であったが、共同執筆者や編集者の前田さん、越智さん、知念さんに辛抱強く、かつ積極的に関わってもらうことで、本書を出版することができた。
  そして、本書の内容は、それぞれの執筆者がまちづくりの現場で住民やSOHO、学生たちとともに、語り合い、汗を流し、喜びを分かち合ってきた日々の活動があってこそのものである。その意味で、本文中に実名やイニシャルで登場していただいた各地のまちづくり現場のみなさんにも感謝を申し上げたい。
2005年8月
和田 崇