まちづくり協議会とまちづくり提案


書 評
『計画行政』((財)統計研究会)Vol.29
 「新しい公共」「まちづくり基本条例」「市民協働」などの言葉が、地方行政やコミュニティ政策、まちづくりなどの研究会に出席すると決まり文句のように飛び出してくる。これらの言葉が真に迫ってくるかどうかは、実践の裏づけのあるものかどうかで決まる。と同時に理論的な支柱を必要とすることも事実である。なぜなら、単に現象の流れを追跡したものならルポルタージュでしかないし、その域に達することも至難のわざと言ってもよい。ひところ「まちづくり」に言及する論考に接しても、単にあちこちからかき集めた事例や技法の解説か、耳目を集める都市現象を自らの専門領域から解釈するにとどまるものが多かったような気がする。したがって多くの論考は、普遍性を持ち得ないから、適用の道も閉ざされていたし、その文章の内容についての実際の追跡も検証も十分にできないくらいの主観的な記述のものが多かった。
 この反省のうえにこの種のカテゴリーの本を紐解く必要を感じているのは、おそらく評者ばかりではあるまい。筆者は「コンサルタント」であることを強調し、その立場にこだわりを持って本書の執筆に情熱を傾けていることがひしひしと伝わってくる。「現場」の重要性、それがもたらす豊富な体験とノウハウを本書にできるだけ詰め込もうという欲求が読者にも伝わってくる。文化人類学者クリフォード・ギアツ流に言えば、「厚い記述」なのだ。筆者は、「コンサルタントは『理想を語るべきではない。基礎的でスタンダードな情報をできるだけ多く提供する』べきだ」という姿勢を貫こうとしている。この抑制のきいた姿勢で本書を執筆しようと心がける。その意図が成功したかどうかは、本書をぜひ手にとって読了してから判断してほしい。本書は日本都市計画学会賞を受賞した論文を土台として執筆され、すでに一定の評価を与えられてもいる。
 本書は全体が3部で構成される。第1章ではまちづくりが従来の都市計画とどう違い、どのように補完し合うべきか、その際に行政とコンサルタントはどのようにふるまうべきかの「まちづくりの作法」を一通り概観する。そして、第2章では阪神大震災で最も被害が大きかった地域のひとつ、新長田駅北地区で始まった「まちづくり」のあらましを概観する。第3章では土地区画整理事業にからまる都市計画をハードの基幹施設に関する第1段から住民主導の近隣施設を中心とした第2段の都市計画決定までを「2段階決定方式」というキーワードで説明する。第4章では街づくり協議会の活動プロセスから街づくり提案が作成されるまでを詳細に記述する。第5章では街づくり提案の中身に踏み込む。古代の長田地区に形成されていた条理制にこだわった「協議会主導」の市街地整備計画に焦点を当てる。第6章では長田地区という工業地域、準工業地域、商業地域、近隣商業地域が複雑に絡まりあい、在日外国籍の住民との折り合い、靴メーカーと下請けの問題などを背景にしたうえで、震災後の住宅再建問題に協議会方式が有効かどうかを検証する。第7章では上述した複雑な要因の絡まりあいと産業空洞化、折からの経済低迷化のなかで、地域の活性化の試みと住民間のあるいは住民とビジネスの間の緊張について抑制の効いた記述がなされる。第8章では複雑な線引きがなされた市街地で「景観」を設計し誘導するために、「まちづくりの作法」を介在し、相互の利害調整を紳士協定として成立させること、それを「いえなみ憲章」というぎょうぎょうしいものではなく、もっと住民相互のゆるやかな自発性と自主運営でという願いを込めて住民規範のような「いえなみ基準」と名称変更したエピソードなどを紹介する。第9章では以上で詳述した項目について「まちづくりのあり方」としてまとめている。第10章では筆者の理論的なバックグラウンドの紹介である。「複雑系」でまちづくり協議会の運動を捉えなおそうという試みを軽く触れている。第11章では「まちづくり計画技術」の体系化についての筆者の主張となっている。全体として丁寧なつくりの本といえる。
(中央大学総合政策学部/細野助博)

『建築士』((社)日本建築士会連合会)2006.3
 阪神・淡路大震災の復興には、まちづくり協議会が大きな働きをしたことが知られている。確かに震災後、被災地で多くのまちづくり協議会が生まれたが、この制度は震災前から神戸市の条例に基づいて、すでにかなりの地域で活動を開始していた。
  この本は、震災直後から、被害のひどかった長田地域のまちづくり協議会のコンサルタントをしていた著者の実践の記録である。震災の記録はたくさんあるが、まちづくり協議会を軸にした、10年にわたる記録は珍しい。
  “行政やコンサルタントは、自然な動きに手を添えるものだけ”と謙虚に述べているが、大変な努力の跡がその行間から読み取れる。
  その結果、まちづくりの提案だけでなく、景観形成市民協定「いえなみ協定」までに発展している。震災後は、プレファブ住宅の展示場のような町並みになったと嘆く人もいるが、実際にこの町を歩いてみると、あの大変な時期に景観まで考えていたことを知り、改めてこの地域のまちづくり協議会の活動に感動させられた。
  震災後のまちづくり協議会は、特殊な状況であったが、著者は客観的に観察し、平常時に置き換えて一般化しようと努力をしている。
  この本は、全国のまちづくりに携わっている人には大変参考になる力作である。読んでみると、都市計画学会賞をもらった意味も良くわかった。
(大海一雄)

『都市問題』((財)東京市政調査会)2005.11
「複雑系」理論で読み解くまちづくり活動
  阪神・淡路大震災は都市に多くの悲劇と犠牲をもたらした。現在、復興しつつある神戸のまちは、この多大な犠牲を乗り越えて築き上げられたことを我々は忘れてはならない。
  一方、復興に向けられた住民らのエネルギーは、平常時とは比べものにならない規模、密度、スピードで、住民主導のまちづくりを進展し拡大させた。その絶え間ない活動によって、住民主導まちづくりの可能性を世間に知らしめたとともに、その活動組織である「まちづくり協議会」の言葉も一般に定着するに至った。
  筆者は、新長田駅北地区東部の震災復興において10年間にわたりまちづくり協議会の現場で支援してきたまちづくりコンサルタントである。本書では、このまちづくり協議会活動の実態の記録、観察を通じて、まちづくりの概念や計画システムの抽出を試み、まちづくり活動の普遍的な解明をめざしている。特筆すべきは、「複雑系」の理論を援用して協議会活動のプロセスの解釈を試みた点にある。
  本書は、3部11章から構成されている。第T部「まちづくりとは何か」(第1〜2章)では、震災復興を通じて筆者の考える「まちづくり」の概念やその支援技術について整理している。第U部「まちづくり協議会活動の実際」(第3〜9章)では、10年間にわたる新長田駅北地区東部の震災復興まちづくりの実情を、まちづくり組織、市街地整備計画、共同建替、産業復興、景観づくりなど重要トピックスごとに克明に記録している。そして、第V部「まちづくりシステムを探る」(第10〜11章)で、これらの協議会活動の観察・分析をもとに、まちづくりの計画技術の体系化を試みている。
  第1章で、まず筆者は「まちづくり」と「都市計画」の関係について考察している。社会資本・都市環境の整備及び法律による土地・建物の統制が主である「都市計画」に対比し、「まちづくり」とは「地区の改善を持続的に行う住民主体の活動」と定義する。震災後、住民主導のまちづくりが市街地復興の大きな流れとなるなかで、兵庫県は「2段階都市計画決定方式」(*1)を導入する。この新たな計画手法に対して筆者は、広域的・長期的観点からの地域形成の枠組みである「都市計画」と、協議会によるボトムアップの「まちづくり」との連携を可能とする2階層の計画システムの下地を整えたものと評価する。
  第2章では、まちづくりの支援技術を整理している。コンサルタントである筆者は、ここで次の問いかけを行う。協議会のまちづくり活動は、生命体のように進化あるいは衰退へと向かうものだ。協議会への支援のあり方も、ある一時点に対応した支援のみならず、「協議会活動のプロセスに着目し、その活動の現象を捉え、いかに対応していくか」を解明すべき課題としなければならないのではないか。
  こうした問題提起を踏まえ、第3章から第9章にかけて、新長田駅北地区東部におけるまちづくり協議会活動の軌跡──筆者の言葉を借りれば、まちづくりの「追体験」(203頁)が始まる。
  第3章で、震災復興まちづくりの前提となる区画整理事業の概要が、第4章でまちづくり協議会活動の10年間の発展プロセスが解説される。続いて、当地区の特徴的活動である市街地整備計画の提案(第5章)、区画整理との連動による共同建替事業(第6章)、ケミカルシューズ産業の再興を狙った産業復興ビジョンづくり(第7章)、景観形成ルール「いえなみ基準」の策定(第8章)について紹介され、第9章においてこうしたボトムアップのプロセスを支えた条件と要因について整理がなされる。
  とくに評者が興味を引かれたのは、第4章のまちづくり協議会活動の発展プロセスである。当初、まちづくり協議会は、身近な街区単位ごとに自然発生的に林立する。震災直後の無政府状態が功を奏し、押し付けでない小規模な自主的組織が次々と発生し、多数のまちづくりリーダーが生まれる。個別協議会ごとに区画整理への提案を積み重ねるうちに、街区を越えた調整の必要から、次第に協議会相互の連携が始まる。まもなく問題意識の共有化が起こり、産業ビジョンや景観づくりへと提案が発展し、地区全体へと活動が拡がっていく。この「部分組織」から「地区全体のまちづくり組織」へ、「事業系協議会」から「ビジョン系協議会」へと進化を遂げていくさまを、現場からの観察ならではの記述で追体験することができる。
  この復興まちづくりの観察を経て、第V部・第10章からは、協議会活動に対する独創的な解析が語られる。「協議会活動での現象をどう理解し、どう対応すべきか」という命題に対して筆者曰く「『まちづくり協議会』の特質を、『複雑系』として捉えてみれば(中略)この疑問がするすると氷解していくのを感じた」。すなわち、まちづくりは部分組織から始まり、まちづくり提案を積み上げるうちに協議会同士の連携が形成され、地区全体の組織化と計画づくりへと進化・発展していく──こうした一連の流れを「複雑系」理論の「自己組織化」(*2)と「創発」(*3)で説明することができるという。そして、自己組織化された「部分組織」をうまく連鎖・ネットワークさせ、「創発」のきっかけとなる「小さな揺らぎ」を共振化させることが、まちづくり活動の持続性につながるのだという。そのため、まちづくりの支援技術も、従来の「計画する」技術から「計画を促す」技術に大きく転換すべきとの提案を行い、本書を締め括っている。

  さて、そもそも「複雑系」とは、「多くの要素からなり、部分が全体に、全体が部分に影響しあって複雑に振る舞う系」(三省堂『デイリー新語辞典』)のことをいう。気象、経済、生態系などの現象にみられ、従来の統計手法(多変量解析、回帰曲線等)ではシステムの解析をすることが困難であり、新たな理論構築、高精度の測定技術、コンピュータの活用によってこれらの現象の解明・予測を目指す研究領域である。
  本書の試みのように、多くの個人・部分・全体が絶えず相互作用するまちづくり活動を「複雑系」として捉えることは確かに妥当だといえるだろう。無論、「複雑系」を援用したとしても、コンピュータ解析によってまちづくり活動を将来予測することなど、単なる夢想に過ぎない。しかし、コンサルタントや行政が手探りでまちづくりを進め、何が最適な進め方か評価するすべもない現状において、ターニングポイントの兆しとなる「小さな揺らぎ」を的確に捕捉することの重要性など、まちづくり支援技術の一種の「拠り所」を掲げることには成功したといえる。
  また、まちづくり活動は、予測不可能なものであり、コンサルタントや行政が恣意的に「予定調和型」へ誘導しようとすると往々にして活動の衰退を招く。まちづくりの大きな可能性を信じて「開放系の未来」を許容すべきであるとの指摘も、本書から得られる大きな示唆である。

  本書では、「協議会活動が終わればまちづくりは終わる」とのフレーズがたびたび使われる。ここには、震災から10年を迎え、多くの協議会が解散しまちづくり活動が衰退しつつある現実を見据える筆者の危機感が窺われる。だからこそ、現在でも協議会活動が進化しつつある新長田駅北地区東部の震災復興まちづくりのプロセスに着目し、その継続の仕組みを読み解こうとした。
  また、筆者は繰り返し「まちづくりは生きたシステムである」とも語っている。「生きたシステム」の解明に「複雑系」理論を求め、まちづくり活動への援用可能性を論証しようとした。これは、まさに「まちづくりを科学する」試みといえよう。
  これまでまちづくりの成功の記録は、まちづくりリーダーやコンサルタントの資質や個性、経験則といったアプローチから理念的に語られてきた側面が多くあった。しかし本書は、「複雑系」理論を援用し、まちづくり活動を継続的に進化させる手法の科学的解明に果敢に挑戦した。ここに本書の大きな意義を見いだすのである。
(東京市政調査会研究室長/三宅博史)

*1 2段階都市計画決定方式:第1段階めには根幹的都市施設を都市計画決定し、第2段階めに住民意向を反映させて身近な道路・公園、地区計画等を都市計画決定する方式(本書26頁)。
*2 自己組織化:混沌とした状況の中から自発的に秩序を形成すること(同208頁)。
*3 創発:個や部分の自発性が自己組織化して、全体の高度な秩序を生み出す現象、そして上の階層のシステムが逆に部分に影響力を持つ現象(同208頁)。