まちづくり協議会とまちづくり提案


あとがき

 司馬遼太郎氏は「火星人の目と地下(じげ)の人の目」という言葉を遺しています(関川夏央『司馬遼太郎の「かたち」』)。火星人の眼とは、物事を俯瞰的にみるということ、地下の人の目とは、庶民、すなわち権力からほど遠く、ひたむきに生きている人間の視線をいわれているようです。これは、新聞記者に対してこの二つの眼を持たなければならないと語ったもののようですが、これはまちづくりを支援する者にとっても貴重な言葉です。
  震災復興まちづくりで、私はこの二つの眼からたいへん多くのことを学ばせてもらえたことに感謝しないわけにはいきません。一つめの眼は、いうまでもなく、新長田駅北地区東部まちづくりの現場からです。もう一つの眼は、震災直後からの専門家ネットワークや学会の先生方や仲間との議論の場からです。筆者が得た知見は、並行して進んだ二つの場での知見のフィードバックから得られたものです。
  新長田駅北地区東部のまちづくりが、混沌とした状況から多くの人の力により今日の姿があるように、本書も並行しながら多くの人々の力を得て自然にできあがったように思います。
  まちづくり協議会が活動を止めていれば、当地区の今日のまちづくりはなく、もちろん本書も存在しません。10年の歳月にはすでに亡くなられた方や地区外に移転された方もいます。このような状況の中、私生活を犠牲にしながら今日まで一貫してまちづくり協議会のリーダー・役員として苦労してこられた横山祥一さん、野村勝さんをはじめとした多くの人々に深く敬意を表したいと思います。歴史は、このような人々の活動と努力によってつくられていくように思います。

  あらためて復興まちづくりを振り返ると、神戸市のまちづくりに対する支援体制や施策など、震災前からの蓄積の深さを感じます。都市計画総局都市整備課、区画整理課、地域支援室、工務課、施設課、産業振興局工業課、西部建設事務所、こうべまちづくりセンター、長田区役所などの当地区の担当者は、住民主導まちづくりの支援に大きな努力を払ってこられたと思います。また当地区での私のコンサルタント活動においては、三好庸隆、貴志義昭、平田滋、根津昌彦、森崎輝行、松下慶治の諸氏をはじめ多くの各部門のスペシャリストの参画が大きな力となりました。
  協議会における部分組織相互の共振化はもちろんのこと、行政の部分組織、専門家の部分組織、これらの多くの部分組織それぞれが共振化し、その結果として町としての創発と進化があるといってよいと思います。
  小林郁雄さんが主宰する阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワークの「きんもくせい」に当地区まちづくりの記録を連載させていただきました。この連載は私的なノートというべきもので、書くことによって混沌とした私の頭の中を整理することに役立ちました。このネットワークが復興まちづくり支援に果たした役割は、たいへん大きかったと思います。
  日本都市計画学会や都市環境デザイン会議の鳴海邦碩大阪大学教授をはじめとした先生方による復興まちづくりの後方支援から、コンサルタント活動を進めるうえで多くの示唆を得ることができました。

  まえがきでも少しふれましたが、本書は、平成15年3月、大阪市立大学に博士論文として提出した「新長田駅北地区東部震災復興土地区画整理事業における住民主導のまちづくりシステムについての研究」がベースとなっています。この論文は、当時大阪市立大学教授の土井幸平先生(現大東文化大学教授)からのお勧めとたいへん貴重なアドバイスの賜物であり、先生がおられなければ、日の目を見ることはありませんでした。この論文は、平成15年度日本都市計画学会賞(論文賞)に選ばれ、独立行政法人日本学術振興会平成17年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)の交付を受けて、本書として出版することができました。
  出版するにあたって、「まちづくり」というものの普遍的な解明であることを鮮明にするため、上の論文に加筆し再構成をしました。本書の構成については学芸出版社の前田裕資さんから多くのアイデアをいただき、担当の越智和子さんにお世話をおかけいたしました。
  第7章については、当地区まちづくりの背後で震災後に激動した長田シューズ産業界の状況がなかなか客観的につかめず、最後まで原稿が定まらなかったのですが、神戸市の三谷陽造さんに原稿に眼を通していただき、ご意見をいただいたことが大きな力になりました。
  コンサルタント活動や本書の出版には、たいへん多くの方々からご助力をいただいたことをあらためて感じます。感謝の気持ちでいっぱいです。
  おわりに私事になりますが、コンサルタント人生に専念できるようにと生活を支えてくれ、また本書の校正においても手伝ってくれた妻純子に感謝します。

2005年7月
久保光弘