不完全都市

書 評

『地域開発』((財)日本地域開発センター) 2004. 8
  都市空間の20世紀を特徴づけたのは、大災害、資本主義、戦争、イデオロギーなどによってもたらされた「破壊/再建」の繰り返しである、と著者は言う。都市とは、誰が、誰のために、何のために、何を再建するのか、といった社会的・政治的な摩擦が存在し、常に変化し続ける「競合の空間」であり、不完全な空間である。破壊された都市を再建するために用いられる都市計画とは、こうした不完全な空間に対して特定の定義を与えようとする技術である。
  本書では、「破壊/再建」を経験した事例として、神戸の震災復興における住宅再建、「世界都市」ニューヨークの低所得者の排除と住宅問題、そしてグラウンド・ゼロの再開発、ベルリンのドイツ統一後の都市開発をとりあげ、それぞれの「破壊/再建」のプロセスを追い、「競合の空間」において意図された都市計画が生み出したひずみが描かれている。
  「破壊/再建」という筆者の視点が大変面白い。都市空間に対する新たな見方を提供してくれる1冊である。

『アルパックニュースレター』 vol. 127
  本書は「都市の再生」に関する本であるが、いわゆる「都市再生」の本ではない。「不完全都市」とは、都市はそもそも不完全であり、また時には破壊・崩壊を経験し、そこからの再生を模索する。
  本書では不完全都市、その破壊/再生の検証の対象として、神戸、ニューヨーク、ベルリンを取り上げている。
  「神戸」においては、都市計画決定の過程、震災時の“合意形成”の持つ意味について、論じた後、震災後に露呈した市街地空間の変質(地蔵などの移動、消滅)、復興の過程とファンタジー化された住宅展示場などとの対比などが論じられている。また、復興の過程は、バブルの崩壊とともに住宅所有の不安の時代へと続いていく。神戸の模索はルミナリエという一大ファンタジーへと展開する。それは希望なのか、幻影なのか…
  「ニューヨーク」は、アフォーダブル住宅の危機を迎えていた。これについては、前著書「コミュニティベースト・ハウジング」に詳しいが、グラウンド・ゼロを迎え、世界のそしてニューヨークの象徴的建築物であるWTC(ワールドトレードセンター)を失った。筆者は、ニューヨークの再生を公共空間としての都市の再興として捉えられるとし、ツインタワーとは何であったのか、ランドマークが消滅した場所から何を構想すべきなのかという問題が議論を呼び起こしていると指摘する。
  「ベルリン」では、都市空間の20世紀とは何であったのかが凝縮されているとする。西ドイツの戦災復興、そして東西ドイツの統一にともなう、東西ベルリンの特殊性に触れる。東ドイツ地域において、唯一西ドイツ領地として細長い線によって支えられてきた西ベルリンと東ベルリンの統合、そして統合後のベルリンでは、ポツダム広場の再開発、ソニーセンター、ダイムラーシティに代表される建設ラッシュ、都市空間の変容・激変が論じられている。ベルリンは「欧州最大の建設現場」と化し、結合と分裂は「競合の空間」を生み出したとしている。
  また、両ドイツの歴史とともに社会・政治的な摩擦の力学が都市形成に及ぼした影響について論じている。
  3つの都市が論じられているわけだが、やはり私にとっては「神戸」が気になった。当時、被災し、復興していく神戸を見ながら、また、業務でも関わりながら、漠然と疑問に感じていたことがまさに指摘、論じられている。その他の都市においても、破壊は一つのきっかけであり、その再生の過程では別の時代性や力学を内包しながら、新たな都市がつくられていくのだと感じた。

『建築とまちづくり』(新建築家技術者集団発行) 2004. 1
 1.17神戸、9.11ニューヨーク、そしてベルリンの壁崩壊。どれもが20世紀から21世紀へと転換するなかで、「破壊」による大きなターニングポイントとなった。著者はその前後の「破壊/再建」過程をみながら、「競合の空間」から生まれる多声はどのように扱われているか、どのようにして多声を尊重すればよいのか、という重要な視点を提示している。20世紀を通じて破壊に遭遇した世界都市はまた、「誰が、誰のために、何のために、何を再建するのか…」という社会的政治的な競合関係から逃れられず、「競合の空間」に投げ出される。空間技術もそこから独立ではあり得ない。「多声に対する寛容こそは都市の特性」を本質とするなら、都市は常に不完全であり、だからこそ可能性も開かれる。こうした都市観からみれば、「再建」の根本問題(それは空間技術の問題でもある)は、「競合の空間」を縮小し多声を抑制しようとする指向性だと言えるだろう。21世紀の今、私たちを取り巻く「再建」過程はこうした指向性を払拭できただろうか。ますます強めているのではないだろうか。
  住み続けてきた居住地の喪失がもたらした「競合の空間」の後退(神戸)、ホームレス・貧困者への居住保障が蓄えてきた多声の「競合の空間」が直面する社会・経済的圧力(ニューヨーク)、東西分断が許容した差異と容認を無効にした統合の政治力学(ベルリン)、著者はこうした場面に立って、住宅・居住を主な対象としつつ、大きな再建プロジェクトも俎上にのせながら、「競合の空間」の伸縮を、急がず冷静に見ることに徹している。
  著者は神戸大学教授で、阪神・淡路大震災被災後も多くの震災復興活動に関わっている。また、大学研究者となる以前に米国を長期にわたって踏査(というか、放浪)し、『コミュニティ・ベースド・ハウジング─現代アメリカの近隣再生』(ドメス出版、1993年)を著わして、NPOによるCDCの可能性を日本に伝えた。そうしたこともあるのだろうか、「被災都市/神戸」を語り「ワイルド・ニューヨーク」を考察する視点には、すぐれた身体感覚が感じられる。一方、イデオロギーが突出し資本主義がすべてを覆い尽くす「グラウンド・ゼロ」や「多重都市/ベルリン」をみる時には、政治、経済の力学を歴史的な認識の中に位置づけ直して、矛盾の真相を探り出そうとする。建築、とくに設計競技による建築デザインは、そうした矛盾のあり様を表出するものとして取り上げられている。そこには内部観察と外部観察という視点の違いがあるようにも思えるが、内部と外部、身体と認識、こうした多様な視点もまた都市をみる上での「競合の空間」をつくっている。

(元)

『室内』((株)工作社) 2003. 10
 都市は、破壊と再建の繰返しである。戦争や災害、事故、そして資本主義という経済社会は、いろんな意味で都市を破壊し、破壊するたびに、人は再び都市を作り上げてきた。
 著者は神戸大学発達科学部の教授として、都市論、住宅政策論の研究を進めている。神戸の震災を目の当りにし、復興に係わる仕事をしてきた。
 神戸はもちろん、テロによる被害を受けたニューヨーク、東西統一の荒波から多くの再開発が進むベルリン。本書では、この3つの都市について、破壊される以前と以後、その過程を、詳細なデータを元に検証している。
 例えば神戸。地震そのものは、自然災害だが、多くの家が崩壊したのは、それまでに人が組立ててきた社会がもたらした結果である。地方自治体がどのような都市計画を行ってきたか。持家政策による住宅供給が、地震という災害とどのように結びついていったか。都市計画、住宅政策、建築規制、再開発、市街地の修復など、多くの技術と政策が集中するなかで、どのように再建事業が行われていったのかを記す一冊。
(未)