不完全都市

はしがき

 

 都市空間の20世紀を特徴づけたのは「破壊/再建」の繰り返しであった。戦争、殺戮、内戦、大災害、資本主義、イデオロギー、大事故……は都市を潰し続けた。都市が壊れるたびに人びとは空間の建て直しに取り組んだ。

 神戸は大地震に見舞われた。潰れた都市の復興のために懸命の努力が重ねられた。ニューヨークは人口と資本を失い、苦境に陥っていた。グローバルに拡大する市場経済は衰弱した都市に再興の機会をもたらした。ベルリンはイデオロギーが引き裂いた異形の空間であった。再び合体した都市では多数の開発事業が進んだ。ツインタワーはテロ攻撃を受けて崩れ落ち、グラウンド・ゼロから都市を再建する仕事が始まった。

 破壊と再建は交錯する。神戸の復興は過去の空間を再現せず、それとは異なる空間を生み出した。マンハッタンでは美麗なランドスケープが出現し、低家賃の住む場所が消失した。ベルリンの統一が招いたのは、どの記憶を救い出し、どの記憶を消し去るのか、という論点であった。何かを再建する作業は別の何かを破壊する。多くの都市が「破壊/再建」の錯綜を経験した。

 都市は不完全な空間として存続する。都市空間の条件とは、そこに住む人間の数が多い、ということである。多数の人間が集まれば、社会が生まれ、政治が勃興する。都市を建設し、あるいは改造しようとするとき、その場所のあり方をめぐって多数の声が発せられる。中央政府、地方政府、政治家、ディベロッパー、投資家、企業、地主、借家人、エリート、貧困者、建築家、社会運動家……は相互に異なる欲求をもっている。空間の変成と再発明は複数の声と欲求が絡み合うなかで継起する。都市の場所に特定の定義を植え付け、完全かつ純粋な空間を完成しようとする試みは必ず抵抗を招く。
 壊れた都市は“競合の空間”を呼び起こす。誰が、誰のために、何のために、何を再建するのか、という問題は社会・政治的な競合関係を誘い出す。滅失した建築物の跡地は無垢の更地ではない。その場所は誰の場所なのか、そこに何を建設するのか、新たな建築は何に貢献するのか、という一連の問題が摩擦の力学を駆動する。
 崩壊した都市を再生し、空間を整理するために、都市計画、住宅政策、建築規制、再開発、市街地修復など、多岐にわたる技術が動員される。この技術を脱政治化した中性の領域のなかに位置づけようとする考え方がある。そこでの中心課題は技術の工夫と洗練である。しかし、都市の場所に構築すべき定義は所与の要件ではありえない。空間が社会・政治的な過程から生まれる限り、そこに介入する技術は摩擦の力学から逃れられない。

 「破壊/再建」の経験が提供するのは、“競合の空間”を取り巻く多声をどのように尊重すればよいのか、という問いである。都市は不完全である限りにおいて、そして不完全であるからこそ、何らかの特定の方向性が強調されるときに、それへの異議と挑戦を呼び出し、新たな可能性に向かって開かれる。都市が人間の多数性を条件として成立しているのであれば、すべての人びとが“競合の空間”に現れる権利を保持してよい。多声に対する寛容こそは都市の特性である。

 神戸に住んでいるので震災に出くわした。復興関係の仕事をしていると、「なんだか珍しい経験をしているなあ」と感じた。しかし、あちこちを歩き回っていると、「破壊/再建」という現象は「とくに珍しいとはいえないなあ」と思った。メトロマニラには貧困者のスラムが広がっていた。衰退したサウス・ブロンクスの光景は被災した神戸に似ていた。香港のマンションは建築としては立派に建っていたが、アジア通貨危機の影響を受けて経済的には崩壊していた。トルコでは壊滅した被災地に雪が降り積もっていた。
 神戸の復興を追跡しながらベルリンに関する文献を読み、ベルリンを踏査しながらニューヨークのことを考え、ニューヨークで調査を続けながら神戸の震災についての雑誌原稿を片づけ、というような毎日のなかで本書を書き進めた。イギリスに出かける準備をしていると、ツインタワーに飛行機が突っ込む光景がテレビに映し出された。ヒースローで厳しい荷物検査を受けながらツインタワーの跡地がどうなるのかを調べようと決めた。

 調査実施、資料収集、図版作成、原稿整理、独語翻訳、仕事環境の整備に関して、一井里映、上枝利栄、木山幸介、瀧浪紀子、武田宏、藤枝真幸、松本舞子、森聖太ほか、多数の方々から協力を得た。出版については前田裕資さんと三原紀代美さんにお世話になった。多大かつ寛容な助力に恵まれ、どうにかこうにか書き終えた。深謝。