なぜ僕らは今、リノベーションを考えるのか

まえがき

その環境に物語を

「足るを知るものは富む」。老子の言葉だ。

僕らが日常接している建築的環境。そのなかでも住環境、仕事環境に対して多くの人が求めているものは何だろう。

利便性、快適性、安全性。その類の要望を挙げる人は多いはずだ。でも実は、利便性や環境性能はいつになっても人を完全に満足させることはないし、テクノロジーは常に更新され続けて、人はよりハイスペックなものに憧れる。日本のプロダクトの安全性は世界的にもトップレベルであることは、誰もが疑う余地のない事実で、日本人の災害や犯罪に対する危機意識も「それなりに」高く、数々のテクノロジーや先進的なサービスが、日々しのぎを削りあって、これに応えようとしている。全てにおいて満たされたかのような現代日本の社会。消費文化においては、わずかに満たされない不足感と、淡い危機感が常に刺激されることによって、経済活動が維持されているかのようだ。

しかし今、多くの人々がテクノロジーや物質的な量や新しさより、むしろ体験やコミュニケーション、あるいはオンリーワンの自分らしさのようなものに、興味を持ち始めている。住環境や仕事環境も同じこと。建築的な環境ニーズは徐々に従来とは違う方向に成長している。街の景観を一変させてしまうような巨大構築物や、似たような街を全国に量産する大型再開発計画に、人々は半ば食傷気味だし、その話題性もかつてのように長続きはしない。一方、裏通りの小さなカフェや立ち飲み屋が話題をさらい、理想の空間はカリスマデザイナーや著名建築家がつくるものではなく、DIY のように自分の意思で、オンリーワンをつくり上げるもの。このような感覚が、急速に一般化しつつある。マイホームの夢も、かつての建てる、買うことを前提とした物質的なことより、中古住宅や賃貸住宅のように、リーズナブルで気軽な環境を利用した「楽しい暮らし」を実現する方向へ、その本質が置き換えられようとしている。

「足るを知る者は富む」。やっと、その言葉に実感を持てる時代がやってきた。経済成長期以降の先人達のおかげで、すでに僕らは十分な物や生活環境を手に入れてきた。有難いことに、生きぬくために足りないものはない。もうこれ以上の物を欲しなくとも造らずとも、僕らはその活用の仕方にあれやこれや想いを巡らせ、使いこなすことで理想の環境を手に入れることができるようになったのだ。造り方を考えるよりも、使い方を考えることは、何倍も楽しい。想像力さえあれば、生活を楽しめる。老子の言葉も、かつては悟りの境地に達しなければ、実感を持ち得なかったはず。でも今は、読みかえれば「想像力豊かな者は富む」と理解できる。

そんな「足るを知る豊かさ」を味わえる時代に、実は足りないことがある。それは肝心の想像力を育むための「物語」。物と物、物と人をつなぐ切っ掛けとなる「物語」だ。僕らは建築的、都市的な環境に「物語」を与えたい。

物質主義の時代に積み重ねられた「物件」の山。既存の「物」や「仕組み」の山の中に宝探しをし、断片化している状況を編集して、物語を紡ぎあげたい。供給側の一方的な押し売りではなく、生活者の想像力を喚起して、成長と変化をもたらす物語。僕らにとって「リノベーション」とは、そんな物語を紡ぎあげるための行為だと思っている。