北欧の建築
エレメント&ディテール





Introduction │ 北欧の建築について


 エリック・グンナール・アスプルンド、アルヴァ・アールト、アルネ・ヤコブセンらの作品をはじめとして、北欧建築の魅力や豊かさは、シンプルで美しく、機能的で人間に優しい、そして時に微笑ましくもなる遊び心が散りばめられたエレメントやディテールに支えられている。
 本書は、デンマーク、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーにおける20世紀以降の建築を中心に、光と色彩、構造と材料、窓といったテーマごとに、優れたエレメントとディテールを持つ事例を集め、紹介するものである。事例の選定に際しては、優れた例であることに加え、北欧らしさを感じられることや応用性があることなどにも留意した。また、日本では馴染みの少ない建築や建築家をこの機会に知ってもらいたいという思いから選んだものもある。
 さて、北欧建築の特徴としては、一般的に、地域に根ざし土地の気候風土に適していること、木や煉瓦などの自然素材が多用され柔らかさや温かみがあること、機能的なことなどが挙げられるが、ここではそれらの基盤となっている思想や背景について記したい。その内容は、私が北欧の建築から学び、建築はこうありたいと考える私的な思いも多分に含んだものではあるが、本書で取り上げる事例を理解するための、また北欧建築の魅力を読み解くための参考になればと思う。

人間中心の建築
北欧の建築から最も強く感じられること、また学ぶべきことは、そこで生活する人間、それを使用する人間を中心に建築が考えられている点である。近代建築の巨匠アールトの言葉、「建築を人間的にする」「建築──その真の姿は、小さな人間が中心に立った所にだけ存在する」は、その思想を象徴するものだ。そのような人間を中心に考える思想は、家具などのより小さなスケールから、地域環境といったより大きなスケールに至るまで浸透している。
 椅子のデザイナーとして世界的にも有名なハンス・ウェグナーは、「椅子は人が座るまで椅子でない」と語っている。そして、「街のアクティビティと都市空間における人間尊重が、都市や市街地の計画で重要な役割を果たす」と語るのは、世界でいち早く歩行者天国をコペンハーゲンにつくり、人間中心の視点でパブリックスペースのつくり方を提唱、実践してきたデンマークの都市計画家ヤン・ゲールだ。
 北欧諸国は、生活の豊かさや幸福度のランキングでは常に上位に挙げられる。豊かな自然環境といった要因もあるが、労働環境や社会福祉などに関するさまざまな制度が、人間の生活を第一義にしっかりと組み立てられている点も大きいように思う。国民の意識においても、人間の生活を中心に考えることが当たり前になっているのだ。
 このような「人間中心主義」とも言うべき考え方は、寒さの厳しいヨーロッパの北のはずれの国々において、皆で協力して社会を良くしていこうという姿勢と並行して自然に生まれてきたと言われる。北欧特有の土壌により培われた思想は、建築にも色濃く反映されている。

共生の思想
 豊かな大自然が広がる北欧諸国では、その恩恵を受ける一方で、時に人間の力では到底太刀打ちできない厳しい自然環境を受け入れることを余儀なくされる。そのような環境ゆえに、自然を支配する、あるいは自然と対立するような思想は生まれず、自然と共に生きていこうという「共生の思想」が育まれてきた。
 人間関係においても同様に、1人1人の「個」を大切にしながらも、他人の価値観を受け入れ、互いを認め、信頼する「共生」の関係が築かれているように感じる。
 ヨーロッパを中心としたキリスト教の文化は、自然に対して支配的、対立的と言われることが多い。だが、ヨーロッパ圏内にあり、またキリスト教文化圏(北欧諸国はプロテスタントが主流)にありながらも、北欧諸国にはそれらとは異なる思想が根づいているのである。
 この共生の思想が、大自然の中で対立しない建築のあり方や、内部空間と外部の自然との連続性や親和性、自然素材の活用へとつながり、土地に根ざし、気候風土に適した建築を生みだす基盤になっているのだろう。
 そして、自然と共生する思想は、わが国とも共通する考え方である。実際、アールトをはじめとして、数多くの建築家が日本の建築や文化を熱心に研究し、影響を受けていたことは、よく知られている。彼らは、相互に共通する思想や背景を感じとり、それを自身の作品に反映させていったのである。

日常を豊かにするデザイン
 1929年にスウェーデン第二の都市イェーテボリで開催された万国博覧会のスローガンは、「日用品をより美しく」であった。ドイツのバウハウスを中心にヨーロッパ中にモダニズムの波が押し寄せるなか、地理的に北のはずれに位置していたがためにその波に飲み込まれていなかった北欧では、モダニズムをそのまま吸収するのではなく、日常生活を美しくすることをコンセプトに掲げたのである。そして、そのコンセプトが、日用品だけでなく、インテリア、建築にまで浸透していくことで、北欧デザインの基盤となるアイデンティティが形成されていったと考えられる。
 北欧の住宅は、戸外で過ごすことが多い夏よりも、暗く寒さの厳しい冬の日常をいかに快適に過ごせるかに重きが置かれ、設計されている。そこでは熱環境を整えることはもちろんだが、乏しい太陽光をいかに多く取り込み、明るく暮らせるかが重視される。冬に建物内で長時間過ごすことが、質の高いインテリアを生みだしたという指摘もある。
 このような日常を豊かにしていくことを重視する姿勢は、良いものを日常的に末長く使おうとする「ロングライフデザイン」の考え方に通じる。そして、建物だけでなく、家具や照明、テキスタイルに至るまで空間を構成するすべての要素をデザインする「トータルデザイン」の志向へとつながっていく。

空間体験の豊かさ
 北欧の建築には、図面や写真だけでは伝わらない、実際に体験することでしかわからない空間の豊かさがある。建築に足を踏み入れた時に感じる居心地のよさは、単に視覚的な美しさのみによるものではない。そこに流れる時間も含め、素材や色彩、形態、刻々と移り変わる光などにより織りなされる空間全体から総合的に感じられるものだ。
 また北欧の建築には、微妙にずれた平面形や部分的な曲線など、図面上ではイレギュラーな箇所を含んでいるものが多い。ところが、いざ空間を体験してみると、そのイレギュラーなデザインが心地よさを生み、空間の質を高める効果をもたらしていることに気づく。他方、図面ではシンプルで一見殺風景な建築であっても、素材や光などの要素が絶妙に組み合わされ、圧倒されるような空間が生みだされることもある。
 北欧の建築では、論理性や視覚性を超えて、その空間にいる人間が総合的に感じる実質的な豊かさが尊重されているのだ。

謙虚さ
 北欧の建築には、周囲の環境に敬意を払いながら謙虚な姿勢で建てられているものが多い。その代表例が、アスプルンドによるイェーテボリ裁判所の増築である。そこでは、隣接する市庁舎へ奉仕する姿勢に満ちたファサードが計画された(p.152参照)。デンマークの建築家S・E・ラスムッセンが1940年に著した名著『北欧の建築』には、「謙遜こそ誇り」という章が設けられ、イェーテボリ裁判所などを例に、北欧建築の特質の一つとして「謙虚さ」を挙げている。
 「建築は建築家の特殊な個性の記念碑であってはならない。建築は日常生活に従属すべきものであり、また、ごくすなおに、いささかの無理もなしに、その環境ととけあっていなくてはならない。謙虚こそ誇りであることが理解されてきた。謙虚な態度
がなくては、建築ではとにかく前進できなかったのだから……」
 ここには、消費の波に飲み込まれている現代において改めて自問すべき内容が含まれているのではないだろうか。

継承の上に成り立つ建築文化
 ここまで、北欧建築の基盤となっている思想や背景について記してきた。これらは、時代や流行を超えて北欧の建築文化の奥底に流れつづけ、現代へと継承されている。
 北欧において、20世紀初頭はナショナル・ロマンティシズム、新古典主義、モダニズムと建築スタイルが目まぐるしく変化した時期である。だが、そのような変化の波にさらされたアスプルンドやアールトらの作品を見ると、スタイルを変えつつも、先に示してきた思想や背景は変わらずに大切にされているように感じられる。そして、そのような先人たちの取り組みの上に、時代ごとに新たな要素や建築家の個性が加えられることで、流行に流されないオリジナルな作品が生みだされてきた。北欧建築の研究者である伊藤大介は、北欧のモダニズムを「前代の否定ではなく、前代の継承によって成り立つモダニズム」と指摘する。
 最近の北欧の若手建築家の作品には斬新なものが多く、写真を見る限りではその斬新さばかりが目につく。ところが、実際に訪れてみると、そこにはとても人間的で豊かな空間が広がっている。脈々と受け継がれてきた北欧建築の特質が、今も変わらず継承されていることを実感できる。

 以上、断片的ではあるが、北欧の建築について思うところを記した。これらを頭の片隅に置きつつ本書を読んでいただければ幸いである。