楽しき土壁
京の左官親方が語る

御礼とあとがき


卒寿を超えた老左官職人の懺悔と毒舌の数々を、恥ずかしくもお眼に入れ、貴重なお時間をいただき、誠に有難く厚く御礼申し上げます。

本書に過去、現在はありますが、未来の項はありません。本音(ほんね)とは思いつつも老婆心ならぬ老爺心と日頃やり込められている現在、ただ一つ宿題として後学諸子に遺したいのは、「塗壁の乾燥時間をもっと短縮できないか」、下地・材料・工法各面の技能を集めた悲願が完成すれば、左官の塗壁がもっと皆さんに喜ばれるだろうと……。

元来、本書の刊行は日頃敬愛する学芸出版社の京極社長さんによって、われわれ硬派職人連中の不満ガス抜き対策と考えられるシリーズ出版の一環として、先に、荒木正亘棟梁の好著『町家棟梁:大工の決まりごとを伝えたいんや』がでて、大工職の次は壁の本と、老職にお鉢がまわってきた次第。数々あるご同業のなかから釣り上げられたのは如何なる因果か。壮年の精気はまったく失せ、五体すでに衰え、かつモノ書きの先生方の名文や遣り繰り算用にうとい、身体一つが元手の職人渡世に生まれた宿命をもって、自分の本をだすなどとは恐れ多くも夢のまた夢。刊行を持ち込んだ編集者・知念さんの連絡にも逃げ回っていたが、矢ヶ崎善太郎先生の問いにお答えする問答形式の進行で、かつ口述筆記は旧知の松井久恵さんと工程万般整然と詰め寄られると、流石にオ者嘉(おしゃか)≠ニ自認する手前、今更あとへも引けず、これが最後の恥のかき納めと観念し、旧い記憶を思い起こし、矢ヶ崎先生にお答えした毒舌が、松井久恵さんの素晴らしい翻訳により、毒舌&マじて何とやら≠ニなるの諺(ことわざ)どおり、活字となってお目見えとなった次第。学芸出版社、特に編集部の皆様方のご心労に対し深く感謝するところであります。
オ者嘉(おしゃか)九十年の夢物語はこれにて終了。

佐藤嘉一郎