クリエイティブ・フィンランド
建築・都市・プロダクトのデザイン

1 水と、緑と、そして広い空の国

 ヨーロッパの北の辺境にある小国、フィンランド。500万人あまりの人口が日本と同じくらいの面積の大地に暮らす。平坦な土地は、北国の痩せた土壌に生える針葉樹の森に覆われている。陸地に湖があるのか、湖に島が連なっているのかわからなくなるような湖畔地帯。そして氷河期に氷の流れが大地を削り取って海をつくり、島を残したという群島地帯。なだらかな丘と台地が連なる、雄大としか例えようのないラップランド。

 この国の自然は穏やかでやさしく、季節によってさまざまな表情を見せてくれる。厳寒の冬、霧雨が大気中で凍って、かすかな光に反射し、きらきらと輝いてダイヤモンド・ダストとなる。そんな吐息も凍る季節には、木々に降りた霜が結晶となり、塩分の薄い海は厚い氷を張る。雪と氷の銀世界は、厳しい冬をいっとき忘れさせてくれる。

 すべての物が薄暗い光の中で色を失って、水の底に沈んだように群青色に見える冬が終わりを告げる頃、街が、森が、海が、澄み切った光を受けて急速に色を取り戻してゆく。木々が芽吹き始め、街の芝生も色づき始める。それは、長い冬が明けるのを待ち望んだ人々が、一段と活気づく季節だ。すべてが眩しく、心が躍る時期。

 地平線を這うようにして1日中沈まない夏の太陽は、森の木々や街を真横から照らして、その輝きは美しさを増していく。人々は1年分の太陽光を充電するかのように、そぞろ歩きを楽しみ、公園や森で屋外の澄んだ空気を満喫する。サマーコテージや森に出かけるのもよい。 湖や海でひと泳ぎをすれば開放的な気分に浸れる。

 首都ヘルシンキは手のひらサイズとでもいったらよいのだろうか。コンパクトな中心部はどこへでも歩いていける距離だ。ヘルシンキは郊外へと成長を続けながらも、そこに住む人々に、そして訪れる人々に、居心地のよい公園や季節を楽しむための自然の森や水辺を残している。整った直線的な街並みが空を切り抜く。慎ましくもそびえ立つ教会や古い建物の塔は美しいシルエットで街角に華やかさとリズムを添える。古典主義やナショナル・ロマンティシズムといった建築史の一幕を飾った様式が現代にも引き継がれて街の歴史の厚みを実感させてくれる。中央ヨーロッパで流行した様式が、この最北の地に辿り着き、そしてこの国の風土と、人々の感性に合わせて昇華された建築群。その慎ましい装飾や上品な淡い色合いの微妙な濃淡が、この地の澄んだ空気によく合う。

 街の魅力はそこに暮らす人々の生活にこそ現れる。仕事や学校に通う。生活必需品を買い求める。 知り合いに出会って立ち話をする。家路を急ぐ。そんな毎日の生活、普段着の生活が街をつくり、街が人々の生活をつくる。

 フィンランド人はいたって無口、少し無骨でシャイだといわれる。多くは語らないけれど、思ったことをストレートに口にしてしまう、気取らない、飾らない、素朴な人々だ。少しお酒が入ったり、サウナで気分がよくなったりすると、つい話が弾む。自然を愛し、自然のルールに従って暮らしてきたこの国の人々は、どこまでも人間臭くて正直なのだ。

2 厳寒の国の人々の豊かな情緒と冷静さ

 この国の公用語は二つある。人口の5%くらいの人が使っているスウェーデン語とフィンランド語だ。スウェーデン語が英語などの親戚であるゲルマン語族に属するのと対照的に、フィンランド語はラテン系でもなく、お隣ロシアで使われているスラブ系でもない独自の言葉だ。しいて言うならばエストニア語とハンガリー語に近いのだそうだ。そんなフィンランド語に、「仕方がないよ」という意味の言葉がある。その言葉は、「残念で仕方がない、がっかりして打ちひしがれる」というよりは、「仕方がないのでさっさとあきらめて別の解決策を考えましょう」という場合によく使われる。私は、この「仕方がない」と言って、こだわることなく次に進むというのが、この国の人々の国民性であって、強みではないかと思っている。

 フィンランド語はとてもストレートな言語だ。飾る言葉や回りくどい言い回しというのが少ない。それは友人と話をしていても、設計会議などで折衝している場合でもそうだ。日本語に比べて英語がストレートであるという人も多いようだが、フィンランド人に言わせると、英語の方がフィンランド語よりもずっと回りくどいし、決まった言い回しが多いようだ。私がフィンランド人たちに初めて接した頃は、何でそんなにズバズバと言うのだろう、もしかすると何かの嫌みではなかろうかなどと、勘ぐってみたりもしたものだ。自分の言いたいことをはっきりと言い、口にした言葉は裏の意味があるわけではない。これは言語の質なのかもしれないし、物事を単純化して考える人々の気質なのかもしれない。あるいは小さなことにこだわっていると凍死してしまうかもしれないというような厳しい気候のせいなのかもしれない。ともあれ無駄を省いて内容の本質に迫るということが、この国の人たちの美徳であると言っても過言ではない。

 共和制の名のもとに皆が平等であることを重んじる国。タルヤ・ハロネン現大統領はムーミンママの愛称で親しまれ、敬愛されているこの国初の女性大統領だ。前大統領であったマルッティ・アハティサーリ氏は世界各地の紛争解決に尽力した功績が評価されて、ノーベル平和賞を受賞している。氏が受賞後の講演で、紛争地域がそこにあり、人々が平和を望んでいる時に、損得を捨てて、状況を確かめ、冷静に物事の核心を見きわめることが大切であると話しておられたのは、まさにこの国の人ならではだ。

 携帯電話の最大手であるノキアが1980年代の大不況で経営が行き詰まった際には、これまでの主要事業であったゴム長靴やタイヤ、ケーブルなどの事業をさっぱりと整理して生き残りを図った。その後、長靴などは別会社として事業を続けることになるのだが、当時の思い切った事業改革は、その後の成功と合わせてノキア神話となっている。

 さらに、この国の人々はこよなく自然を愛している。それは、自然環境の保護といったような大看板を掲げたようなものではなく、森歩きは楽しいからとか、自然に包まれて過ごす時間がとても心地よいのでといった、身体の五感と心の奥の第六感で感じるごく純真なものだ。この土地の自然を背景に奥深い哲学や情緒を秘めたムーミンの物語。この地に根ざした独特の神秘的な世界観に包まれた叙事詩カレワラ。フィンランド人のこうした人間性は、文学や音楽などさまざまな分野で垣間見ることができる。

3 10年という歳月

 私がこの国に住みついて10年以上の歳月が過ぎた。こちらに引っ越してきた当初の予定は、ヘルシンキ工科大学(現在のアールト大学)建築学科で16カ月間の集中マスタープログラムを受けることだった。しかし、念願のコースは入学直前に閉鎖されてしまった。そして、当時フィンランドの建築教育には学部と修士の別がなく(学部と修士を合わせてディプロマとされていた)、外国人としてヨーロッパ以外の国から正規入学をする人間がほとんどいなかったため、修士(マスター)の学位を取るために日本の大学の学部の単位が認められず、入試を受け直し、基礎教育からやり直すことになったのだ。もちろんそのためにフィンランド語も覚えることに。

 そして大学に在学しながらこちらの建築設計事務所で働き始めると、もっと仕事を覚えて、いろいろなプロジェクトに関わりたくなる。夢や希望はその時々にどんどん膨らみ、無我夢中のまま何年もの月日が過ぎてしまった。もちろんその間には仕事で壁にぶつかったり、やっとのことで学校を卒業したりと、本当にいろいろなことがあった。でも10年間という歳月は長いようで短い。それはたぶん、この国の夏の太陽の光が美しかったから。そして冬の雪と氷の織りなす銀世界に見とれていたから。

 建築業界というのは世界中どこへ行っても、素敵なデザインへの欲望と名誉を求めて過酷なまでの長時間労働と不規則な生活をするのが定説のようだ。でもフィンランドでは、人生を、そして生活を楽しむために働き、働くために人生を楽しむ。それは建築業界も例外ではない。一定時間集中して働き、休日や夏休みをめいっぱい楽しむ。私は徒歩で通勤し、1日8時間、週に40時間働く。設計事務所での仕事を終えると、一度家に帰り、ジョギングや水泳に出かけたり、こうして自分の仕事として文章を書いたり建築の設計をする。夏休みは有給休暇を4週間しっかりとるし、その他にも秋休みをとって旅行に出かけることもある。事務所の面々のほとんどが通勤時間は30分程度、労働時間も休暇も皆が同じだけとっている。こんな生活を日本の友人に話すと、なにやら極楽トンボのように見えるらしい。たしかに私も東京の設計事務所で働いていた頃は、長時間の労働と通勤に追われ、趣味に興じるなど夢のような話だった。しかし、日本で長時間の労働をしていた頃よりも、こちらでの時間あたりの生産性や集中力は格段に上がっていると思う。

 石油などの天然資源もなく、特別裕福でもないこの国のこうした仕事と生活の関係を支えているのは、この国の都市構造、社会制度、そしてなによりも人々の考え方だ。人間的な生活。それは、都市部に住んでいても、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、森や海を眺めたり、趣味に興じたり、そして仕事に集中することのできる環境。暖かく質の高い住宅。首都の中心部にいても、街を歩けば必ずといっていいほど知り合いに遭遇するような、手のひらサイズの都市。そんな申し分のないヘルシンキでの生活に支えられて、ついつい10年も居座ってしまったのだ。