むかし、むかし。あるところに、おじいさんとおばあさんが、住んでいました。おじいさんは、山へしばかりに、おばあさんは、川へせんたくに行きました。おばあさんが川でせんたくをしていると、大きな桃が、どんぶらこっこ どんぶらこ、流れてきました。
これは日本人ならおそらく誰もが知っている、有名な昔話「桃太郎」の冒頭の一節である。おじいさんは毎朝、山へ出かける。おじいさんの主な仕事は、山で食料などをとってくることだ。たとえば山菜をとったり、きのこをとったり、その日によって収穫はいろいろだ。また「柴刈り」といって、焚き木として枯れ枝をとってくることも仕事の一つであった。調理のため、暖をとるためなど、火をおこすために柴は日常生活に必要なものであった。
一方、おばあさんは毎日、川へ出かける。その日は洗濯をするために出かけた。持ち物は、洗濯物のほか、盥、洗濯板で、それらを小脇に抱え、出かけていった様子が目に浮かぶ。水道がなかった時代、川は唯一の水源だった。おばあさんはおそらく毎日、空っぽの桶や盥を抱え、日常生活に必要な水を汲みに、川へ出かけていたと思われる。
その日はいつものように川で洗濯をしていると、突然、川上から大きな桃が流れてきた。おばあさんはおいしそうな大きな桃を拾い上げ、今晩おじいさんと一緒に食べようと、家へ持ち帰る。おそらく盥の中に入れて、鼻歌混じりに持ち帰ったことだろう。赤ん坊が入っているくらい大きな桃なのだから、物語とはいえ、相当重かったと思われる。
自宅へ戻り、おじいさんと一緒に桃を割って食べようとしたところ、桃の中から赤ん坊が生まれてくる。それが桃太郎である。物語の中ではその詳細が触れられていないが、生まれたばかりの赤ん坊は、盥を使って産湯に入れられたことだろう。また、おじいさんが拾ってきた柴は、火を焚く燃料として用いられ、その晩の食事の仕度や、赤ん坊の産湯を沸かすために、使われたことだろう。このように「桃太郎」の冒頭から、ガス、電気、水道がなかった時代をイメージすることができる。
本書は、ガス、電気、水道が一般に普及していなかった大正末期から、昭和30年代の高度経済成長期に至るまでの時代を振り返り、20世紀前半の「ニッポンの水まわり」について述べる。日本は河川が多く、現在も豊富な水資源に恵まれている。昔から水は、我々の日常に不可欠なモノであった。統計によると、日本は世界屈指の生活用水使用国となっている。飲み水はもちろんのこと、炊事、洗濯、洗面、排泄、入浴等で毎日大量の水を使っている。本書では水を用いる生活道具と生活空間に注目し、「台所」「風呂」「洗濯」を主題として取り上げる。その中でも特に、水と接する部分であるシンク(水槽)の変遷を辿る。
しかしそれらが「水まわり」と呼ばれるようになった歴史は浅い。水洗トイレや浴室が一般化するのは、戦後のことである。なおトイレは、現在水まわりに含まれるが、20世紀初頭は水洗化されておらず、水との関係が希薄だったため、本書では水まわりから除くことにした。
現在、「台所」「浴室」「洗濯場」は、日常生活と深く関わる場所と認識されているが、長い間、住空間の主要部分ではなく、附属部分とみなされてきた。そのため「水まわり空間」に関する歴史研究は遅れをとることとなる。近代日本の水まわりを俯瞰し、その歴史を綴った書籍は、実質的にこれが初めてといってよいだろう。
本書は4部構成になっている。序論の第T部では水まわり設備である「台所設備」「風呂設備」「洗濯設備」の歴史を、道具論的に綴る。本論にあたる第U部、第V部、第W部では、「水まわり空間」と「水まわり設備」に関して、以下の三つの観点から論考を行う。
@技術革新のプロセス:水まわりデザインの形、素材、技術の革新
A空間構成の特徴:水まわり空間の変容
B流通と消費のメカニズム:水まわり設備の普及
このように本書では多角的に水まわりの歴史を分析し、そこから近代ニッポンの生活を浮き彫りにしていく。戦前戦後の半世紀は、欧米の多大な影響を受け、住空間が近代化する過渡期にあたり、ライフスタイルも大きく変化している。本書では「水まわり」から日本の近代化のプロセスを読み解き、最終的に何が日本固有の文化として根づき、何が根づかなかったのか、そしてそれは何故なのかを問う。
|