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書 評
『新建築住宅特集』(叶V建築社) 2007.6
 住宅を中心に、30年近くに渡り個性的で美しい建築をつくり続けている竹原義二氏。その創作の原点を見つめ直し、自らの建築をさまざまな角度から解き明かした一冊である。「建築の原点」「手仕事の痕跡」「素材の力」「木の可能性」「内へといざなう」「ズレと間合い」「つなぎの間」「余白と廻遊」「『101番目の家』へ」と続く章立ては、職人の技と真剣勝負を挑み、素材を発見・吟味し、空間構成を練り上げていく、氏のつくり方そのものを表現する。独特の寸法・プロポーションで多彩な光と影を生む作品群が、決してその場の感覚だけでつくられていないことを読者は知るだろう。絹巻豊氏の陰翳に富んだモノクロ写真も全巻に渡って楽しめる。

『建築知識』(エクスナレッジ) 2007.6
 著者竹原義二が自邸「101番目の家」をつくり上げたのは、100件の設計活動を経た後、設計をはじめて実に四半世紀以上が過ぎてからだ。さまざまな経験と出会いを重ねて取り掛かった自邸に竹原は、「還り着く場所」「住まいの原点」といった言葉を贈っている。
 竹原の初の自叙伝である本書では、設計をはじめたきっかけから、数々の住宅設計を通して得た設計作法について、独特な感性をもって綴られている。
 その経験が集約された自邸の設計に、彼は彼の住宅論をどのように表現したのか。自邸で締めくくられている本書には、1つの設計作法が確立されるまでの、ドラマをみているような面白さがある。

『住宅建築』(建築思潮研究所) 2007.6
 建築家竹原義二は1978年「勢野の家」以来2001年「菜畑の家」まで100件の建築設計をてがけてきた。2002年「自邸101番目の家」を建てて、そこまでの仕事を整理し跡づけした。それがこの本だが、ただの住宅建築作例集にはなっていない。書物として、実に端正なつくりになっている。この本には住宅をつくり出す方法が反映されているかのような見事な共同作業が見て取れる。写真家が果たしている役割。この建築家は師石井修を通じて、写真家多比良敏雄と出会い建築家と写真家の関係の重要さを知る。そしてこの本のほとんどの写真を撮っている絹巻豊と巡り会う。竹原は「建築家と写真家は同じ建築を介し、同じ時代の中でいつも向き合うことができる」と言う。竹原にとって絹巻は、師事した建築家と同じように、建築家としての出自を語る上に不可欠な存在だった。
 編集構成もまた入念である。序章から8つの章はそれぞれ同じ構成になっている。まず、竹原が強い関心をもった歴史的建造物(閑谷学校、箱木千年家、伊勢神宮、東大寺二月堂、岡山後楽園、大徳寺、桂離宮)に対する自身による読解。これは、いわば独自の建築史の構築である。そこから材料論と技術論が抽出される。読解された材料と技術はその伝承されているかたち、あるいは現代の技術によって置き換え可能なかたちで、実際の建築制作につかわれる。各章の最後に自作が示される。本全体もまた同じ構成になっていて、終章は「自邸について」、である。この構成はもちろん、建築家自身の考えだろうが、本として仕上げた編集者の力量も高く評価される。編集者はこの建築家の仕事の全体像を深く理解し、それを伝える役割を十分に果たしている。
 歴史的建造物から読みとった材料や素材は、職人の手の中に生きている。竹原は何人かの優れた職人と出会う。木工の棟梁・中谷禎次、石工の和泉正敏、そして竹原の建築にとって重要なディテールである土壁を塗る左官たち。特に棟梁・中谷は「自邸」で立ち戻った原点にまで深くかかわる大きな存在である。このような人間との出会いは、偶然ではなく、竹原の建築に対する姿勢が生み出した。この建築家は常に何かから学ぼうとしている。自然や歴史的伝統に対しても真摯でありつづけている。奇をてらうことなく、素材と技術をいかに今の住宅建築に活かしていくか、という基本的な試行は多くの深い理解者を生んだ。建築家をとりまくさまざまな理解者たちにもまた、創出する機会をあたえることになった。彼らが建築家の仕事を明らかにする。それがこの本である。
(梅田一穂)

『新建築』(叶V建築社) 2007.5
 書名は「むう」と読む。それは「何もない場所からカタチになっていく建築の姿」。著者が1978年に設立した事務所名であり、30年にわたる設計活動の中でぶれることのなかった姿勢である。本書で竹原氏は、自らの原点とする閑谷学校をはじめ、いくつもの古民家、二月堂裏路地、桂離宮などいく度となく訪れた古典を読み解き、それが如何に血肉となり自らの設計の中に現出したかを語る。建築家ならではの読み解きは豊富な写真も相俟って独特の日本建築論となり、自作の丁寧な解説に、竹原建築の奥の深さを知ることになる。
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