環境の解釈学


あとがき


 本文中、ニス氏は一度だけ、「造園家」をあらわすギリシア語「ピュトゥルゴス」という聞き慣れない言葉に言及している。これはプラトンのテキストのなかにも見られる言葉だが、ニス氏によれば、建築家「デミウルゴス」が不変の幾何学形態いわゆる「プラトン立体」をモデルとして世界を形成するのに対して、造園家「ピュトゥルゴス」は抽象的幾何学形態を制作の出発点とはせず、手近にある既存の自然を成長させるのである。プラトンは建築家と造園家の特性を洞察することで、ものをつくる二つの典型的な方法を示しているのである。こうした制作の二つの方法は西洋の庭園の二つのスタイル、フランス式庭園とイギリス式庭園に対応させることができる。フランス式庭園は敷地の形状や特性とは無関係に幾何学をあてはめ、無から形態を創造する。それは建築家的な造園家の仕事である。それに対して、イギリスの風景庭園は敷地の特性にしたがい、すでにある自然の要素を活用し、それを伸張するようにつくられる。
  では、二一世紀の環境の制作者はデミウルゴス的であるべきだろうか、ピュトゥルゴス的であるべきだろうか。そこでニス氏は、一世紀の哲学者ピロンが考案した世界制作者「コスモプラステス」に注目し、それをデミウルゴスとピュトゥルゴスを統合する者と解釈し、近代的、デミウルゴス的建築家像を越える新しい環境の制作者のモデルを求めようとしている。また、ヘラクレイトスが語った弓のイメージ、それがあらわす「緊張に抗する調和(パリントロポス・アルモニン)」、あるいはそうした緊張の思想を継承したストア派の哲学に、コスモプラステスの制作方法を考え深める手がかりを見いだそうとしている。残念ながら、今回のセミナーではそこまで十分な討議を進展させることができなかった。しかし、環境を制作する主体のあり方にかんする問題意識が潜在的に広まりつつあることは確かであって、それを論じるための問題構制は早急に組み立てられなければならないだろう。

 フランスにはかなりの親日家がいるように思うが、ニス氏もかねてより日本の文化・芸術にたいへん強い関心を抱いてこられ、今回の日本滞在は三度目となった。私がニス氏に出会ったのは前回、伊從勉先生がホストとなって京都大学客員教授として来日したおりであった。彼を直接紹介していただいたのは私の師加藤邦男先生で、ニス氏とは京都の関西日仏学館の中庭で昼食をともにしながら、互いの研究テーマについてずいぶん長く話し合った。そのとき、ニス氏はふたたびすぐに来日することを強く希望していた。手がかりをつかみかけた日本人研究者との交流関係を、よりいっそう育てあげるためである。そこで三度目の滞在となったのだが、今回は明治大学国際交流センターの交流基金によって実現した。国際交流センターのご担当の方々にはたいへんお世話になった。
  セミナーのゲストとしてニス氏との対談にご協力いただいた、木村敏先生、中村良夫先生、大橋良介先生、内藤廣先生、三谷徹先生はいずれも多忙をきわめた方々であるが、セミナーばかりでなく、原稿の執筆もこころよくお引き受けいただいた。とくに木村敏先生は、これまでのお仕事をまとめた著作集を刊行なさったばかりのところに、あらたに原稿をお願いすることになってしまった。
  セミナーは学生をはじめ多数の方々が聴講できるよう、福崎裕子先生、本多真知子さん、菊池歌子さんに通訳をお願いした。話しはさまざまな領域にまたがり、ときにはかなり専門的な内容もふくまれ、翻訳が困難な言葉もしばしば登場し、たいへんご苦労なさったことと思う。セミナーの準備や運営さらには記録のテープ起こしについては、明治大学大学院の野村俊一君はじめ多数の学生諸君の協力をいただいた。また、ほぼ英語が通じない日本の街中に外国人がひとりで滞在するのはたいへん難しいことであるが、秋間絵里さんにはさまざまな面でニス氏の滞在をサポートしていただいた。
  セミナーの内容はたいへん興味深いものとなったが、今日の出版事情では学術書の刊行はなかなか困難なようである。そうしたなか、学芸出版社の井口夏実さんにはいち早くこのセミナーの意義を理解していただき、出版の実現にむけてご尽力いただいた。これらの方々に加え、セミナーへの参加というかたちでご支援いただいた方々も含め、関係者すべてに心からのお礼を申しあげたい。
  こうして刊行される本書が、日仏文化交流にすこしでも貢献できれば幸いである。

2003年11月 
田路貴浩