知的障害者施設 計画と改修の手引き

はじめに

 10年前、知的障害者の入所施設から、トイレを改修してほしいという依頼を受けました。知的障害者の生活実態がわからず、論文を調べたところ、知的障害者の生活について書かれたものはありますが、その生活と建築の関係について論じられたものはまったく見つけることはできませんでした。そこでとりあえず始めたのは、実際に施設に泊り込んで、入居者の方々と一緒に過ごしてみることでした。
 このトイレ改修案件をきっかけに、知的障害者の住まいの設計依頼が増えてきました。同時にこの10年で、幾人かの建築家が、障害者の暮らしを真剣に考えた提案を行い、内容・デザインともに素晴らしい建築を実現してきていることを知りました。一方で、知的障害者の建築においては、使う人それぞれの特性が異なり、また支援方法も支援者によって変わってくるため、一つの建築が全ての教科書にはならない世界だということも痛感してきました。
 これまで多くの知的障害者の支援員の方とお話をしてきましたが、建築の持つ力や役割はほとんど理解されていないことがありました。一緒に建築を計画した事業者の方でも、最初から建築に興味を持っている方、それほどでもない方などさまざまでした。しかし打ち合わせを重ねる中で、知的障害者の生活と建築の関係について互いに理解を深めてゆき、いつか「建築も支援の一つだ」という共通の認識を持つようになりました。
 以前、自宅に暮らす知的障害者が、支援を受けながら、コンビニエンスストアに1人で買い物に行けるようになるまでの様子を記録したビデオを見ました。支援方法を伝える目的の資料ですが、そこに映っている住まいは雑然としたものでした。整理整頓して住むことが難しい人もいるとはいえ、そのような状態が普通になってしまっているのは、知的障害者の支援員の方たちに住まいへの関心がなく、また建築に携わる者からの働きかけもほとんどないことにも大きな原因があると思いました。
 知的障害者の方も、気持ちよい住まいに住みたいはずで、そのためにもっとできることがあるはずです。そこで、自分で設計した建物が竣工し、1年ほど住まわれてその結果がわかった段階で日本の知的障害者の支援に携わる方へ、知的障害者の住まいにおける建築の役割を伝えなければいけないと考えました。2016年秋に東京と大阪で「建築と支援」というテーマでセミナーを開催したところ、障害福祉サービスに関わる方に多数ご参加いただき、多くの方から「建築でここまでできるのだ」「建築の工夫で支援がやりやすくなる」などの感想を頂戴しました。
 この本を出版する目的は、事業者や支援員の方に「建築は支援の一つ」だということを知っていただくこと、そしてこれから設計にあたる建築家の方に知的障害者の建築に取り組む私たちの姿勢を理解し参考にしていただき、それぞれ独自の取り組みを始めていただくことにあります。障害者の建築に教科書はありません。本書に書かれていることは、私たちが実際に設計し経験したことのみであり、知的障害者のための全ての建築について網羅的な解説がなされているわけではありません。しかし、私たちが検討し開発した多くの技術や考え方を公開しています。そうすることが日本の知的障害者の住まいのレベルを全体として向上することになると思っています。 
 どうぞ事業者の方や支援員の方、建築に携わる方が、ご自分の携わる施設の建築において、事業理念や支援方法、そして利用者の思いが実現するようにこの本を活用していただければと思います。日本中至る所で、障害者の住まいや施設に真剣に向き合う建築家が増え、「建築と支援」について理解される事業者や支援員の方が増えてゆくことが、障害者の皆さんの住まいを変えていくことになります。

2017年9月 砂山 憲一