4 愛する家をレストランに

有馬涼子(ル・リス・ダン・ラ・バレ)

有馬涼子さん


建て主との出会い
 「人生は、まさに邂逅ある」ともうしますが、この世で遭遇する様々な事が、不思議な流れで人生を作っているような気がしています。特に人と人とのめぐり会いはなによりもすばらしく、深く、一つの感動です。
 私が住居にしていた古い家は、今から9年ほど前に、レストランにしてしまったのですが、やはり、私と私の人生の中に深いつながりと大きな感動を与えてくれました。簡単にレストランにしてしまったと申しましても、ここにも様々な多くの出会いがございました。
 この家と私のつながりを申しましたが、でも本当は、この家をお建てになられた方との深い絆と感動「「つまり「めぐり会い」といった方があっているような気がします。そうは申しましても、その家は、実際には明治の終わり頃に建てられたわけですから、その方ご自身にはお目にかかったことはございません。ただこの古い家をみていると、すみずみにまでその方御自身が生きているような不思議な感覚があるのです。
 その方は桜井省三様とおっしゃいます。桜井家とは今もお親しくさせていただいているので、少しは具体的にどんな方でいらしたか、知ることはできるのですが、私には、この家を通しての印象の方がずっとずっとわかりやすいのです。大変感性の豊かなすばらしい個性をお持ちの方だったように感じられます。そしてその個性的な感性は、ただ大きく深いだけではなく、世界に通じる広さと鋭さを持ち、遊び心やユーモアもそなえ、大きな魅力を持った方だったような気がします。
 ですからこの家は、その実際の美しさの中に、お建てになった方御自身がありありと感じられる一つの芸術のように感じられます。もともと工学博士でいらっしゃいましたが、造船学を志され、当時、日本はその技術をフランスから学んでいたらしく、御家族とともにフランスへ留学され、お帰りになってからこの家をお建てになったようです。ですから、建物自体、大変贅沢な日本の材料が使われた、純日本建築でありながら、きっと気持ちはフランスから離れられなかった不思議な雰囲気をもっています。ただその贅沢さはどこまでもさりげなく表現され、特に人目をひくようなこともないのにどこからともなく、醸し出されるその美しさは、強く人の心をひき、静かな優雅さとともに不思議なあでやかさを重ねもち、深い印象をあたえてくれるのです。桜井氏の個性そのものといってもよいと思います。


レストランにした理由
 今いろいろ申し上げても皆様には後で実際にご覧いただけるわけですから、私としては何だか少し、恥ずかしいような気持ちです。お客様の御質問の中で、実は一番多いのは、私の年ですが……その次に多いのは、なぜ住居をレストランにしたかという事です。はじめの御質問にお答えするのはむずかしいですが、レストランにした事には、それ程複雑な理由はないのです。ただ申し上げておきたいのは、決して、レストランをやってみたいという発想からではないという事です。思いがけず、と言った方がずっとあっているかも知れません。
路地の奥にあるレストラン
 最初に申しましたように、様々な出会いがございましたからです。もちろん自分自身の中にでもです。当然、人生の流れの中で、私なりに思い切るきっかけとなった事は、確かにございますが、やはり不思議な巡り会いの中から生まれたと言ってもよいと思います。何も知らない私のような人間が始めたこの仕事は、正直に申し上げて、実に大変な苦労がございます。それはそれで事実ではございますが、今頃になってようやく、それ以上に、その中で出会う多くのものの方がはるかに私の心をとらえて、胸をふるわせ、困難の中にも、ドラマティックで感動的な毎日をおくっています。
 もちろん、始めるにあたって、実際にフランス料理のレストランというものが、どういうものであるかということをよく考えてみました。単にレストランといいましても、フランスでの歴史をみてみますと、実に奥深いものでした。お話しすると長くなりますが、一言でいえば、形のない芸術といいますか、大げさなようですがひとつの文化であると思えてきたのです。では文化とは、一体何であるのかという事になりますと、言葉ではなかなか難しいのですが、人と人との間に流れるものと知性と感性、喜びや悲しみから生まれ努力と歴史が育んだ一つの現象のような気がします。心の豊かさのようなものです。
 つまり、歴然とした現象の中で、実現すべきひとつの夢のように思えたのです。それを一つの事業として成り立たせてゆくという事は、いかにもフランス的で面白いと思えたのです。ただのビジネスでは……私自身、そして私自身の人生を融合してゆかなければ、あまりにも淋しく意味のない事のように思えますから。そういう意味で、私はその日から、この中で小さな文化を作っていこうと思ったのです。それは言ってみれば、忘れていた夢を思い出したような気持ちでした。この古い家が私に忘れていた夢を思い出させてくれたのです。それも限りない可能性と途方もない苦労付きで……。


心の中の「谷間のゆり」
 この家が美しいのも、文化につながる為の一つの要因である「時間」が費やされていることも重要です。そして桜井氏はその昔、「ハルナ」という軍艦を造られたようですが、ある日、その船が沈んでしまいます。その日から船を造ることは二度となく、東京大学の先生になられたような方です。私の家をご覧になれば、「文化である」と言っても御許しいただけるような気がします。ですからレストランにする時に、一番苦労しましたのは、どうしたらできるだけそのままの姿、印象を残せるかということでした。
 特に専門の建築家やコーディネーターにはお願いしたりはせず、感性の通じ合う幾人から若い建築家の方々に手伝っていただきながら、自分の感覚で、直してゆきました。なぜなら、桜井氏の個性的な感覚を人間味あふれる気持ちから生まれたこの家の美しさは、私が一番知っているような気がしたからです。
 どうか私の「秘密の花園」であり、私の「戦場」でもある「ル・リス・ダン・ラ・バレ」を一目ご覧くださいませ。今はもう手に入らない一枚の古いガラスや、新しいものにかえれば済むような小さな建具などにも心を注ぎ、なかなか大変でした。でもそういう、人や人が気持ちを込めて造ったものに対する優しさから文化が生まれてくるような気がしています。
 私のレストランは、特に目立つような目印もなく、ひっそりと暮らしていた時そのままです。お出ましいただくには、わかりにくく心苦しいのですが、「ル・リス・ダン・ラ・バレ」と名付けた私の気持ちをご理解いただければ嬉しゅうございます。「ル・リス・ダン・ラ・バレ」つまり「谷間のゆり」と名付けましたのは、私の生き方の一つの表現かもしれません。
 「谷間のゆり」は、現実にある花ではなく、私の心の中の花です。噂に聞いて、探していただくか、偶然見つけていただくかしかないのです。でも、もし見つけてくだされば、心に残って忘れられない……そういうレストランにしたいという願いを込めたのです。人目を意識せず人知れずひっそりと咲いていたいのです。パンフレットも、特別な事何もせず、ただ私の気持ちを書いただけのものです。「そっと祈るような思いでル・リス・ダン・ラ・バレを咲かせてゆきたいと思っております」と。


活用することにこそ輝きがある
 そういうわけで、実際にはがけの上に建っているのですが、「谷間のゆり」の歴史ははじまりました。過ぎてしまえば束の間でも、苦労の多い日々は、私には長く、それでも心ある方々のお気持ちに支えられ、8年あまりの時間が流れました。細々と暮らすには不便な家でしたが、レストランにしてからはしてからはなんとなく家の気配が違ってきたように思えるのです。
伝統的な雰囲気の中での食事
 何となく生き生きとしてきているのです。時間が経てば、当然古くなってゆくはずなのに、輝いてきているのです。そして不思議な事に、レストランとして使うために心配だった必要な動線がはじめから備わっていたのです。多分、人が集まるための家だったのかもしれません。たださらに不思議なのは、人が集まってもその煩わしさはなく、それぞれをそっと包んでくれるような優しさがあるのです。きっとそれも桜井氏の豊かな感性から生まれてくるのかも知れません。もう一つ嬉しかったのは、レストランにする為に、家に中をいじっているうちに気がついたのですが、以前、多分生活の為に変えられていたようなものがどんどん取り除かれ、むしろ建てられた時そのままの状態に返してゆくような結果になったのです。
 こうして「私のル・リス・ダン・ラ・バレ」は、私の心の中だけでなく、今もなおなんとか実在しています。仕事の仕方も基本的には私の感覚でしています。最初は、レストラン経営の勉強もしてみようかと思ったこともありましたが、結局一番大切なのは、真心であることに気づき、いろいろ考えたあげく、昔、母が父のお客様をおもてなししたようにお客様をお迎えするしかないと思ったのです。それに、私にはそれしかできませんし、一番私らしいと考えたのです。


美しい建物
 ずっと昔、若い頃にジャーナリストだった伯父が桂離宮を見せてくれました。息をのむ程きれいで、建物という物がこれ程美しいものかと深い感動を得ました。それから、コルビュジエという孤独な建築家の造った西洋美術館も完成された美しさの中に彼の優しさがありました。最近になってグラナダにある、アルハンブラの宮殿を見た時もまた、その美しさに我を忘れました。
 もう一つ美しいと思ったのは、ヨルダンにあるペトラです。この世のものとは思えないような美しいバラ色の砂で造られた遺跡です。果てしない空と砂だけの限りない美しさでした。そしてその中に人間の生命と暖かみを感じ、はるか昔の消えてしまいそうにはかない砂の建物なのに、しっかりと美しく存在しているのです。もちろん、それもその建物との出会いと重なって、ある方との出会いがあったからかも知れません。
ダイニングルームから屋外テラスをみる
 でも、こういう歴史的にも大きな意味を持った建物を見ても、今更のように私の古い家もやはり美しいと思うのです。何とも言えない趣があるのです。長い間、毎日見続けているのに、いつも新しい違った美しさにハッとするのです。日々新しいものが甦ってくるような気がするのです。これも桜井氏の不思議な魅力なのでしょうか。叶う事であれば、是非お会いしてみたい方の御一人です。
 とりとめのない事ばかり申し上げましたけれど、建物という物は、そこに営み集う人と精神があって、はじめて美しく存在するのだという事を申し上げたかったのです。やはり文化であり感動です。お恥ずかしい話ばかりでしたが、難しい論説の中に、私のような、そのままの気持ちだけを申し上げる話もあってよいかとお許しくださいませ。私が美しいと思っている建物にぜひお出ましください。後ほど、「私のル・リス・ダン・ラ・バレ」で再び、お目にかかれますことを楽しみにしています。
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