1 江戸時代の蔵を保存し活用する

村守恵子(ギャラリー・エフ)

村守恵子さん


みんなで改修工事
 村守恵子と申します。私は台東区雷門で江戸時代の土蔵をギャラリーとしてオープンし、2年になりました。もともとこうしようと思っていたわけではありませんでした。皆さんのお手元にパンフレットがありますが、それを読んでいただくとどのような経緯で130年前の土蔵が蘇ってきたかおわかりいただけると思います。
 蔵の2階の梁には建てた年月日が書いてあるのです。「慶応四年戊辰年八月吉日」と書かれてあり、建てた方の名前が入っております。「三代目竹屋長四郎」そして「妻い勢」「倅小三郎」と書いてあります。これを見付けたときは、江戸時代の方たちでも奥さんの名前をちゃんと入れるのだな、この人はフェミニストだったに違いないと思ったのですが、調べてみたら、この蔵を建てたのは妻のい勢さんでした。
写真1 改装前
 蔵が建つ27年前に三代目の竹屋長四郎さんはもう亡くなっていました。これは改装する前の古い汚いままの写真ですけども(写真1)、階段で上がったところに入口がありました。ここは父が仕事をしていたときは倉庫に使っていましたが、いつも倉庫にものを取りに行くときにはこの階段を上るのが怖くて、引っかけてあるだけの不安定な階段ですが、こんなに汚いところでした。
 屋根瓦には「のし瓦」というのが9段積んであって、これが建物の格を表すと聞きました。建物は京間造りですが、この瓦も関西風の屋根瓦の置き方だということでした。瓦屋さんに直していただきましたが、けらばというところがありまして、そこをよく見ると古い瓦に合わせて1枚ずつサイズが違います。それをみんな古い瓦に合わせて焼いてくれました。
 ここは土蔵の一部の壁が雨漏りで壊れていたのを直したのですが、この角のところは中側を開けてみたら全部腐っていました。どのように修理をするかというときに、ある人は鉄骨入れたらなどといったのですが、左官屋さんが「とんでもねえ、同じものを入れろ」といって、前のところはそのまま残して、後ろの腐った部分をはずして同じ桧の柱を後ろにくっつけました。新しいところは壁の中に入ってしまうので見えません。古いのが前に出るように造り直しました。中の壁の土を全部落としたところです。土は30pくらいの厚みで壁を造っています。骨組みは竹の小舞ではなくて太い木の小舞で全部面取りがしてあってすごくしっかりとつくられていました。
写真2 改装作業中
 内装の工事をしているところです(写真2)。芸大の漆科の方たちがこの内装を全部手がけてくれまして、私たちも大工道具を一つずつ買っていきました。だから今でも、みんな大工ができるくらいに道具は揃っています。これは女性の漆家の方で、漆を塗った後、とぎを何回もやっていきますが、頭にマスクをしても本当に体中ほこりだらけになるので重装備でやっていました。土蔵の2階に全面ビニールをはって、ゴミが入らないように密封してたなを作って乾かしていました。向こう側にいるのが壁を塗った左官屋さんの加藤さんです。
写真3 完成後の記念撮影
 全員で集合して撮ったものです(写真3)。大工さん、瓦屋さん、左官屋さんなど専門の職人さんたちを除いては、普通の若い人たちが蔵の再生に協力したいと夜集まってみんなでやった仲間たちです。本当にたくさんの人たちが応援してくれてできあがった、新しい土蔵のギャラリーでした。


土蔵の由来―夢に出た父
 この土蔵は江戸時代の竹屋という屋号の材木問屋さんでした。浅草は私が今さら申し上げるまでもなく、駒形のところから観音様が拾い上げられて、そして浅草寺が出来てからは平安時代から江戸時代までずっと信仰と商業の中心地だったと思います。蔵前は浅草から先になりますけれども、江戸時代には幕府の米蔵がありましたし、土蔵ということではたくさんあったところではないかと思います。材木問屋の竹屋さんのあった雷門2丁目も江戸時代は材木町という町名で、隅田川から材木を引き上げていたようです。
 この土蔵の話が新聞に載りましたときに、元の持ち主の妹さんという方が新聞を見ましたといって来られました。その方はお嫁に行かれて、中山さんとおっしゃいますが、本郷1丁目のフランス料理レストラン「楠亭」の社長さんでした。彼女はちょうど楠亭を壊す前だったのですが、「うちの建物は母屋と土蔵とを全部壊して、新しく建て直すのだけれど、父や母が暮らしていた実家の蔵が残ることになってとてもうれしい」と言って、何回も来て下さいました。
 この土蔵が残ることになったのは、最初のスライドにありましたように、梁に年月日が書いてあるのが台東区の文化財保護審議会の稲葉先生の調査で分かったのですけども、それまでは電気を通す配線のために板が打ち付けてあったので誰も見たことがなかったんですね。それを見付けたときに私は立ち会っていなかったのですけども、妹たちがみんな鳥肌が立つくらいに興奮したといっていました。
 この土蔵を私たちが引き継ぐことになったのは、父が亡くなった後の相続で、父は私たち姉妹が女ばかり4人だったものですから、家も会社も誰も引き継がなくていいということで、私たちに何も教えてくれていませんでした。ですから私たちは父が亡くなった後、もう会社も土地も全部売り払ってしまおうと思っていたのですけども、このように古い建物だということが分かってから、妹たちと相談して何とか残せる方法がないだろうかということで話し合いをしました。
 その時に父が夢に出てきて、会社のガレージのシャッターを開けて掃除をしていました。その夢の話をして、シャッターを開けなさいという意味のことではないかとのいうことで、汚いガレージだったのですけども、シャッターを開けて皆さんに土蔵を見ていただけるようにしていました。


協力者が集まる
 ガレージセールなどもしながら土蔵の中を全部きれいにして見てもらっていたのですが、そういう中でぜひ私に内部の改装をやらせて欲しいという人が現れました。その人は芸大の講師をしていたのですけども、その先生たちが来て、「費用は実費だけです」と言われました。実費だけですと言われても床を全部漆塗りにするというので、「一体いくらかかるのですか」と訊いたのですけども「それはわからない」といわれました。
 台東区の文化財保護審議会には、「ゆくゆくは東京都の指定文化財にするから何もいじるな」と言われていました。それで困ったなと思ったのですけれども、芸大の鍋島さんがどうしてもやりたいといって色々と設計図を書いてきたり、毎日蔵を見に来て考えてくれて、それで私たちも古いものを古いまま残すのではなくて、新しく命を吹き込むということが建物をまた100年生きさせる道ではないかと思いまして、稲葉先生には悪いけれども「直します」と言いました。
 でも直すといっても基本的な形をいじるわけではありませんでした。さっきご覧になっていただいたように外から階段で上がった入口の床を1m下げて床下をくぐるような形にしました。床を下げると当然階段も替えなくてはならず、2階に上がる階段も付け替えて、それから1階にあった作りつけの押入をはずして中を広く使えるようにいたしました。
 どのように残していくかということでは、みんなで相談しながら企画を出し合って、ギャラリーとして利用し、前面のガレージ部分は喫茶店にしたらどうだろうか、そういうことだったら私たちにも出来るかもしれないということで始めました。そのために台東区の利子補給制度を使ってお金を借り入れました。また、妹たちからも強制的に「100万ずつ出すのよ」と言ってお金を集めまして、そして何とか始めることが出来たわけです。
 修復をお願いした瓦屋さんも左官屋さんも台東区の文化財保護審議会の稲葉先生からの紹介で、本当にすばらしい職人さんたちが集まってくれました。そのすばらしい職人さんというのは何がすばらしいかというと、このような古い建物を見て、実際に仕事をして、江戸時代の職人の技を学ばせてもらいましたとおっしゃったのです。それからこんなに楽しい現場はなかったですねと言って下さいました。今でさえ一流の職人さんたちが、さらに古い江戸時代の職人の技を学ぶ、ということに感動しました。屋根瓦も人にはなかなか見えない部分ですが、そして左官もそうですけれども、下地の部分でしかなかなか腕がだせないというように言われています。しかし、そのように下地の部分がきれいに出来ないと、表面に出たものがきちんと仕上がらないのです。本当に美しいものは目に見えないのだということを教えてもらいました。


広がる活用のあり方
 今は、ギャラリーとして利用することで、若い人たちが大勢来て下さいます。そして、若い人たちには古い建物が全く今までにない新しい空間として感じ取っていただいておりますし、それから年輩の方たちには懐かしい空間・匂い、そういうものを感じ取っていただいていると思います。
 ギャラリーとして利用することでは、アーティストの方たちは色々な新しい試みをされている方が多くて、自由な使い方をしたいと言われるし、うちのギャラリー担当のスタッフも自由に使えないギャラリーだったらギャラリーとしての価値がないと言います。しかし、このような古い建物である以上はある程度の規制というか制約はあって仕方がないのではないかと思い、ギャラリーを利用するときの展示方法をどうするかというときに、わたしだけがいつも意地悪婆さん役でそれはちょっとと言わなければならなくてつらいです。
 でも、みんなが大事に思いながら使って下されば、また100年、200年この土蔵も残っていくのではないかと思っています。去年は夏休みに、1泊だけ土蔵でお泊まり会というのをやり、中学生と小学生10人くらい集まりました。今年もやってくれといわれまして、8月の終わりに予定しています。去年は小学校1年生で、普段、家ではお母さんから離れて寝たことがないという子がいました。その時は夜中の2時までみんな騒いで遊んでいましたけども、翌朝、「どうだった」と子供に訊いたら、「こんなに安心して寝たのは初めてです」とその子が言ったので良かったなと思いました。そうすると大人の方々も、私たちも泊めて下さいとおっしゃって、大人のお泊まり会もやってほしいと言われています。夏なら布団等は何もいりませんから、好きな格好とタオルケット1枚くらいで泊まれるんですね。今年も一応子供が中心ということで、後は保護者とかどうしても泊まりたいという方は1階と2階があるので分けてお泊まり会に参加してもらおうかなと思っています。その日は夕方集まって水上バスで隅田川クルージング、夜はスライドで星のお話をして下さる方が参加する予定で、夜中に星のお話を聞きながら土蔵で楽しもうと思っています。
 ギャラリーでは、毎回意表をつく演出で作品の良さを120%出していると評価いただいてます。外国のアーティストとのエクスチェンジプログラムも始めました。これが浅草かとおいでくださった皆様に驚いていただけると確信しております。私はこの土蔵が人格をもってアーティストや私たちに力を貸してくれることに感謝しているのです。今日はありがとうございました。
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