サステイナブル・コミュニティ

は じ め に

 米国はあり余る広大な国土のなかで自然を克服して、 常に豊かで質の高い生活を求めて都市を形成してきた。 価値観も宗教も違う多種多様な民族が自由と民主主義を共通のアイデンティティとしてコミュニティをつくってきた。 そのアメリカが、 物質文明が進展するなかで民主主義の礎であるコミュニティが失われつつあるという反省にたって、 そして将来に立ちはだかる資源の有限性や地球環境の維持という壁に気がついて、 新しい町づくりを始めている。

 アメリカは豊かである。 生活の質はきわめて高い。 ロサンゼルスの南東約六十キロ、 ルート405がルート5に合流するあたりにアーバイン市がある。 この町は、 大地主であったアーバイン家が私有地十一万エーカー(四百五十平方キロ)を投げ出して理想郷をめざして町づくりを始めたところである。 一九六五年、 大学のために千エーカー(約四平方キロ)の用地を無償で提供してカリフォルニア大学を誘致する。 それを核にして現在までにハイテク企業の立地が進み、 生活し学び働き遊ぶという四つのコンセプトを併せ持つ新しい町づくりが進んでいる。 日本企業もマツダの全米本社、 カルソニックなど数社が進出している。 この町は、 九一年の日米会談の舞台となった、 南仏を想起させる海辺の美しい町ニューポートビーチに隣接する。 青いカリフォルニアの空が広がるその下を片側三車線の道路が緑地帯をぬって延びている。 その両側に瀟洒な低層のオフィスビルが展開している。

 この地域の住宅地として建設されたコミュニティの一つがウッドブリッジ・ビレッジである。 中央に二つの人工の湖を配し、 林のなかに遊歩道を設け、 人工島にかかる橋がテニスコートと人工の海水浴場を結ぶ。 総面積は千七百十五エーカー(約七平方キロ)、 約六千の集合住宅と約三千の一戸建てを擁し、 独身者から老夫婦まで多様な階層年齢層の家庭が共生できるコミュニティをつくっている。 驚くべきことに年齢層を考慮した三十九の公園とテニスコート、 四十七のプール、 サイクリング、 ジョッギングロードなどのアメニティ施設を設置している。 芝生に囲まれた家、 湖岸に面した家もある。 日本的に言えば職住近接のリゾートハウスを四、 五千万円から購入できる。

 ニューポートビーチ市の南にはラグナビーチ市が広がる。 放火により甚大な被害を出したので有名になったが、 その一角に六四年に建設され人口一万八千人を擁するレジャーワールドと呼ばれるリタイヤメント・コミュニティがある。 アクティブ・リタイアメントを合い言葉に、 スポーツに学芸にさまざまなクラブを作り、 住民が自らコミュニティを運営し豊かな老後を送っている。 日本では白い眼で見られがちな高齢者が自分たちの社会を自ら作り、 自由で明るく豊かな生活を営んでいる。

 われわれ日本人にとってアメリカは、 豊かで夢のようなコミュニティのように見える。 そのアメリカで、 物質文明の行く末を懸念し将来を見据えて新しい町づくりを提言する人びとがいるのは驚嘆に値する。

 ニンビー(NIMBY)という言葉がある。 "Not in my back yard"(自分の裏庭でなければ)の略語である。 自分に直接関係ないことであれば、 コミュニティのことに興味も関心もなく、 コミュニティ活動にまったく参加しない、 しかし、 いったん自分の身近でなにか公共的な施設を建てるような話が持ち上がった場合には、 よく聞きもしないで声高に反対するような人びと、 自分のエゴのみを優先させ、 コミュニティのことにまったく興味を示さないような人びとのことである。 伝統的に自分たちの町に強い自治意識を有し、 コミュニティで行なわれる活動に積極的に参加しているアメリカにおいてさえ、 コミュニティの崩壊、 住民の孤立化が大きく問題視されつつある。

 わが国では、 戦後最大の都市直下型地震が発生し、 阪神間に甚大な被害をもたらした。 五千人を超える貴重な命が奪われた。 ロサンゼルス・タイムズ紙も連日大きなスペースを割いて阪神大震災関連の記事を掲載していた。 そのなかで、 日本人のコミュニティ問題について触れて次のような記事があった。 「日本人自慢の町内会においてさえ、 誰もリーダーシップを取らないことが明白になった。 神戸のある町内会では百五十人の住民のうち三十人が死亡した。 唯一崩壊せずに残った家があったが、 それは町内会の会長の家であった。 しかし会長は地震発生後そそくさと現場から逃げ出したという。 会長は単なるお上からの連絡役にすぎず、 最も有能な人が選ばれているわけではなく、 単にお金持ちで目立つ人が指名されているにすぎない。 ほとんどの場合男性であるがその任務についてまったく自覚がない。 」

 震災の処理に当たっている若き日本のボランティアを見るとき、 日本人にリーダーとなるべき人材がいないとは思わない。 むしろ彼らの活躍ぶりや被災された方々の協力ぶりを見ていると、 日本人としての誇りや自信が深まるような思いである。 しかし、 われわれが戦後五十年間に急進展した都市化を振り返るとき、 コミュニティの問題や住環境は二の次となっていたことは否めない。 コミュニティ意識よりも都市の匿名性にメリットを感じていたように思われる。 しかしこの震災を契機に新しい町づくりについて、 再考する機運が芽生えつつある。 コミュニティの強化が防災上も重要であることが神戸市民からも指摘され始めている。

 ロサンゼルス地震の直後に市長はパトカーを呼んで現場に駆け付けている。 市長は翌日からテレコミューティング(コンピュータを使った在宅勤務)を推奨した。 一般市民は教会を中心に救援物資をボランティアで集めた。 企業は献金をいち早く救援本部に届けた。 日系企業の吉野家も牛丼を何日も届け続けた。 フリーウェイの復旧もボーナス条項の成果であろう、 予定より三カ月早まった。 ロサンゼルスにいて、 行政と市民との一体感を強く感じた。

 アメリカの町は、 第二次大戦後どこまでも延びるフリーウェイと現在でも日本の四分の一という安価なガソリン料金を基礎として発展を続けてきた。 石炭や石油のような化石燃料は無限ではなく、 その枯渇が懸念されている。 省資源、 省エネ、 環境破壊、 エコロジー、 自然保護等の言葉は、 一般の人びとの生活にもなじみ深い言葉となった。 アメリカの民主主義の礎であるコミュニティに変化が生じ、 また、 その巨大経済を育んできたエネルギー多消費型システムが、 曲がり角にきている。

 わが国はもっと重大な局面にある。 明治以降培ってきた経済システムに金属疲労がたまり、 見なおしが迫られている。 今まさに世界がうらやむ国富を人間らしい個性溢れる町づくりのために振り向けなければいけない。 過密都市を分散させ人間と地方を大事にするシステムを構築すべきである。 マルチメディアを中心とする現代技術を生かして新しい町を住民のイニシアティブで創造するときがきている。 産業構造の変革も必要であろう。 日本人の意識改革がもっとも大切かもしれない。 日本を変えるために、 われわれに近い町づくりのところで議論を始めてみてはどうだろうか。 コミュニティの重要性を自覚し、 町のアイデンティティを取り戻し、 省エネ省資源を意識し、 環境と共生しうる百年千年の町づくりを考えられないだろうか。

 今アメリカでは人間性に根ざした半永久的に存続しうる町づくりの運動が起こっている。 人に優しく人とのふれあいのある人間性豊かな生活の場を提供し、 コミュニティを取り戻す。 現代技術を生かし、 伝統に根ざしたローカル技術も利用して、 エネルギーの効率化を図る。 資源の無駄使いをしない。 生活に必要なものが身近で揃えられ、 車を使わないで用がたせるようなコンパクトにデザインされている町をつくろうとしている。 ガソリンをはじめとする化石燃料の消費を抑制し、 地域のエネルギー需給バランスも考慮に入れた町づくりが必要と彼らは考えている。 本書で取りあげるマイケル・コルベット、 アンドレス・ドゥアーニ、 エリザベス・プラター・ザイバーク夫妻(二人の頭文字を取ってDPZと呼ばれる)、 ピーター・カルソープの三者を筆頭として、 問題意識に目覚めたアメリカの建築家は、 近年のアメリカの町づくりに疑問を提示し、 地方公共団体の担当者を集めて、 彼らの基本的な考え方を積極的に伝える努力を始めている(注:アワニー原則参照)。 カルソープは八六年の著書にサステイナブル・コミュニティという言葉を使った。 われわれはこの名称が彼らがめざす理想を表わすのに最もふさわしいと感じ本書のタイトルに使うことにした。

 本書は、 この米国の新しい町づくりの動きについて、 その考え方を紹介するものだ。 われわれはアメリカにできた町の設計図をそのまま日本に持ちこむ必要があるとは考えてはいない。 日本人が町の再開発を行なう場合、 町の活性化を図る場合、 あるいは新しい町づくりを進める場合に、 アメリカの建築家が次世紀をにらんで提示しているこの町づくりのコンセプトを役立ててほしいと考えている。 日本人が自らの手で、 わが国の気候風土にあった個性的な町を、 現代の技術と地域地域のローカルな伝統技術やノーハウをうまく組み合わせて半永久的な町をつくることができないだろうか。 それは人びとが働き遊び学び生活することができる活気溢れる町だ。 そこには美しい町並みがあり、 町の歴史がそして伝統が息づき、 これぞわが町と誇りを持って呼べるような町だ。

学芸出版社『サステイナブル・コミュニテイ』より
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