外国人居住と変貌する街
図表リスト
- 図1・1 外国人入国者数と登録者数の推移
- 図1・2 都県別外国人登録者数の推移
- 図1・3 ニューカマーズの国籍別構成(全国、 1992年12月末) 総数から「特別永住者」を除いた外国人登録者を「ニューカマーズの外国人」とした。
- 図1・4 東京都の国籍別外国人登録者数の推移
- 図1・5-1 東京都の国籍別外国人登録者数の推移(上位5カ国、 1992年12月末)
- 図1・5-3 神奈川県の国籍別外国人登録者数の推移(上位5カ国、 1992年12月末)
- 図1・5-2 埼玉県の国籍別外国人登録者数の推移(上位5カ国、 1992年12月末)
- 図1・5-4 千葉県の国籍別外国人登録者数の推移(上位5カ国、 1992年12月末)
- 図1・6 対象地域図
- 図1・7 外国人登録者数(1992年12月末)
- 図1・8 外国人登録者数の増加率(1988/1986年、 1990/1988年、 1992/1990年)
- 図1・9 市区町村別外国人の人口比率(1985年、 1988年、 1990年)
- 図1・10 国籍別在留資格別外国人登録者数(全国、 1992年12月末)
- 図1・11 バングラデシュ人・パキスタン人・イラン人の外国人登録者数と在留資格の推移
- 図1・12 アメリカ人の居住地動向
- 図1・13 市区町村別アメリカ人登録者数(1992年12月末)
- 図1・14 東京23区内における
- 欧米子弟のための学校の分布
- 図1・15 カフェテラスに集う欧米人(東京:表参道)
- 図1・16 外国語の新聞・雑誌を売るスタンドショップ(東京:表参道)
- 図1・17 セッツさんの部屋
- 図1・18 セッツさんの住まい方
- 図1・19 ホアン=カルロスさんの部屋
- 図1・20 ホアン=カルロスさんの住まい方
- 図1・21 中国人の居住地動向
- 図1・22 市区町村別中国人登録者数(1992年12月末)
- 図1・23 市区町村別中国人の人口比率(登録者数/日本人人口、 1985、1988、1990年)
- 図1・24 就学生の居住変化の典型パターン
- 図1・25 中国人学生の住むアパート
- 図1・26 中国人などの名前が並ぶポスト
- 図1・27 何嘉宏さんの部屋
- 図1・28 何嘉宏さんの住まい方
- 図1・29 王路さん・肖琳さん夫妻の部屋
- 図1・30 王路さん・肖琳さん夫妻の住まい方
- 図1・31 バングラデシュ人・パキスタン人・イラン人の居住地動向
- 図1・32 主要国籍・出身地別不法残留者の推移(「不法残留者数」は、 法務省入国管理局が外国人が提出する入国記録、 出国記録を処理し、 不法残留者の概数値として発表している。 )
- 図1・33 市区町村別バングラデシュ人・パキスタン人・イラン人の登録者数(1992年12月)
- 図1・34 市区町村別建設業・製造業(従業員19人以下)事業所数(1991年)
- 図1・35 ナジムさんの転居の足どりをたどる。 会社の借り上げアパート時代は同居人数も多く埼玉方面を転々としていたが、 東京に出てきて自分でアパートを借りるようになってからは、 4畳半2人→6畳2人→6畳1人と転居のたびに居住条件は向上してきている
- 図1・36 ナジムさんの住まい方
- 図1・37 陳嘉誠さんの寝泊まりしている事務室兼休憩室
- 図1・38 陳嘉誠さんの住まい方
- 図1・39 ブラジル人の居住地動向
- 図1・40 ブラジル人・ペルー人の外国人登録者数の推移(全国、 1992年12月末)
- 図1・41 都道府県別ブラジル人登録者数(1992年6月末)
- 図1・42 協議会会員企業が建設したアパートの一つ
- 図1・43 水口さん夫妻(左側の2人)の住宅
- 図1・44 水口さん夫妻の住まい方
- 図1・45 クラウジアさん・マリコさん・マリアさんの部屋
- 図1・46 クラウジアさん・マリコさん・マリアさんの住まい方
- 表1・1 日系人受入れ準備用品一覧表
- 図2・1 調査地区位置図
- 図2・2 まちの性格
- 図2・3 住宅・市街地状況からみた新宿区の地域特性
- 図2・4 新宿区の外国人登録者数と日本人人口の推移
- 図2・5 新宿区の町丁目別外国人登録者数分布(1991年12月末日現在)
- 図2・6 大久保地域現在の町名図
- 図2・7 東西大久保村、 柏木村一帯の江戸大絵図 1852年(嘉永5年)(『地図で見る新宿区の移り変わり―淀橋・大久保編―』新宿区教育委員会編、 p. 18、19)
- 図2・8 つつじ園のあったところは、 現在児童公園に
- 図2・9 大久保村絵図(江戸時代)(『地図で見る新宿区の移り変わり―淀橋・大久保編―』新宿区教育委員会編、 p.60、61、 国立国会図書館蔵)
- 図2・10 東京実測図 1887年(明治20年)(『地図で見る新宿区の移り変わり―淀橋・大久保編―』新宿区教育委員会編、 p. 186、187)
- 図2・11 豊多摩郡淀橋町大久保図 1911年(明治44年)(『地図で見る新宿区の移り変わり―淀橋・大久保編―』新宿区教育委員会編、 p. 294、295)
- 図2・12 八雲の生地、 ギリシャをイメージした新宿区立小泉八雲記念公園
- 図2・13 鉄筋コンクリート造に建て替えられた現在の柏木教会
- 図2・14 東洋宣教会聖書学院があったところに建つ日本ホーリネス教団東京中央教会
- 図2・15 大久保市街図 1941年(昭和16年)(『地図で見る新宿区の移り変わり―淀橋・大久保編―』新宿区教育委員会編、 p. 326、327)
- 図2・16 現在の歌舞伎町。 ミラノ座と広場
- 図2・17 都営アパートが並ぶ現在の戸山ケ原
- 図2・18 山手線の線路に沿ったかつての戸山ケ原には、 超高層住宅が建っている
- 図2・19 アジアからの留学生が多い改築前(昭和29年)の国際学友会(『国際学友会五十年史』)
- 図2・20 木造の住宅やアパートが建ち並ぶ北新宿には、 多くの外国人が居住している
- 図2・21 賃貸住宅調査の対象区域
- 図2・22 外国人の居住している集合住宅の構造
- 図2・23 木造賃貸集合住宅における1棟内の住戸数別外国人住戸数の割合
- 図2・24 家主の有無別1棟内の住戸数別外国人居住の有無の割合
- 図2・25 調査対象の木賃アパート
- 図2・26 調査対象のRC造マンション
- 図2・27 街区A もともとは法人1社がこのあたり一帯をかなりの規模で所有し、 昭和40年代以降に徐々に個人に売却されていった街区である。 現在は街区の内側に路地を介して敷地規模90〜200u程度に分割されているが、 所有関係自体はそれほど複雑ではなく、 土地・建物・居住者が一致している場合が多い。 建物は、 築後40年以上経過した木賃アパートなど、 街区の奥に老朽化した木賃アパートが並び、 道路に近い側には築20年弱の鉄骨・RC造の共同住宅が建っている。 アパートの間取りは一間が大半を占めており、 外国人・日本人ともに単身者が多い。
- 図2・28 街区B この街区の土地は、 個人から個人に売却あるいは相続されており、 その時期はおおむね昭和20年代と昭和50年前後の2つに分かれる。 土地と建物の所有者はほぼ一致しているが、 戸建て住宅の中では、 土地・建物所有者が遠隔地に住み、 ほかの人が居住しているケースが多い。 共同住宅としては、 高度経済成長期に建てられたと思われる木賃アパートが多い。 居住者は、 若年層の外国人、 中高年の日本人が多い。 日本人は単身者が多いが、 外国人は2人で住む例も少なくない。 街区内に比較的最近建てられたRC造マンションが1棟あるが、 居住者の年齢層は同様。 このRC造賃貸マンションには、 都から住居費の援助を受ける一人暮らしの高齢者も住んでいた。
- 図2・29 街区C この街区には600u以上の規模の大きな敷地がある一方で、 50u前後の狭小な敷地も点在しており、 土地所有者の8割弱が遠隔地に住んでいる。 土地と建物の所有関係も複雑で、 個人所有だった土地を昭和63年以降に法人が購入しているケースが多い。 老朽化した建物が非常に多く、 居住者のいないものも多い。 また、 いわゆる「地上げ」による空家も目立つ。 さびれた印象の木賃アパート群の中には、 外国人の若者ばかりが住んでいるものや、 空家の多い中に日本人の高齢単身者が1人ぽつんと住んでいるものもあった。
- 図2・30 居住地の推移
- 図2・32 同居人数の推移
- 図2・33 居住室の広さの推移
- 図2・34 家賃負担の推移
- 図2・35 居住歴・事例@
- *台湾人男性(26歳・メカトロニクス専門学校学生)
- まず友人宅に同居、 次に居住水準は下がるが独立して住むという、 住み替えの1つの典 型パターンを示している。
- 1年2カ月前に日本語の勉強のため来日し、 最初は知人(彼の父の友人の息子)のワンルームマンションに同居している。 その後友人が台湾に帰国し、 1人で家賃7万8千円は払えないので北新宿の古い4畳半の木賃アパートに転居。 ここは以前彼の友人が住んでいて、 友人が引っ越す際に紹介してもらい引き継いだもので、 1人で住んでいる。 家賃は安く、 大久保の専門学校への通学にも便利なので帰国までの当分の間は住みたいと考えている。 アルバイトは東京都庁の清掃で、 このアパートからは自転車で5分。 学校を卒業したら台湾に帰る予定という。
- 図2・36 居住歴・事例A
- *中国人女性(20代・服装デザイン専門学校学生)
- 2度の転居により、 まず立地条件、 次に住戸設備・規模条件を改善している。
- 来日当初は友人の紹介で綾瀬の木賃アパートに入居したが、 通学に不便だったため、 不動産屋を回って北新宿に4畳半の木賃アパートを見つけた。 ここは建て替え予定があり1年だけの契約だったので、 1年後にまた不動産屋で探し、 同じ北新宿で6畳のアパートを見つけている。 不動産屋では外国人だからと拒否されたこともあるという。 これまではずっと1人で住んできたが、 もうすぐ兄が来日するので2人で住める家を探したいという。 将来どうするかは未定だが、 できれば日本で貿易の仕事をするか、 あるいはオーストラリアに行きたいとのこと。
- 図2・37 居住歴・事例B
- *韓国人女性(27歳・日本語学校学生)
- 2回の多人数同居を経験し、 その後独立している。
- まず日本語を勉強し、 その後ホテル経営を勉強したいと考えて来日した。 最初に住んだ日本語学校の寮は1DKに4人と非常に狭く、 しかもシャワーは寮全体の共用で、 使用時間が重なると順番待ちが大変だったという。 場所も不便なので、 友人の紹介で全く見ず知らずの韓国人中年女性2人が住む大久保の木賃アパートに同居させてもらった。 けれどもここも1DKに3人と狭く、 同居の2人と年齢も違い生活が合わず、 1カ月で転居。 友人の紹介で北新宿に木賃アパートを見つけ、 やっと独立して居住。 日本語学校終了後にホテル経営の専門学校に入学できれば、 あと3〜4年は日本に滞在したいという。
- 図2・38 居住歴・事例C
- *韓国人男性(24歳・大学生)
- 好条件のアパートに住みながら、 友人のアパート引継ぎのため都心の狭い住宅に転居し た事例。
- 来日当初は仮住まいとして、 とりあえず新所沢に住む叔父の家に同居。 1カ月後、 アルバイト先の新聞販売所の寮(6畳1間、 トイレ共用)に移った。 叔父に独立して住むことを勧められ、 郊外なら安いと千葉県の原木中山でアパートを見つけ、 約1年居住。 2間あり設備も揃っていてよかったという。 その後、 友人が住んでいたアパートを家具ごと引継ぐため北新宿の木賃アパートに転居。 ここは古くて狭いのに家賃が高く、 大学(埼玉県)への通学時間も2時間ととても不便なので、 大学の近くに転居を考えている。 あと4〜5年日本に滞在し、 大学院を出た後はアメリカで勉強したいという。
- 図2・39 居住歴・事例D
- *中国人男性(33歳・無職)
- 日本での長期居住を考え、 住み替えで住宅のステップアップを図ろうとしている。
- 1987年に来日。 まず友人宅に同居し3カ月後に妻が来日したので2人で住む家を探した。 当時は外国人でも探しやすかったそうで、 北区の木賃アパートに転居。 けれども風呂なしで場所も不便、 しかも家主が毎晩カラオケでうるさい。 そこで友人の紹介で百人町のワンルームマンションに転居。 この間、 彼はビザを延長できず1988年に一旦帰国したが、 妻が専門学校卒業後日本で就職できたため、 配偶者ビザで7カ月前に再来日。 現住宅は狭いため、 妻の通勤に便利で1DK・10万円くらいの住宅があれば転居したいという。 あと10年は日本で暮らし、 年とったら中国に帰りたいとのこと。
- 図2・40 居住歴・事例E
- *タイ人女性(21歳・タイ料理店勤務)
- 出稼ぎタイプの外国人であるため、 特に住宅の確保に苦労している。
- 1年前に来日し、 最初は日本人男性と住む友人のタイ人女性を頼って同居。 ところがその友人が男性と別れてしまい、 家を出なければならなくなった。 住まいを見つけるのは本当に大変で、 友人の家を転々とし、 何回転居したかも覚えていないほどだという。 友だちになった日本人男性が不動産屋で探してくれた。 しかし、 その男性と彼女の同居ということで探すと、 同居人という立場でさえ外国人ではなかなか貸してくれなかったという。 最近彼の名義でやっと1DKのマンションを借りることができ、 友人のタイ人女性と2人で居住。 時期はわからないが、 日本で働いてお金がたまったらタイに帰るつもりという。
- 表2・1 調査地区の面積と人口(1992年1日1日現在)
- 表2・2 調査地区(北新宿1〜3丁目)内の集合住宅の結果
- 表2・3 出身地域別外国人居住者住戸数
- 表2・4 アンケート回答者一覧(外国人)
- 表2・5 アンケート回答者一覧(日本人)
- 図3・1 周囲を地上げされて痛ましい姿の木賃アパート
- 図3・2 不動産屋の広告
- 図3・3-1 木賃アパートにおける外国人集住化のプロセスA
- 図3・3-2 木賃アパートにおける外国人集住化のプロセスB
- 図3・4-1 中国系外国人が多い木賃アパート(外観)
- 図3・4-2 同平面図
- 図3・5-1 賃貸マンションにおける外国人集住化のプロセスA
- 図3・5-2 賃貸マンションにおける外国人集住化のプロセスB
- 図3・6 多様な国籍の居住者が暮らすウィークリーマンション
- 図3・7 外国人用賃貸マンション
- 図4・1 1992年3月に完成したばかりの祖師谷留学生会館
- 図4・2 受け入れ企業から研修生に提供されている寮の事例。 もとは日本人のための独身社員寮
- 図4・3 東京都清掃事務所によるゴミ収集の外国語の案内
- 図4・4 “外人OK”の表示も見られる不動産屋
- 図4・5 家主不在の投資型アパート。 オーナーは地域とまったく関わりをもたない
- 図4・6 群馬県大泉町の小学校での日本語学級の風景。 子供たちのレベルに合わせて週3〜6時間設けられている
- 図4・7 ベルリンの街角。 トルコ人の家族が歩く(写真提供:内藤正典)
- 図4・8 パリ。 ピガールの舗道を往き交うマグレブ移民たち(写真提供:宮島喬)
- 図4・9 トルコ人の多いことで有名なクロイツベルク。 コットブッサー・トーア駅から、 公共住宅を見る。 このビルの中には、 トルコ人の団体事務所やレストランがある(写真提供:内藤正典)
- 図4・10 移民も多いパリ郊外(ナンテール市)の新しいアパルトマン。 やや荒涼としている(写真提供:宮島喬)
- 図4・11 クロイツベルクの平均的街並み。 両側には、 トルコ料理店やカフェバーがならぶ(写真提供:木優)
- 図4・12 クロイツベルクのトルコ料理屋。 店の名前のDIDIMはトルコの地名(写真提供:内藤正典)
- 図4・13 クロイツベルクの中の一角にある新聞屋。 数カ国語の新聞、 雑誌がならぶ(写真提供:木優)
- 図4・14 パリの街角の移民労働者二世たち。 フランス化もかなり進んでいる(写真提供:宮島喬)
- 図4・15 取り壊しも始まるバルベス地区(パリの代表的なアラブ移民街)。 再開発が始まり、 変わりつつある(写真提供:宮島喬)
- 表4・1 外国人の在留資格
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学芸出版社『外国人居住と変貌する街』
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