あとがき
このシリーズを締めくくるにあたり、編集に係わらせていただいてきた者として、少し雑感を述べたいと思います。
この時点で、本書の持つ“資料性”はある意味では減少しました。しかし、上記に述べたように、われわれの思いとしては復興まちづくりに携わる多くの方々に少しでも役立つ、すなわち“活用性”を元々のねらいとしていたわけで、それは一貫した本書の理念であるように思います。今回VOL.8の編集にあたり、復興まちづくりニュースの発行・編集・支援作業に携わってこられた多くの方々から熱いメッセージを寄せていただきましたが、本書はこれらの方々の思いや努力を受け止めてこられたものと確信します。
すこし減少したとはいえ“資料性”としての本書の価値は、一般的によく耳にします。いち早く震災後5ヶ月目で出版し、その後定期的に出版を重ねてきた本書は、現在被災地で盛んに取り組まれている震災資料収集・作成の先鞭をつけたともいえ、我々としては当初の目的とは別に新たな成果を獲得した、ということかもしれません。
ネットワークの自主的な情報メディアである「きんもくせい」については、まずは50号まで継続し、そのあとはかたちを変えて新たな出発をすることになると思います。『復興市民まちづくり』のような取り組みは、今回送られてきたメッセージによって改めて復興ニュースの重要性を再認識させられたこともあり、今後も何らかのかたちで継続していきたいと思っています。
復興の前線で奮闘されている方々、全国の多くの支援者の方々、復興への道のりは長いですが、これからもともに歩んで行きましょう。
水道、電気、ガスが止まってしまって日常生活がままならぬなかで、仕事どころではなく、倒壊家屋の中から資料を運びだすことだけを考えていた時、いろんな人に“危ない被災地に居らず避難を”と勧められましたが、私は神戸を離れることができませんでした。
机やいすを引っ張りだし、自力で電話線をつなぎ、遠くで話してるようにしか聞こえない電話がなりはじめたとき三重県の実家に一時避難していた中井君が電話を架けてきました。1月23日(月)。ちょうど地震発生から1週間目でした。わたしは『ぐずぐず言わずにこれから先神戸で仕事をする気ならさっさと帰って来い!』と受話器を握って早口にそう言い、高速道路を通る通行許可書を警察にもらう手順まで伝え、それからずっときょうまでこんな大変な作業に引きずり込んでしまいました。
2月10日に復興市民まちづくりニュース「きんもくせい」創刊号を発行してからほぼ2年間、事務局に名を連ねていますが私は何もせず、ほとんど総ては中井君の努力のたまものです。このニュースの発行は阪神間の復興まちづくりにむけての活動を情報発信し、それぞれの立場で奮闘努力している人々の指針になればとの願いでした。
この間に私自身もたくさんのことを「きんもくせい」から学びました。そして「きんもくせい」以外の多くのまちづくりニュースを集めて大胆にも出版物として社会にでることになったときの興奮はいまでもはっきり覚えています。その「復興市民まちづくり」は京都の学芸出版社さんから1995年5月にVol. 1を発行していただき2年を経て、Vol. 8にて今静かに休憩に入ろうとしています。
長いお付き合いだというだけで京極さんにもずいぶんご迷惑なお願いをしてしまったにもかかわらず、2年間よく辛抱してくださいましてほんとうにありがとうございました。神戸大学には勝手に事務局を押し付け1年あまりを児玉善郎さん、後半大西一嘉さんにお世話になりました。また、'95年3月からはファックスネットワークとして全国8つの大学、5つのコンサルタント事務所のご協力を得ました。ありがとうございました。そして何より全国の読者の皆様にはたくさんの切手を送っていただき助けていただきました。
こうやって皆様にお礼を申し上げるとすべてが終わるようですが、本当の“復興市民まちづくり”はこれからが正念場です。花畑が家々に変わっても、殺伐とした町にならないように、仮設住宅から恒久住宅に移っても、孤立した生活にならないように、私のような小さな力でも取り組むことが大切と思っています。
ネットワークの面々もこれからの課題は山積みです。すべてがこれからです。5年や10年でもとの阪神間がよみがえるとは思えませんが、今まで応援してくださった皆様、これからも応援してくださるだろう皆様、どうか見守っていてください。私たちは焦らず、じっくり、100年先の神戸のために変わらぬ取り組みを続けてまいります。
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