序文
震災後1年、確かな復興のまちづくりは依然として聞こえません。というより、被災地のほんとうの災難はこれから始まろうとしています。
「飽きた、疲れた、もうどうでもいい」とvol 3の序で、全被災地域の全体的閉塞状況から這いあがることのできない谷間にいる、という呻きをつい漏らしました。「飽きた、疲れた」というのはまさに10カ月目の震災疲れピーク、PTSD(災害のための心のキズによる症候群)のひとつと納得して、ここはひとやすみ。ぶっ倒れる前にみんな休もうよ、というメッセージのつもりでした。「もうどうでもいい」は、別にやけっぱちだったわけではありません。中央と被災地との情報格差(実情を分かろうとしているとは思えない、表面だけの同情はかえって有害だ)、国家集権への地域からの歯軋り(どれほど補助が手厚くとも既成制度の枠組みの中でしかない、本当に今必要なのは地域主体の内容決定権限である)などなどへの口惜しい思いであり、〈被災地復興は被災者の手によるしかない、それが復興まちづくりである〉という単純な結論への予感を述べたに過ぎません。これまでの事業、制度、仕組み、体制、予算、組織、研究といった既存社会全体像といったん縁を切って、頭を冷やそうというのが真意でした。1月17日が巡ってきて、新聞・TVによる突然の喧噪とフラッシュバックが襲い、18日以降また、ぱったりと震災情報が途絶することに代表されるような、被災者を翻弄するマスコミ等への怒りよりも、「もうどうでもいい」という諦めが先になったことを了解してくれませんか。
震災100日後の4月末に、〈この5年程のしばらくの間は「七掛けで生きる」と覚悟する〉と表明しました。〈震災前の生活レベル、都市活動レベルの七掛け程度まで3年間で戻れば良し〉とも書きましたが、今震災後1年を経て、ほとんどの局面で七掛け程度までは復旧しています。焦ることはないのであり、即応短期戦を終えてここしばらくペースを落としていましたが、1周年のフィナーレ(と心ない記者が言ってました)とともに充電完了・再起動して新たな持久長期戦を開始します。
緊急でなくても、即時即応が今も重要です。例えば、仮住宅対策・仮設住宅統廃合課題など重くて尋常な答えのない問題に対して、検討する時間がありません。1年後には何らかの解答が否応無く必要であり、1年後を心配する仮設居住者に、それ以前に方向性が示されなければなりません。とすれば、残された検討時間はもうほとんど無いに等しい。そうした切迫した日々の勇気ある決断のなかで、いかにして希望ある将来像をもち続けられるか。対立を明確化する評論でなく、対話を促進させる実行だけが、被災地では意味をもっています。
大地震への阪神住民の事前の〈想像力の決定的な欠如〉が阪神・淡路大震災の始まりであり、全国各地から被災地に対する現状への〈想像力の決定的な欠如〉が今問われていると思います。
1996年2月19日