福祉のまちづくりデザイン
はじめに
まちづくりへ突きつけられた課題
阪神大震災。戦後五〇年の節目の年に発生したこの震災によって、これまでのまちづくりの根底が揺り動かされた。関東大震災を教訓に防災のまちづくりをすすめてきたはずのわが国の都市環境の脆弱さを露呈した。一瞬にして五千人を超える人の生命が奪われ、人の生活をまもるはずの建築物がもろくも崩れてしまった。今回、震災の被害の大きかった既成市街地では、近年居住人口の減少や高齢化、老朽狭小木造住宅の存在、幹線道路等の未整備、市場等の地域密着型の中小商業施設の衰退等が「インナーシティ問題」として指摘されていた。郊外にニュータウン等の新市街地が大規模に開発された一方で、今後、既成市街地については本格的に居住環境の再整備に着手しようとしていた矢先だった。「いきいき下町」をめざして、市場のリニューアルや駅前地区の再開発計画が港湾や工場機能に占拠されていたウォーターフロント地区の再生計画等とともに始動しつつあった。
神戸は戦後のわが国の都市の中でも先進的な制度や手法の果敢な取り組みによって、ユニークなまちづくりを展開してきた。アーバンリゾートフェアという都市地域全体を対象としたまちづくりイベントはそれまでのまちづくりの成果と歴史と自然に育まれた都市地域のあらたな認識を内外に求めるものであった。
今回の震災はこのような一連の流れをそのまま是認せず、まちづくりのあり方について根本的な問いかけを発する契機とする必要がある。神戸のまちづくりだけに問題があったというのではなく、わが国の他の都市にも共通して言えることも多いと思われる。
タテ割りの限界
今回の阪神大震災によって、災害時の障害者の生活救援に関する多くの問題点が明らかになったと同時に、日常の生活における福祉のまちづくりの視点から、障害者が直面している困難な生活環境について様々な問題点が一挙に表面化したことがうかがえる。本著を書くにあたり、「障害者の声」記録調査会のメンバーはもとより、直接多くの障害者や支援ボランティアの人々の声を聞かせていただいた。ここで改めて実感したことは、現在、多くの研究者や行政が、福祉のまちづくりについての研究や提言、支援業務を行っているにも関わらず、それぞれの立場での縦割りの社会機構が災いして連携しえず、不合理な障壁となって障害者のために十分機能しなかったという実態である。住宅内の段差を解消し手すりを設けること、視覚障害者のために見やすいサインや点字ブロックを敷設すること、駅にエレベータやスロープを設けること、公共交通機関に車いす用のリフトを設けること、各種の要求に対応した福祉施設を整備すること等々、それぞれ重要なことではある。しかし、これらが別々に機能していたのでは、今回の震災のような非常時において、仮設の住宅一つをとっても障害者には全く使いづらいものであったり、避難所となった小学校等のトイレが使えないといった現実となって現れてくる。それぞれの立場で研究、業務を行ってきた者にとって、このような結果は辛酸を味わわざるを得なかったに違いない。
これには、わが国において比較的早い時期に福祉に関する取り組みを始めた建築学分野をはじめ、都市計画や土木の分野においてもその歴史が浅いことが一因していることは言うまでもない。今日までのこの分野における大学や研究機関の福祉に対する取り組みは、まず、先駆けとも言うべき北欧やアメリカ合衆国の事例を参考にして、これを積極的に紹介し導入すべく研鑽してきたことから始まって、ようやく独自の視点での提案がなされ始めた段階だといえる。
九五年九月、政府は「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律(ハートビル法)」を施行し、福祉のまちづくりを推進する姿勢を明確にしている。また、各地方自治体では「福祉のまちづくり条例」が制定されつつある。が、その実態は往々にしてハード面からの対応のみにとどまる傾向が強く、住宅を初めとして製品レベルでの開発を促進するにとどまるといった兆候を感じざるを得ない。今回の震災によるハード面ソフト面からの数々の経験が生かされ、それらが十分に連携されて、現実問題として昇華する日が近く訪れることを願ってやまない。金太郎飴のような条例や基準を作るだけで「福祉のまちづくり」が実現できると考え、満足していることはけっして許されない。当面の現実的対応に追従することなく、真に高齢者や障害者の実態と要求にせまり、文字通りすべての人にとって安全で快適な環境づくりにつながる基礎的な成果を一つ一つ積み上げて行くべきである。
全ての人が社会に参加できる環境を
なによりも、人は社会性を必要とする動物である。高齢者であっても、障害者であっても、社会の一員として参加できること、これに勝る喜びはなく、そんな喜びを奪わないように、全ての人が社会参加できる環境を実現すること、それが「福祉のまちづくり」の基本だと考える。
本格的な長寿社会の到来を控え私たちが取り組むべきことは、これまでの「福祉のまちづくり」の概念を発展させ、ノーマライゼーションという理念の実現のためにも人がともに生きる環境づくりとして必要なハード面の基盤整備とともに、お互いに幸せを享受できる人間相互のしくみづくりの再構築が必要である。
住宅の内部についてだけとどまってしまえば、障害者や高齢者にとって、そこから一歩外に出ることがいかに困難な状況であるか。それぞれの分野でのミクロな対応にとどまらず、「福祉のまちづくり」として都市や建築の物理的・構造的側面のみならず、ヒューマンな人間関係を含めた全ての面において、点から線、線から面へと広がりを持たせたマクロな対応こそが重要である。これからは、従来の福祉の枠組みを超えて、建築、土木、医療、社会福祉等の領域の研究者や、行政の多くの同じ志を持つ人々と連携し、「福祉のまちづくり」をトータルに充実させることが必要である。
本書の狙い
長年、神戸のまちづくりや福祉の計画やデザインについて多くの仲間とともに、多少なりとも関わってきた自分としては、阪神大震災は全く予期もせぬ不幸な事件であった。犠牲になった多くの方々の命を無駄にしないためにもこれを貴重な経験として、以上述べたことを含めて、これまでの真摯な反省と点検の上に立って、将来のまちづくりにむけたパラダイムの構築に邁進すべきであると考える。
この本は福祉のまちづくりを、阪神大震災を経験した障害者および彼らを支援してきた関係者の生の声(証言)をもとに、日常から緊急時に関わる福祉のまちづくりの現状と問題点を抽出し、今後のまちづくりの課題となるべきデザイン方法を提示しようとしたものである。
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最後に、本著を書くにあたり、震災直後から地域における被災された障害者等の直接的経験の実態調査について精力的に取り組んでいただいた「障害者の声」記録調査会のメンバーに厚く感謝します。また、忌憚なくご意見をお聞かせいただいた、多くの被災された障害者・高齢者、およびそれを常日頃よりあらゆる面から支援されておられるボランティア団体、並びに関係者諸氏に心より感謝いたします。とりわけ本著の出版にあたり、最初から相談にのってくださり、編集上のアドバイスをいただきました学芸出版社の前田裕資氏と編集作業にあたっていただいた三原紀代美さんには大変お世話になりありがとうございました。そして、震災以前から共に兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所の非常勤主任研究員として、共同研究業務に関わってきた岩田三千子氏には、「障害者の声」記録調査会のメンバーとして、障害者の証言のとりまとめに協力していただきました。本著がこれからさらに多くの人たちと「福祉のまちづくり」をライフワークの一つとして研究するきっかけになればと考えております。
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本著を阪神大震災で犠牲になられた多くの方々に捧げます。
一九九六年七月 被災地神戸にて 田中直人
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