『地域開発』((財)日本地域開発センター) 2003. 10
「環境」という言葉が多用される今日、スローライフのような新しい生活嗜好や、まちづくりにおける屋上緑化の効果が注目されている。しかし、「20世紀は農村の都市化の時代であったが、21世紀は都市の農村化の時代である」と繰り返す著者は、まちづくりに「農」の視点を反映させるべきだと、もっと大きな発想の転換を求めている。
「プロローグ」で著者の主張がまとめられている。続く15の章は、第1部「都市再生」、第2部「ふるさと再生」、第3部「『農』と日本の再生」に分けられており、ここで具体的な著者の提案が述べられている。その内容は、公園や景観のあり方から、観光、多自然居住、そして農業基本法の改正や都市計画制度の問題点にまでおよぶ。だが一貫しているのは、「農」の重要性であり、人間も生き物であるという、一見当たり前であるが忘れがちな視点である。
まさに21世紀のまちづくりに必要な考えが、本書にはふんだんに盛り込まれている。
『建築とまちづくり』(新建築家技術者集団発行) 2003. 7
筆者は東京農業大学の学長であるが、もともとは造園家で都市の専門家であって、農業が専門ではない。その著者が公園よりも農地にこそ緑の本質的意義を発見し、現代都市に欠けていることを「農」を介することで取り戻せるという主張を展開したのが本書である。
第一部:都市再生、第二部:ふるさと再生、第三部:「農」と日本再生、という構成の本書の主体は後半ということだろうが、長年取り組んできただけに、第一部の都市論は切り口鋭い。もはや欧米型都市モデルを目指すのは諦めるべきで、モザイク状、パッチワーク状に自然が分布していることを前提に、カオス的な日本型緑地システムを構想すればよい。そのためには公有地公園第一主義を捨て、既存のあらゆる種類の緑地や水辺と既成の諸事業をつなげていけば、エコロジカルシティの実現は可能だと説く。
第二部以降は若干概念的な論拠が増えてくるが、主張の背景には市街化区域の線引きとそれに伴う都市農地の宅地並み課税がもたらした矛盾をしっかりと見据えている。「農」を排除することで成り立つ近代都市計画の誤りを指摘し、都市と「農」の共存を前提にした新しい法制度や実践的な試みを紹介している。
90年代末からのいろいろな雑誌稿を集成した本で、本誌300号に載った「生きている樹木と郷土景観」も収録されている。同じ論旨が繰り返されることもあるが、それがかえって、自然や緑は「農」によって生活空間の中で実体化する、という著者の主張を熱っぽく伝える。大変わかりやすい直球な本である。
(K)
『室内』((株)工作社) 2003.6
本書は前半で、大都市を緑豊かに変えていくための、現実的なプランを紹介している。そして後半で、地方の農業や林業が活性化することで日本が豊かになる道筋と、その具体策を解説する。
都心のマンションのチラシを見ても、大半は「緑豊かな○○に建つ」が売り文句である。緑が求められているのに、開発で失われる緑もまた多い。政府主導の大規模な緑化計画より先に、屋上緑化や透水性舗装など、区や市民レベルから始めよう、というのが著者の意見である。
一方で、土木行政で傷付いた地方の自然環境をいかに蘇らせるか。そのためにはまず発想の転換が必要だという。農業や林業が、これから生産物だけで成立っていくのは難しい。しかし環境を作り出していくビジネスとして考えたらどうだろう? 新たに公園やリゾート施設を作るのではなく、農業や林業を地場で成立たせ、人々が生活できる仕組を作ることで、自然環境の整備が進められていくのである。誰もが憧れる田園の風景は、昔からそうして作られてきたものだからである。地方だからこそ無造作にトタン屋根に変えたり、看板を付けたりせず、景観を大切に考えなければならない。美しい風景が都市の人を呼込むのである。農業ボランティアやグリーンツーリズムなど、その試みは少しずつ進んでいる。自然を取戻すのに大規模な工事はいらない、自然と人々のリズムに合わせるのが一番である。
『新建築』((株)新建築社) 2003.5
スローフードやスローライフという言葉が流行り、ついにまちづくりまでスローなのかと驚いた。しかし、本来まちづくりというものはスローだったのではないだろうか。20世紀は工業の時代であり、驚くべきスピードでモノがつくられていった。そこに残されたのは、深刻な環境破壊であり、失われた人間性であった。著者はこれを実践的に解決するには「農」の思想と発想であるという。造園と都市計画の専門家が語る、本当の環境づくりとは何かを学ぶ1冊。
(Q)
『新建築住宅特集』((株)新建築社) 2003.5
造園、そして都市計画の専門家である著者が、日本の現代都市においていかに「農」が重要かを説きつつ、都市のあらゆるシーンに農の再生を試み、都市の再生論を展開する。人が生まれもったあらゆる能力を発揮して臨む仕事が農業である、ということを、誰もが理解しやすい言葉と事例で解説していく。そこはさすがに東京農業大学で教鞭を執られているだけのことはあり、知識も豊富である。しかし著者曰く、自分は都市計画の専門家であって、農のそれではない、と。だから本書は、農業を推進する書ではなく、町づくり、そして地域づくりの書なのである。豊かな生活環境をつくるための、スローなまちづくりのための、副読本。
『庭』(龍居庭園研究所) No.151
農村環境のつくり方は、今、さかんに言われている「サステイナブル」や、「ビオトープ」など、環境づくりの最先端を行くキーワードを、長年実践してきたものだったという。「農」に学ぶ環境デザインの重要性を説き続けてきた著者が、これまでの提言を集大成しつつ、新たな展開を見せる。
現在「百姓」は差別用語になっているのだとか。しかし、著者流に解釈すれば、それは「たくさんの能力」の代名詞。むしろ誇るべき用語である。その百姓が作り上げた「農」の風景を、「エコノミー」と「エコロジー」を両立させたものとして位置づけ、都市計画のモデルにしようというのだ。それは単一化、単層化してしまった現代都市に、「多孔質性」と「多様性」を取り戻すための手法である。
しかし半面、農の風景を発信しているはずの地方にあっては、今や「二流、三流の東京」があふれている。目指すべきは、地域色を豊かに表現した「ルーラル・ランドスケープ」ではないかという。ここで興味深いのは、そのような農村景観の復権の原動力となるのは、脱都会派の若者達ではないかという考えだ。それが実現すれば、日本の未来に明るさが見えてくる気がする。
二十世紀、われわれは開発を急ぎ過ぎた。二十一世紀は、もっとスローに着実に、よりよい風景を創出するための知恵を出し合いたいものだ。
『環境緑化新聞』 2003.3.1
「農」の思想と実践が21世紀の世界を救う
著者がここ7年間ほどの間に、各種専門雑誌等に掲載されたものを一冊にまとめた。著者の基調的な考え方は、処女作『緑からの発想』(小社刊)よりほとんど変わることはない。自然と人間のより良い関係を造園=ランドスケープ・アーキテクチュアの見方で追究する、という基本姿勢である。その思想はより深化し、方法論もより明確になってきた。人と自然の根源に関わる「緑」の本質意義を“農”に見出したのである。
著者はあとがきに書く。著者が東京農業大学の学長職にあることから、我田引水で「農」をアピールしているとしか読者は思ってくれないかも知れないことを恐れている。そして「それは違う」とキッパリという。『私は、都市の専門家であって、農業の専門家ではない。だから本書も農業の本ではない。地域づくり、まちづくりの本である。ただ、これまでのとは違って、「農」のこころ、スローなまちづくりの重要性を論じた本なのである』と宣言している。
本書には、癒し、園芸療法、市民農園、ファーミング、スローフード、環境福祉、環境教育、エコシティ、環境共生、循環型社会…といったキーワードがちりばめられている。本書は第1部都市の再生、第2部ふるさと再生、第3部「農」と日本の再生―の3部構成である。伊藤滋氏、青木崇人氏との対談もはさみ込まれ、幕の内弁当のように順を追わずとも興味あるテーマから読んでも楽しめる内容になっている。
21世紀のわが国のグランドデザインは、自然豊かな美しい国土の創造にあるとすれば、こころと生命(いのち)の学である“農”であるとする著者の考えは十分説得力に富んだものとなっている。