まちづくりの経済学
まえがき
この本の目的は、現在さまざまな立場からまちづくりに関心や関わりを持っている人々、あるいは将来関わりたいと考えている人々に、まちづくりに応用できる経済学の手法や考え方の基本をできるだけ分かりやすく、しかし正しく伝えることです。
まちづくりや都市計画を担当する行政官やコンサルタントにとって、経済学の手法と考え方をマスターしていることは、欧米諸国では必須だと考えられています。そして、通常は大学院に置かれている都市計画コースにおけるもっとも重要な、そして、時としてもっとも難しい必修科目の一つが、この本が扱っている経済学に関する課目です。欧米ではまちづくりに使える経済学的知識が、常識として確立しているのです。
さらに最近では、建築家にとっても経済学が必要であると考えられ、大学教育の対象になってきました。そして日本でも、建築士資格行政にあたっている建設省(現国土交通省)関係者などは、欧米の建築教育の最近の動向に注目しはじめています。
この本は、こうした欧米の大学や大学院で用いられている教科書等を参考にしています。しかし、あくまでも経済学的な考え方と手法に焦点を当て、それぞれの国の制度に特有な実務的な知識を述べた部分については省略しています。日本の制度に特有なことにも触れていますが、実務的な知識というよりも、著者の関心や意見に基づいていることをお断りしておきます。
まちづくりの舞台となる、市街地の土地は希少です。また、そこにつくられる建物や基盤施設は通常の商品やサービスに比べて非常に高価です。こうした希少で高価な諸資源は、無駄なく効率的に使う必要があるだけでなく、その結果が社会的に公正であることが重要です。こうした問題を扱うのに、経済学の手法や考え方、とりわけ「DCF法」や「費用便益分析」といった手法が有効です。
しかし、長く土地神話が信じられてきた日本では、まちづくりのための経済学的手法や考え方は、残念ながらまだ常識にはなっていません。そこで本書では経済学の基礎的な知識を紹介する1章に続いて、2章と3章でDCF法と費用便益分析を詳しく紹介します。
DCF法は欧米では不動産投資におけるもっとも一般的な分析手法として、30年以上にわたって確立していますが、日本での普及はバブルの崩壊を待たねばなりませんでした。今日になって、ようやく機関投資家などのプロ集団のあいだに普及してきたというのが実情です。しかし、今後はバブル期になされたような安易な不動産投資で失敗しないためにも、個人や企業を問わず、この手法が一般的に使われていくはずです。ちなみに国レベルでも最近、鑑定評価基準の見直しを国土庁(現国土交通省)が決め、早ければ2002年から賃貸ビルの評価にはDCF法が採用される見通しです。
現実のまちづくり、つまり都市開発の大半は民間の手で行われています。民間の手によるまちづくりを支援したり、そのあり方を理解するために、この本で述べたDCF法についての基本的な知識が役立つはずです。
同じく、この本が公共投資の評価手法として詳しく扱っている費用便益分析についても、欧米ではやはり30年以上の確立した実績があります。どこの国でもその実施が義務化され、手法やその結果が国民に公開されています。しかし、日本では意志決定が政官財の癒着構造の中で不透明に行われてきたために、公共事業の効果についての経済学的に正しい分析が長く行われず、行われていても公開されずにきたのです。
しかし、ようやく日本でもごく最近になって、公共事業の費用便益分析の制度化が始まりました。土建国家と揶揄されるほどに公共事業費が増大してしまい、その無駄に対する国民的非難が無視しがたく高まってきたことがその背景にあります。
近年の財政危機の深刻化によって、公共事業を厳しく選別する必要が高まっています。また政府の意志決定過程の透明化や説明責任を求める声も高まっています。こうした社会的ニーズに支えられて、費用便益分析の手法や考え方はこれから急速に普及していくはずです。欧米では再開発プロジェクトなどの決定にあたって費用便益分析を行うことが一般的です。また分析結果や分析方法などは公開されるのが原則です。日本も近くそうなっていくでしょう。そうなれば、この本に述べたような費用便益分析の手法や考え方が、公正で効率的なまちづくりを推進するための常識となっていくに違いありません。
4章ではこうした分析に用いた考え方を使って、現実の都市開発がどのように行われていくのかについて、その経済学的なメカニズムを説明しています。また、土地の価値がどのようにして決まるのか、計画規制の経済学的に見た効果、公共投資の効果といったことも論じます。まちづくりの経済学としては、もっとも重要ともいえる部分です。
次の5章は、日本のまちづくりを阻害している要因を扱います。計画規制の甘さ、土地投機、土地税制などについて論じています。
6章が扱うのは、一般に「都市経済学」と呼ばれている経済学の分野です。都市の土地利用と地価、都市の成長についての基本的な理論と考え方を紹介します。なお、6章の最後に、一般に知られている都市化とは逆に、大都市の人口が減り、農村の人口が増えてくるといった「逆都市化」現象が、近年のヨーロッパ先進国で生じてきたことを紹介し、その理由とともに、日本で逆都市化が生じない理由を論じています。
7章では、高齢社会を迎えた日本のこれからのまちづくりの課題とともに、経済学、あるいは経済学者一般の思考法の限界にも言及します。現実のまちづくりをめぐっては、都市計画の専門家と経済の専門家のあいだで意見の対立をみることが珍しくありません。こうした対立の緩和に、この本が役立ってくれれば幸いです。
経済大国と呼ばれている日本は、生産力においての大国であっても、国民の生活環境についてはいまだに小国です。日本におけるまちづくりが遅れている背景には、経済学の常識があまりにも長く軽視され、土地神話に洗脳されてしまってきたことがあります。しかし、土地神話とバブルが崩壊したこれからは、経済学の常識的な手法や考え方が通用していくはずですから、日本のまちづくりの将来展望は、困難ではあっても案外に明るいのかも知れません。読者には是非この本をマスターし、まちづくりの現場に応用していかれることを希望します。
2000年12月26日
著 者
学芸出版社
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