街は要る!

蓑原敬氏らが講演と討論

『日刊建設工業新聞』 2000.4.27  


 

 〈街はほんとうに要るのだろうか、要らないのだろうか〉。全国各地で街づくりが行われているが、これまでこうした問いが、真正面から提示されたことは、おそらくなかっただろう。都市プランナーとして数多くの街づくりにかかわってきた蓑原敬氏(蓑原計画事務所所長)は、「街は要る」と言い切る。そう言い切る背景を、「いま街は崩壊しつつある。街は要るか。要る。」のテーマで、河合良樹氏(都市計画設計研究所所長)、今枝忠彦氏(同研究所)とともに建築家倶楽部(東京・銀座)で講演した。講演は、3氏による共著『街は要る―中心市街地活性化とは何か』を踏まえて行われ、参加者との間で具体的な議論も交わされた。


危機的状況にある地方都市(街)

 蓑原氏らのいう都市あるいは街とはなにか。この点について蓑原氏は「都市計画法などでいう行政的あるいは法律的に決めた区域を都市というにはあまりにも漠然としている。そこでまず田舎ではなく、人が密集して住む場所を〈町〉とし、そのなかでとくに人が密集して住み、働き、遊ぶことで、人の往来が多い場所を〈街〉と考える」と語る。
 さらに、「町の多くは自然発生的に成立してきているが、そこに権力者が介在し、祭祀(さいし)的空間や経済活動としての空間が中心部につくられる場合は、街は〈計画的に〉つくられてきたといえる。私たちがかつて経験し、現に経験している街はそのようなものだったが、それが、いま崩壊の危機に瀕(ひん)している。地方の県庁所在地を含め、大多数の地方都市、とくに人口5万〜10万人の都市が危ない」とも指摘する。
 それをどう考え、どうするのか。その結論が「街は要る」ということである。

後世に残る街をつくってなかった

 「町に人が住み、働き、遊ぶという生活行動の全スペクトルが高い密度で織りなす空間が街である。そこは世代をまたいで人びとが交流し、複合的な用途の空間が入り混じり、外の世界の人びとも往来する開かれた重層的な空間であり、そこで人間が育てられてきた。私たちは江戸時代から1960年代くらいまで、そうした街のなかで生きてきたのである。そうした街を支えてきたのが、密集した家々と様々な店が並ぶ街並みである。しかしそれには個々の店が、家業を受け継いで街並みをつくり、維持しつづけてきた家業型の社会の存在が前提になっている」
 その街が崩壊している、と蓑原氏はみる。
 「まず中心部の人口の空洞化である。住み込み従業員が自立し、経営者が家族ごと郊外に移り住む。居住者が減れば、日常品店ははやらなくなる。そこに大型スーパーの出現といった新たな流通革命が起きて、商業戦争、商業調整の時代に入る。それが74年の大店法制定につながり、鉄道駅前の再開発となっていき、さらに自動車時代となって道路拡幅や駐車場問題が起こる。そして高齢化と後継者のいない商店は次々に店を閉め、もはや商店街の体をなさなくなってしまった。さらに、県庁や市役所、文化施設、病院などの公的施設が郊外に移転してしまった」
 また蓑原氏は、都市計画政策の流れから、欧米と比較し分析。「日本の都市計画は、インフラ整備と最低限の居住環境の確保、産業の勃興(ぼっこう)には寄与してきたが、人が楽しく、幸せに住める町や街を後世に残る資産として積み上げてこなかった。そして、このような戦後の流れのなかで、社会経済の動きや人の気持ちも、〈街が要る〉という意識をもたずにきた」と結論付ける。

街づくりには市民の総意が不可欠

 しかし、このような状況を悲観することはない、と蓑原氏。「戦後30年のストックなんてたいしたことはなく、急速に変わる。社会経済的な現実の動向が、都市の姿を変える。高齢者にも若者のためにも、自動車に頼らない、自転車や便利な公共輸送機関を使った生活によるコンパクトな市街地をつくることである。それが中心市街地の再生である」と訴える。
 では具体的にどうすればいいのか。
 蓑原氏は、「まず基本的な都市のあり方について、国から地域の末端まで、白紙に近い状態からの幅広い議論をはじめること。街づくりに市民の総意の醸成が必要である」と述べ、要点を以下のように指摘する。
  1. 街なかに住宅を戻し、中心部の人口回復のための誘導計画を立てる
  2. 公共設備を中心部に戻すための事業化を進める
  3. 大型店が郊外に移らなくし、新たな大型店を中心部に誘導する
  4. 意欲ある個人商店を選別的に育成し援助する
  5. 公共輸送機関の政策的な援助をする
  6. 回遊道路、自動車道などを公園計画と一体化する
  7. これらのことを総合的、集権的に扱える行政組織を創る
  8. 地方分権を進め、真の意味での地方自治を確立する
  9. 土地の流動化、高度利用の促進で、税制面での包括的な誘導策を確立する
などだ。

 「都市が膨らむなかで、人びとはデラシネになり、自分の出自を忘れて都市空間をつくってきた。その結果、都市の文化や社会性の意味をないがしろにしてきた。それが最近の信じられないような犯罪や退廃の原因ではないか」
 だから、「街は要る、というマニフェストを書いた」と蓑原氏は語った。

 


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