観光まちづくりのエンジニアリング
観光振興と環境保全の両立

はじめに


 最近、“観光まちづくり”という言葉をよく耳にするようになった。これまで「観光地づくり」と「まちづくり」は、別のものとして考えられてきたが、今では、この二つは急速に接近を始めているのである。それは、それぞれの分野で大きな変化が起きているからである。

 観光の面では、旧来型のマスツーリズム、すなわち団体で名所旧跡を回り、温泉で宿泊をするような典型的な旅のスタイルがすっかり変わってしまって、観光地は、新しい旅行者のニーズを探し求めている時代になっている。各地の温泉地や名所に強く依存してきた観光地は苦境に陥っている。

 また、自然や文化財などを見る意識が変化し、これまで観光対象とは思われていなかった地域資源が大きく取り上げられた新興の観光地では、地域の環境容量を超えるたくさんの人や車が押し寄せて、資源の毀損や環境の質の低下を招く事態も生じている。

 一方、まちづくりの面では、地方の都市の停滞が著しいことが問題になっている。日本の産業構造の変化とともに、地域を支えてきた基幹産業が衰退する場合も少なくない。地域経済を基幹産業が支えられなくなった時、「まち」には大きな問題が残る。この時、繁栄の歴史によって地域に文化的な遺産が存在する場合には、「観光」の力によって、地域経済に寄与することが可能である。

 新しい旅行者が関心を持つのは、多くの場合、地域の生活・習慣・行事などの文化であり、観光用につくられたものではない。地域の人と同じように、できれば地域の人に混じって地域の豊かな生活を楽しみたいという欲求が大変強くなっている。「地域の豊かな生活」というところがミソである。地域の暮らしぶり自体が豊かでないと、その地域へ旅をしてみたいと思わないのであるから、観光の振興は、地域の暮らしを豊かにすることと同義になるのである。『易経』という紀元前よりはるか昔に書かれた書物に「国の光を観るは、王の賓たるによろし」(地域が光り輝いている状況を見るために来訪する人は、王の賓客としてもてなされよう)とあるが、観光はまたこれに近づきつつあるようだ。歴史や文化を大事にし、地域の豊かな暮らしに立脚した、流行に左右されない観光まちづくりこそ、持続可能性も当然高くなる。

 さて、「観光」や「まちづくり」は、関連する分野の裾野が大変広い。2008年10月には、観光庁が発足したが、実際に関連する国の省庁は、国土交通省、経済産業省、総務省、文部科学省、環境省、厚生労働省とさまざまな形で観光に関わりを持っていることがわかる。言い換えれば、観光の振興には、交通、施設経営、地域振興、教育、環境などを協力して進めなければ効果が生まれないともいえる。

 本書は、大手建設コンサルタント会社が共同で組織している国土総合研究機構観光まちづくり研究会のメンバーである技術者が中心となって執筆したものである。

 これまで出版されている多くの観光まちづくりに関する類書は、観光地の魅力アップや誘客方法などに主眼が置かれたものだった。それに対し本書は、持続可能な観光まちづくりの手法を、技術者の立場からまとめたものである。いくら素の資源性が高くとも、アイディアが優れていても、旅行者が安全・安心・健康・快適にそれを楽しむためには、まちづくりを技術的側面からも支えなければ、観光まちづくりはうまく進まないと考えたからである。

 観光業界の関係者や観光を学ぶ学生にとって、建設コンサルタント業という業界はあまり馴染みがないかもしれない。建設コンサルタントは「まちづくり」を行う際の調査・計画づくり・設計などに係る専門家の集まりであり、また環境保全や防災などの知識と経験も豊富である。得意な分野を活かして、観光まちづくりの安全・安心・健康・快適に関わる側面を技術的に担保することは、旅行者のみならず、住民にとっても日々の生活の質を高めるのに直結している。

 本書は、観光に携わる多くの関係者のみならず、まちづくりにおいて重要な道路、環境、河川など広く市民生活のインフラストラクチャーを担う部署の方々にも一読をしていただきたいと願っている。

立教大学観光学部教授  安島博幸