観光まちづくり
まち自慢からはじまる地域マネジメント

あとがき

 昨秋からの未曾有の経済危機に際して、改めて小泉構造改革の評価が問われていますが、我々観光に携わる者にとって、2002年2月、第154回国会の施政方針演説は、いわば“メモリアルスピーチ”と言うことができます。「わが国の文化伝統や豊かな観光資源を全世界に紹介し、海外からの旅行者の増大と、これを通した地域の活性化を図ってまいります」と、歴代首相がはじめて施政方針演説の、しかも冒頭(はじめに)で観光振興について取り上げたのです。
  地域にとっては、人口減少社会を迎えてどう自立を果たしていくかは大きな政策課題であり、定住人口が増えないのであれば、観光・交流人口を誘致・増大させて、その経済波及効果等によって地域の活性化を図るという考え方は極めてわかりやすかったものと思われます。また、1700万人の日本人が海外旅行に出掛けているのに対し、400万人しか海外からの旅行者を受け入れていないという現実。このアンバランスを少しでも解消してデフレ経済から脱却しようという経済財政諮問会議による骨太の方針も、国をあげたインバウンドの振興に繋がりました。その後、観光カリスマの選定、観光立国懇談会、美しい国づくり政策大綱、景観法の制定、各省庁による観光関連施策の展開、そして観光立国推進基本法の制定へと続き、現在は観光立国推進基本計画に基づいて世界に開かれた観光立国の実現に向けた取り組みが観光庁によって進められています。
  このように国の政策としての“観光”の位置づけが大きく変わったことにより、観光に対する国民の意識も随分と変わってきました。これまで観光分野は予算も少なく、法律も不備で、マンパワー的にも十分とは言えませんでした。今後も大きく変わることはないと思いますが、それでも観光に対する理解があるかないかは大違いです。特に自然環境や歴史文化、農林水産や都市計画、道路、河川、港湾といった分野の方々が聞く耳を持ってくれたことは大きな変化と言えるでしょう。
  15年ほど前、会津地域のある町の総合計画の策定を担当していたとき、観光、特にグリーン・ツーリズムの展開方法について地域住民の方々に説明したところ、次のように言われたことを覚えています。「梅川さん、農業改良普及員って何やってくれているか知ってるか…。農民に読み書きそろばん教えて、それから農業指導をしているんだよ、観光が重要だとポッと来て言われても、何も変わらないし、変われない…」。手厚い農業政策と比較して脆弱な観光政策に気付かされると同時に、観光という視点が、農業の中に全く入っていないことを改めて知らされました。こうした観光に対する不理解やある種の偏見は、農山漁村だけでなく、自然公園や都市、中心市街地でも同じような状況でした。
  都市には都市計画法があり、都市計画事業があり、区画整理や再開発など様々な事業手法があります。しかしながら、観光地には観光計画法はなく、都市計画などの既存の制度を活用することが難しいところが多いことから、ほとんど民間事業者による無秩序とも言える自然発生的な整備が進められてきました。そこには「計画性」や「地域マネジメント」といった概念は極めて希薄です。
  今回、都市計画やまちづくりを専門とするみなさんとのコラボレーションによってこの本が出版されたことは、従来から都市計画と観光計画の連携を訴えてきた私にとって、とても意義深いことです。“観光”、そして“観光まちづくり”によって日本と日本人が元気になることを期待するものです。
  最後に、7章を担当した20年来の同僚・麦屋弥生さんが2008年6月14日、岩手・宮城内陸地震で亡くなられました。「地域の資源に光をあて、地域の人々が元気になる」ことをモットーに、まさに人づくりからはじめる“観光振興指導員”とでも言うべき熱い人でした。ご冥福をお祈りします。

 2009年1月 
  財団法人日本交通公社 
  梅川智也